001 北陸地方。加賀藩は山科の地。 金が取れることでも有名なこの地は、藩としても非常に栄えていた。先の大乱で首謀者である奥州に近い位置でありながらも、今なおその栄華は衰えることがなかった。 その加賀藩城下町の傍を流れる犀川の土手に、彼らは居た。 一人は特徴的な白髪を日本人形のようなオカッパ頭にした、十二単のような派手な着物を着込んだ女。 もう一人は上半身裸の引き締まった肉体を持つ長身長髪のボサボサ頭をした男。 女は尾張幕府家鳴将軍直轄戦所預奉所総監督、奇策士とがめ。 男は無刀の剣士、虚刀流七代目当主の鑢七花。 大層な肩書きだった。 そして大層なのは肩書きのみではない。 かつて旧将軍ですら蒐集することが叶わなかった、伝説の刀鍛冶四季崎記紀が打ちし変体刀、その中でももっとも完成度の高かった完成形変体刀十二本をわずか一年で蒐集するという偉業を達成してみせた。 たった二人で、とは言わない。 この二人だからこそ達成できたのだと言うべきなのだろう。 少なくとも当人たちにとっては、そう言われたほうが喜ばしいと思うだろう。 さて、そんな大層な二人が、刀集めという大仕事を終えてその旅を終えたはずの二人が、何故未だにこんな所に居るのかといえば、新たな変体刀が見つかったというわけでもなく、またただの観光というわけでもない。 その答えはとがめが手にしている大きな用紙と筆が意味していた。 より正確に言えば、とがめが手にした筆で紙に書き込んでいるモノを見れば、だ。 そこに描かれているのはとがめ達がいる周辺の風景だった。しかし、それはよくある風景画とは違った。抽象さはなく、片隅には寸法の参照が書かれていた。 二人の旅は完成形変体刀の蒐集を終えても終わることがなかった。とがめはその後、国の正確な地図を作ることを提案、そしてその実行に名乗りを上げた。旧将軍ですら成し得なかった四季崎記紀の完成形変体刀十二本の蒐集という大役を成した直後に、またしても日本地図作成などという大仕事を自ら提案し実行するのは、とがめ自身の地位をより確実に強力にするためだった。 と、まあ表向きはそういう理由だった。 普通は表向きは国家安寧のため、とかなんとかのご大層な理由付けで、地位云々というのが裏向きの理由なのだが、今更その程度は誰もが考えることで、わざわざ裏表を指摘するようなことではなかった。 だからこその、表向きの理由。 ならば裏、というか真の目的はといえば――至極個人的で局地的なともすれば矮小で卑小な、だからこそ希少で貴重な目的だった。 「ふぅ、さすがに肩が凝ってきたな」 とがめは今まで走らせていた筆を止めて、大仰に肩を回して言う。 見れば、高かった太陽も傾いて赤い光を放っていた。 七花はそんなとがめの弱音を横で寝っ転がって目を瞑ったまま聞いていた。 「肩だけでなく腕も疲れてしまったわ。 これは誰かに揉んでもらわねばな」 とがめはまるで誰かに聞かすように、訴えるように、求めるように言う。 もっとも、この場に誰かも何かもとがめ以外にはもう一人しかいないわけだが。 そしてその一人はといえば、やはり横になって目を瞑ったまま穏やかに聞いていた。というか、これはどう考えても――。 「ちぇりおー!」 「んおっ!?」 無防備な脇腹へと綺麗に吸い込まれるようにとがめの拳が炸裂する。 さすがに驚いたように声を上げて目を開いたが、それだけだった。鍛えあげられた七花の鋼のような身体には痛みも与えられなかった。むしろ、殴ったとがめの手のほうが痛かった。 「なにすんだよ、とがめ」 「なにすんだではない! 私が仕事をしている横でよくものうのうと寝ていられるな、そたなは」 「仕方ないだろ。 俺に出来ることなんて無いんだから」 とがめの文句に、七花は拗ねて答える。 七花自身、とがめの役に立ちたいという想いはあるが、しかし残念ながら地図作りにおいて七花が役立てることは何もなかった。以前、モノは試しと地図を描いてみたが出来は酷いものだった。 その後も七花は何度か挑戦してみたが、そもそも地図作成に意外な才能を発揮していたとがめと比べられる物でもなく、結局地図作りはとがめに任せっきりにするしか無いという現状だった。 「俺だってとがめの役に立ちたいさ。 だけど、俺は戦うことしか能がないんから」 「ふん、そなたが自分をどのように評価しているか知らぬがな、私はそなたをそのように低い価値では見ておらんよ。 でなければ、ただ戦闘能力が高いだけならば、そなたを腹心に選んだりなどせん」 「俺の他の価値ってなんだよ」 得意げな主に七花は疑わしい目を向ける。 とがめが得意げに胸を張っているときは大抵碌なことが無いと、経験上学んでいた。 「そうだな、とりあえずは私の後ろに回れ」 「はいはい」 しかし言われたとおりに七花はとがめの後ろへと回る。 「肩を揉め」 「了解」 そして言われたとおりに肩を揉む。 どうやら先程の大仰な仕草は七花への当て付けではなく、本当に凝っていたようだ。 七花も慣れたもので(何せ足踏みほぐしの経験すらある)とがめの凝っている箇所を的確にほぐしていく。その効果の程は緩みきったとがめの表情で一目瞭然だった。 「うーむ、もう少し首側をやってくれると具合が良いかも――おお、そうそう、そういう感じ。 分かっているとは思うが、鎖骨にだけは触れるではないぞ」 「いや、まあ良いんだけどさ。 俺の他の価値ってこれか?」 確かに一年間やらされ続けてきただけに按摩の腕前は上達したが、それは剣士として、刀としてはかなり微妙な評価だった。 「馬鹿者。 私の腹心を見縊るような評価をするではない。 もちろん、これも非常に重要な価値ではあるがな」 按摩も重要らしい。 「じゃあ、なんだよ。 俺の価値って」 「ふん、初めに行ったろうに、そなたは物覚えが悪いな」 そう言うと、とがめは自分の肩を揉んでいた七花の手を取り、自分の体の前へと回す。身体を倒して背中を七花の胸へと預ける。 「そなたはこうして私に安らぎを与えてくれれば良い」 「了解」 とがめの言に七花は短く答えて、とがめの身体に回した腕に少しだけ力を入れる。 より安定した姿勢にとがめは先程の緩みきった表情とは違う、安らかな表情。目が細まっているのは夕日の眩しさからだけではないだろう。そのまま眠りにでも落ちてしまいそうな安心しきった顔だった。 「奇妙なものだな。 私は今まで二十年近くこれ程に自分というものを他人に委ねたことは無かった。 それがたかだか出会って一年のそなたにこうまで委ねて、安らぎを与えてもらうとわな。 そなたはいつでも私の期待以上の事をしてくれる。 本当にどれだけ感謝してもしきれぬわ」 「なに言ってるんだよ、とがめ。 らしくもない」 「ふん、私にだってたまには感情的になるときはあるさ」 「え、たまに?」 「何が言いたい?」 今までの穏やかな声とは一転、刺すような冷たい声に七花は慌てて首を横に振る。 「まったく、そたなこそ感情的になったは良いが、だんだんと私に反抗するようになってきたな」 「そんな訳ないだろ。 俺はとがめに惚れてるんだぜ」 普通なら恥ずかしくて言えなさそうな言葉を平気で口にする七花。こういう所は未だ未成熟だった。 「惚れている、か。 そうであったな。 しかしな、確かに私はそなたに惚れて良いとは言ったが、それでもよもやそなたを腹心にするとまでは思わなかったものだ」 「俺もまさかここまであんたに惚れ込むとは思わなかったけどな」 一年前、無人島に訪れたとがめと、そこで暮らしていた世間知らずの七花は出会った。 あるいは、ひょっとしたら出会うだけ出会って終わっていたのかもしれない。少なくとも、初めのうちは七花はとがめに対してもとがめが持ち出した話にも興味はなかった。 だが、とがめの素性を知り、決意を知り、強さに惹かれて、とがめに惚れた。 そこから一年間の旅路を経てお互いの絆はより強固に、より深くなっていた。 互いの存在が互いに安らぎになるほどに。 「そう、そなたに矢面は任せても、このように背中を任せるとは思いもよらなかった。 だがどうだ。 今ではむしろこの安らぎが無くなるほうが思いつかない。 いや、思いたくもない、だな」 「はは、そう言ってくれると俺の方もありがたいな。 なるほどそれが俺の価値が」 ようやく納得いったと笑う七花。 「そうだとも、だから、故に、ここで改めて命じる」 それに対してとがめは穏やかな、それでいて威厳に満ちた声で自身の刀に、腹心に命ずる。 「そなたはそなたを護れ。 一切の傷を受けることを認めん。 そなたが傷つけば私はこの安らぎの代わりに悲しみを受けることになる。 そながを失えば私はこの安らぎの代わりに絶望に陥ることになる」 「…………」 「返事はどうした。 了解したのならば返事をせんか」 「極めて了解」 その力強い言葉に、とがめは安心して微笑む。 それで気が緩んだのか、瞼が重く感じた。安らぎに細めていた目がより細くなる。 本当に、こんな風に誰かと一緒にいて気が緩むなどということは無かった。 「あれからもう一年なのだな」 改めて感慨深げに言う。 真っ赤な夕日に当てられて感傷的になったのかもしれない。 意識が遠くなりながらも確かに感じる背中の温もりと赤くなった景色を見ながら、ここまでの道程を思い返す。 血のように紅く染まった視界が、走馬灯のように一年の思い出を映し出す。 睦月――七花と出会った。 如月――七花の口癖を考えた。 弥生――七花に抱えられた。 卯月――七花への信頼が強まった。 皐月――七花が嫉妬を見せてくれた。 水無月――七花との隠し事が無くなった。 文月――七花の新技を考えてやった。 葉月――七花の覚悟を聞いた。 長月――七花の唇を奪った。 神無月――七花と故郷へと帰った。 霜月――七花への思いを確信した。 師走――。 たった一年。 されど、今までの人生とは比べものにならない濃密な一年だった。 だからこそ、結ばれた絆がある。 だからこそ、芽生えた想いがある。 そうでなければ、ただ一方的に惚れられているだけならば、不審になどしたりしない。 安らぎを与えてもらうなど出来ない。 そして、七花を腹心にしようというのならば、この図体ばかりがデカく子供のような男が与えてくれる安らぎに応えるならば。 彼のように想いを口にせねばなるまい。 だから、落ちそうになる瞼をこらえ。 だから、堕ちそうになる意識をこらえ。 夢を見るのはここまでだ。 とがめは七花を見る。 子供のように泣きじゃくっている、七花の顔を。もはや赤が濃すぎて黒になりつつある視界。 それでも最後の言葉を、散り際の言葉を告げるために。 せめて最後は愛おしい者の顔を見たいがために。 必死になって生にしがみつく。 「わたしはそなたに、惚れてもいいか?」 戻る |