001

 真庭鳳凰。
 その名は畏怖と敬意と共に語られる。
 戦国時代、十二頭領制を採用されてから常にその名を持つ忍者は実質的な頭としての役割を担っている。
 その恐るべき忍術もさることながら、忍者としての基礎的な能力や忍術もまた群を抜いていた。何よりも、あまりにも癖の強い人間が多い真庭忍軍において、指揮能力をしっかりと持っているという、考えようによっては頭領として至極当然の必要技能を所持している数少ない人物だというのも大きいとされている。
 だが、やはり実際のところは、彼の持つ忍者としての能力の高さが買われてというのが実情だ。
 歴代最強の忍者が揃っていたと言われる戦国時代でも、そして今や衰退している現状でも、真庭鳳凰は忍軍最強の忍者としてその名を馳せていた。軒並み戦国時代の忍術は劣化、風化してしまった今でも鳳凰だけは戦国時代の技を受け継いでいた。
 故に、彼の二つ名は戦国の時代と変わることなくこう呼ばれている。
 『神の鳳凰と』――。
「いやいや、大したものだ。 本来日陰者の忍者が言うに事欠いて神と来たものだ。 お前を崇め奉れば、ご利益でもあるかもしれないな」
「お前が言うと皮肉にしか聞こえんな。 喧嘩を売っているというのならば買っても良いのだぞ」
 暗い室内に一人座る男は、天井裏から掛けられた声へと陰鬱に返す。
「第一、我はまだ鳳凰の名を継いだだけで、十二頭領に選ばれてすらおらん」
「それも時間の問題であろう。 鳳凰の名を継いだ者が今まで十二頭領に選ばれなかった事など無いはずだ。 しかもお前はあの忍法『命結び』を会得したのであろう? ならば選ばれるのが必定だろう」
 天井裏の声が言ったことは、本来ならば聞き捨てならない台詞だった。
 忍者にとって己の忍術が知られているというのは致命的だ。どのような武芸者であろうとも己の手の内が相手に知れているというのはそれだけで不利になり、敗北へと繋がる。
 それが、隠密を常とする忍者ともなればなおさらだ。
 それなのに、鳳凰は陰鬱な笑いを口元に浮かべ、まるでその程度が些事であるように嘲笑う。
「それはどうかな。 現在の衰退ぶりでは真庭忍軍は遠からず消えてなくなるだろう。 もしかしたら我が十二頭領に選ばれる前に、真庭忍軍そのものが消えているということもあり得る。 そう、おぬしたち相生忍軍と同様にな」
 鳳凰のその言葉に、今度は天井裏にいる男が笑う。
 それは自嘲であり、苦笑であり、愉悦の笑いだった。
「それは違うな、鳳凰。 相生忍軍はまだ亡びたわけではない。 そのために私がいるのだ。 私が生きながらえている間はまだ、相生忍軍は歴史から消えようとも、この世から消えてはいないよ」
「そのために生きていると? 生きていることが相生忍軍の存在の証明であり、相生忍軍の延命こそがおぬしの生きる意味だと言うことか」
「ああ、そうだとも。 もはや相生忍軍は私一人だ。 だからこそ、私が生きて相生忍軍を僅かなりとも存続し続けるのが唯一残った私の使命であり義務だ。 お前は私の生き方を笑うか?」
「笑うとも。 あまりにも下らない。 あまりにも無意味だ」
「はっきりと言うな。 しかし相生忍軍を滅ぼした真庭忍軍の者にそう言われると、腹がたつどころか、むしろ愉快でさえある」
 言葉通り、軽い笑い声が天井裏から響いてくる。
「だかがな、鳳凰。 ならばお前たち真庭忍軍はどうなのだ? あの戦国を戦い抜き、私たち相生忍軍を打ち滅ぼしながら、この太平の世の中では衰退していくばかりではないか。 お前たちのありさまもまた無様ではないのか」
「無様だとも。 無意味だとも。 しかしな忍者が立派な訳があるまい。 意味などあるわけがないだろ」
「ほう? 立派な忍者や忍者の存在に意味など無いと?」
「忍者はただ生きて、死ぬだけだ」
 鳳凰のその言葉に、天井裏から本当に本当に楽しそうな笑い声がが響き渡る。
「ハハハ! なるほどな! 確かにその通りなのだろう! だがな、鳳凰よ! お前のその物言い、お前のその在り方こそが、まさに絵に描いたような、物語に書かれるような、歴史で語られるような、立派な忍者ではないか!」
 余計な感情など一切持たず、意味など考える事もなく、覚悟などわざわざ決めるまでもなく、さながら一つの道具のように、ある時は刀となりて、ある時は矢となりて、ある時は毒となりて、対象を殺す。
 その在り方は、確かに理想の忍者像と言えるだろう。
 だが、その賞賛も鳳凰は皮肉としか受け取らなかった。
「理想の忍者か。 だがな、例え我がそうだとしても、しかしだからこそ我は頭領としては理想どころか現実からも程遠い存在だよ。 我は余計なことなど考えぬ、そんな我を冷静などと表する輩もいるが、結局のところ我はただ虚ろなだけだ。 だから、里の行き先を、衰退を、滅亡を憐れむことも憂うことも出来ぬ。 だから、我には頭領の資格などないよ」
「しかし、それを言ったら、お前だけではあるまい。 お前たち真庭忍軍は確かに恐るべき暗殺集団だが、だからこそあまりにも破綻した存在だ。 むしろそのような全体を思う物の方こそ少ないだろう」
「それこそが、この太平の世で我らが衰退した原因でもあるのだろうな。 結局のところ戦国を生き延びた我らだからこそ、太平の世の中では生きられぬのは道理だろうよ」  むしろ――と、鳳凰はそこで一息いれる。
「むしろ、今頭領として必要なのは、お前のような無意味で無様な、およそ忍者らしくない誇り高い忍者であるのだろうな」
 その言葉に、しかし天井裏の者は今度は笑いを返すことはなかった。
「皮肉にしか聞こえないな」
「皮肉ではない。 心の底からの賞賛と本心だよ」
「だから」
 と、続いた言葉は下からではなかった。
 天井裏にいる者の真後ろから聞こえてきた。
 今の今まで、つい先程まで確かに声は真下から聞こえてきたはずなのに。気配は確かにそこにあったはずなのに。
 だが、考えても見れば鳳凰は忍者。それも同世代に類を見ない使い手だ。声を別の場所から響かせるなど、気配を別の場所に置いておくなど、造作も無い。
「真庭忍軍のためにも、お前のその人格を我が頂こう」
「っ!?」
 気付いたときには既に遅かった。
 迂闊といえば迂闊だったのだ。
 だが、その迂闊を誘い込んだのも鳳凰だとするならば、やはり鳳凰は恐るべき忍者であろう。
 敵対者に敵対心を抱かせない、というのは暗殺するうえで最上級の技能だ。
 結果、己と同等、あるいはそれ以上の実力を持っているかもしれない者の顔を、人格を見事に剥ぎとり、殺した相手の部品を自らに接合する忍法『命結び』で我がものとした。
 その後、鳳凰は友人の人格を使い、見事に衰退していく真庭忍軍を纏め上げ、起死回生の一手を打ち、そして滅んだ。
 戦国を戦い抜き、太平の世になってもあの手この手を使い、離散していくのを無理に継ぎ接ぎにして、ただ一人の親友とも呼べる友を犠牲にしてまで生き長らえようとした、真庭忍軍はただ一人の生き残りもなく討ち死にした。
 しかし、彼らは最後までただ生きて死んでいったのだ。
 そのあ在り方は確かに忍者だった。



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