001 人はその一生を全うして、初めて己の生きる意味を知るという。だが、例え一生を終えたとしてもその意味を知ることが出来ない者だって大勢いる。 しかし、それは目覚めた時から己の役割を熟知していた。 己の存在意義を余すところなく、過不足なく、理解していた。 故にそれは存在した時から己の役割だけを忠実に果たしていた。 疑問の余地を挟むまでもなく。 覚悟を決めるまでもなく。 己の存在意義に則り、役目を忠実に従順に実行する。 結果として、この土地が壱級災害指定地域とされようとも。 結果として、自分に『がらくた王女』などという呼び名を与えられようとも。 まるで関係なく、ただただ自分自身に与えられた役割をこなしていた。 それに楽しいとか悲しいとか、そんな感情なだという不純物は一切存在しない。 雑多な塵芥が溢れかえるこの不要湖において、唯一純粋な存在。 伝説の刀鍛冶、四季崎記紀によって製作された完成形変体刀十二本の内の一本。 絡繰人形。 がらくた王女。 日和号。 ここではあえてソレを、彼女と呼ぶ。 彼女が与えられた役割は非常に単純なものだった。 彼女の創作者である四季崎記紀の工房がある不要湖の守護だった。 とは言え、何百年もあとにこのようなからくり少女に求めるような、清掃などという役割は彼女には与えられていない。そんなモノが与えられていれば、このように塵芥にあふれた土地にはなってはいないだろう。あるいは、その手のからくに少女に求められる、ドジっ娘属性が付与されているというのならば話は別だが。 しかし、もちろんのこと、四季崎記紀はあくまで刀鍛冶だ。 刀にそのような余計な機能を――まあ付けないとも限らないが、少なくとも日和号には備わっていなかった。 それに、彼女はドジっ娘などではない。己の役割を完全にこなしていた。だからこその今の不要湖の姿があるのだ。 彼女の役割は工房に近づく者の排除だった。 それが本当に工房から四季崎記紀の正体を探ろうとする者だろうと、めぼしい物を漁りに来た盗人だろうが、不要湖を昔の綺麗な湖に戻そうとする者だろうが、ただ迷い込んだだけの者だろうが、関係なく、等しく、等価に排除してきた。 日和号の四本の腕に持つ四振りの刀で。 やがて、この土地に足を踏み入れようとするものはいなくなった。 それでも関係なく、何年も何十年も何百年も、四本の足で歩きまわり守り続ける。 それが、彼女の役割だから。 それが、彼女の存在意義だから。 002 人が訪れることがなくなった不要湖。それでもその日も日和号はいつも通り、己の役目を果たしていた。 今日もまた、別に何事も無く、ずっとそうだったように何も変わらない異常のない日々だとも思わずに、ただただ見回りを続けていた。 だが、その日は違っていた。 この塵芥溜めに不相応な美しい存在があった。 それが持つ物もまた、非常に美しい物だった。 薄く薄く薄い、その物体は向こう側の景色を透かして写し、光を取り込み屈折し反射し、幻想的な美しさを放っていた。 常人ならば、その二つの美しさに見とれてしまうことだろう。 しかし日和号にはそんな感情は存在しない。 あるのは己の役割を果たすという存在意義の実行のみ。 「人間認識。人間認識」 そう、白い影はまごうことなく人であった。 大凡、人と呼ぶに欠落の多い人格であり、故に超越した存在だが、それでも日和号の内部構造がソレを人間と認識していた。 そして、白い人間が持つ美しい物体を、己と同じ根源を持つ刀を、ただ一振りの日本刀と認識していた。 ならば、彼女がやるべきことはただ一つ。 「即刻斬殺」 四つの腕で四本の刀を構え。 四つの足で白い影に襲いかかる。 四つの腕と四つの足を持つ化物が襲いかかってくる様は、恐怖するには十分な異様な光景だった。 だが、それでもその白い人間は、感情に揺れることのない、日和号同様の無機質な目で見つめていた。 「四季崎記紀が打ちし、完成形変体刀の一本、人間にして刀、日和号でござるか」 白い人間は手にした刀を構えることなく、自らに襲い来る日和号を見やる。 「まったく、このような物が人間だとでも思っているのでござるか? このような物が刀だと言うのでござるか?」 感情の篭らない声で呟く。 しかし、それでもその声には隠しようのない苛立ちが含まれていた。 「ずいぶんと、拙者たちの創作者は狂っているようでござるな」 その言葉は日和号に向けた言葉か。 それとも自分自身に向けた言葉なのか。 あるいは手にした日本刀に向けた言葉なのか。 「結局のところ、これもおぬしも所詮は完成形止まりということでござるか。 もっとも、拙者は完成形にも至らぬ失敗作扱いでござるか」 そう言って白い影はようやく手にした日本刀――四季崎記紀が打った完成形変体刀十二本の内の一本、薄刀『針』を構えた。 「果たして、拙者はおぬしをときめかせる事が出来るでござるかな」 白い人間――現最強の剣士、錆白兵はそう言って、日和号との戦闘に突入した。 日和号の扱う四本の刀。 一人が四本の刀を使って襲ってくるというのは、それだけで驚異だ。元来剣術というのは人間を想定している。そして、人間はどう頑張っても二本までしか(まあ後の世の人気作品に三刀流や六爪流などというものもあるらしいが)刀を取り扱えない。それを自在に操り襲ってくるというのは敵対者として想定外だ。 事実、今まで腕試しにと挑んできた武芸者達はその四本の刀という想定外の敵に斬殺されてきた。 だが、錆白兵はそんな十把一絡の剣士たちとは違う。 四の刀を全て斬りつけられる寸前で紙一重も無い間合いで、しかし掠り傷一つ無く避けていた。 本来想定外のはずの四つの刀を相手に、完全にその攻撃を見切り切っていた。 だが、日和号もその事にいちいち同様などしたりはしない。 避けられればまた斬りつけるだけ。 動くなら動かなくするだけ。 生きているのならば殺すだけ。 「人形殺法・突風」 斬る。 「人形殺法・旋風」 止める・ 「人形殺法・竜巻」 殺す。 ただ己の役割を果たすのみだ。 この死闘を、誰かが見ていたのならば、死闘と知った上で見とれていただろう。 異形の姿とはいえ、それでもそれだからこそ日和号の放つ剣技の数々はとても人間では繰り出すことの出来ないシロモノだった。 そして、その全てを決して逃げるでもなく、踏み込むように避ける錆白兵の見切りも人の技とは思えなかった。 斬りつけては避けられる。 避けては斬りつけられる。 二人の動きは殺し合いだと分かった上でも美しかった。 西洋の社交場で盛んな踊りのようにくるくると舞っているようだ。 だが、それは所詮外部から部外者から見たとしたらの話だ。 当人たちには、そんな親しみの情など無い。 憎しみや怒りといった激しい情すら無い。 内外の印象があまりにも食い違う死闘。 まるで噛み合わない、空回りの死闘。 だが、そんな死闘も幕が来る。 それも思いの外呆気無く、拍子抜けな形で。 「ここまででござるな」 白兵はそう言うと、今までのような僅かな動きで避けるのではなく、大きく後ろに下がって日和号との間合いを広げた。いや。実際には下がったという認識さえ出来ない。気がついたら離れていたというくらいの高速移動だった。 「結局のところ、やはり完成形を手にしても、完成形を相手にしても、拙者では完了には至らぬでござるか」 そう言って、白兵は『針』を鞘へ収める。 結局のところ一度たりとも日和号に対して振るうことのなかった刀を。 「そして、おぬしをときめかせることもやはり叶わぬでござるな」 その言葉には自嘲と共に、日和号へと向けた憐憫が含まれていた。 「拙者もおぬしも創作者に見限られた不良品。 錆の浮いた刀とガラクタ人形でござるか」 白兵は無造作に無警戒に、日和号へと背を向ける。 「さらばでござる。 拙者とおぬし。 果たしてどちらが完了に出会うのか、或いは両者とも完了形と出会い、かの刀を打ち上げるための材料にされるのかは分からぬが、もう会いまみえることもないでござる」 そう言うだけ言って、白兵は去っていった。 その姿を、追撃するわけでもなく、日和号は見ていた。 見方によっては、同族を送り出しているようにも見えるし、自身を否定されて茫然自失になっているようにも見える。 もちろん、そんなことがあるはずも無いのだが。 しかし、それでもこの時、日和号の中で原初の記録が再生された。 それは初めて日和号が起動したときの記憶。 己の主が日和号に今でも守り続けている命令を与えたときの記憶。 「良いか、お前はこの地に踏み行ってくる人間を斬れ。 もちろん、俺は別だがソレ以外は例外なく斬り殺せ。 こんなことは刀である、俺の自慢の完成形変体刀のお前ならば簡単なことだろう」 そう、それが一つ目の命令。 「次に俺の秘密を暴こうなどと、俺の目的を晒そうなどと思う輩が現れないように、この工房を護れ。 もっともこれは一つ目の命令を守ってりゃ自然と達成できる目的だがな」 それが二つ目の命令。 あれから何百年と立っていても、変わることなく、疑問を持つまでもなく従っている存在理由。 「そして、お前自身を護れ。 お前が壊れちまったら、さっきの命令は護れなくなるんだからな。 まあ、いつかはお前を墓石に来る奴が必ず来るが、そいつが現れるまでは、完了形が来るまではお前はお前を守り通せ」 三つ目の命令は、結局のところ守ってはいる。 先の命令二つを実行する際に、危険になったことすら無い。 しいて言えば、先の白い人間と相対したときは、相手がその気ならばこの命令は果たせなかったかもしれないが。 「そして最後だ。 お前自身を護れ。 こいつは今までの命令を守るために言ってんじゃねえ。 お前のその姿は俺が惚れた女の姿なんだ。 そいつが傷つけられるのはさすがに俺も嫌なんでな」 四つ目の命令は――果たして守れているのか分からない。 ただ、その時の主が見せた自嘲の笑みだけがハッキリと再生されていた。 気がつけば、日和号はいつも通り工房の中ではなく、不要湖で立ち尽くしていた。 白兵が立ち去って、僅かな時間しか立っていないだろうが、それでもその僅かな時間に、本来ならばわざわざ再生する必要もない記録が再生された。 それが、同じ創作者を持つ者との接触が原因なのかは、しかし日和号を含めた誰にも分からない。 所詮は過去の記録でしかなく、思い出どころか、幻ですら無い。 だから、日和号はまた、動き出す。 彼女は何百年もそうしていたように、己の役割を存在意義を、主に与えられた命令を守るために。 カタカタと四本の足を動かして歩み始める。 戻る |