001

 神様はみんなを救ってくれる。

 誰の言葉だったか思い出せない。
 誰かが言っていた言葉だったとは思う。
 あるいは誰もが言っていた言葉だったのかもしれない。

 だとしたら、だとしたら――。

 だけど、それだけじゃ駄目だ。それだけだといつか神様が倒れてしまう。
 だから神様を護る者たちが必要だ。

 この言葉は憶えている。
 誰が言ったのかも鮮明に記憶している。
 決して忘れない。忘れることのできない。
 だが、その言葉もまた――。

 神様がみんなを救い、私たちは神様を護る。
 つまりは私たちはみんなを護っているということなんだ。

 そんな言葉は全て――。



 大乱においてその力を一時的とはいえ、力が衰えた幕府は、各地での終戦処理に追われていた。それは戦で破壊された各国の復興であったり、混乱に乗じて山賊、あるいは逃げ落ちた者達による略奪行為への対応だったりする。
 しかし今の力の衰えた幕府では、それらを即刻一掃というわけには行かなかった。
 皮肉にも天下を巻き込んだ大乱を力任せに押さえ込むだけの力を持ちながらも、散発的に発生する略奪行為に対してはほとんど無力であった。
 出雲の国、山中。
 幕府ですら迂闊に介入できない神聖な土地。
 ここは語尾に「だった」を追加するべきかは悩みどころだ。
 確かに現在でも幕府の介入を許さない土地ではあるが、しかし、それ故に、この土地の神聖は踏みにじられた。
 先の大乱の後、神々が住まう地の山々は、神とは程遠い者たちの住処となっていた。
 幕府もその権威が振るえない土地に介入することはできない。いや、もっと直接的に言ってしまえば、権威が通じな目障りな土地に対して介入してやる義理はなかった。
 幕府の手が届かず、さらにはこの幕府の信頼が一時的にせよ落ちたご時勢、神頼みをする人間が多く、獲物となる相手に困る事もない。結果的に、この出雲には無法者どもが幅を利かせるのには絶好の場所となってしまった。
 神が住まうとされる神聖な山々を拠点に、神を信じる者達を嘲笑うかのように略奪は繰り返された。
 そんな彼らに人々は神罰が下る事を祈り、彼らは神など信じてもいなかった。
 そして神は彼らを罰する事はせず、神を信じる者は救われず、神を信じぬ者には何も無い。
「結局の所、神なんてのは誰も救わないし、誰も罰さない。 奴らは誰に対しても何に対しても何もしないんだ」
 だからこそ、神は全ての者に対して平等なのか、と真っ赤な女は思う。
 背の高い女だった。ボロボロになった着物からはみ出した四肢は引き締まっている。腰まで伸びた髪はボサボサで、手入れなど長いことしていないのが一目で分かる。化粧気なく、むしろ泥と垢で汚れた相貌。しかし、その顔立ちは凛々しく、きちんと手入れをすれば、凛とした美人であることは間違いない。
 だが、そのすべてを台無しにしている。
 それは汚れなどではない。例え、身を清め、髪を梳かし、着物を新調したとしても、彼女を見て生じるのはときめきよりも戦慄だ。
 目が、顔や着物の汚れとは比較にならないほどに、穢れ澱み濁った目が全てを台無しにしていた。あるいは、それこそが彼女の全てなのか。
 女は自分自身と同じく、真っ赤になって倒れているモノたちを見やる。そこに広がる光景は正に惨劇だった。老若男女容赦なく、斬り捨てられている。
 必要な金目の物を奪い、不要な肉体は文字通り斬って棄てたのだ。
「あ……うぁ……」
 いや、どうやらまだ息がある者も居るようだ。しかし、傷は深く、体力の無い老人。どう見積もっても長くは無い命。それでも生にしがみ付こうとしているのか、迷彩へと腕を伸ばす。
「何故、何故……な事を……うぁ、ワシらが……にを?」
 その言葉には自分を殺した相手への怨嗟が込められてはいなかった。あるのはただ、この理不尽な目にあっている事への純粋な疑問だけだ。
 だから彼女は答えてやった。言葉ではなく、刀を突き立てるという行動で。
 一度ビクリと、その身を痙攣させたが、それを最後に今度こそ完全に息絶えた。
「何のため、か。 決まってるじゃないか。 アタシらは盗賊だよ」
 金目の物を奪うために、彼らの命を奪ったのだ。
 いつものことだ。一々思うような感慨も、後悔も、罪悪も無い。
 そんな事を考えるくらいなら、そもそもこんな事をしなければ良い。
「頭領、今回は結構な収穫ですぜ」
「何せ人数からして、今までとは違うからな」
「どうも旅途中の一座だったみたいだな」
「いや〜、いきなり事前準備も無く、こんな大所帯の獲物を狙うって言い出したときは、頭が乱心しかと思いやしたよ」
「ケケ、ちっとくらい乱心してなきゃ俺らの頭目は務まらねぇさ」
「ガハハ、違がいねえ」
 好き勝手に言う部下たちに、彼女は怒りもせず、かと言って親しみも見せずに、ただただ目の前の現実だけを見る。
 身包みを剥がされた、見苦しい死体の山。
 ここが神聖な神の土地などとは、笑わせる。
「全員始末したのかい?」
「ええ、そりゃあ、わざわざ生かしておく必要はありやせんからね。 不味かったですか?」
「どうでも良いさ」
 どうでも良い。
 殺そうが、生かそうが、そんなのはどちらにせよ関係ない。
 奪えればあとは関係ない。
 それが山賊の在り方だ。
 それが彼女の生き方だ。
「ああ、いや、それが頭。 どうも逃げた奴もいるらしいんですよ」
「ええ、二人山ん中に逃げ込んで行きやした」
「あ? 逃げたのは一人じゃなかったか? 山を登る方向に逃げてった奴だろ?」
「何言ってんだ? 山を下ってった奴だろ?」
「ん? じゃあやっぱり逃げたのは二人か?」
「俺が見たのは髪の長い若い娘だ」
「俺が見たのもそうだ。身体はちっと痩せてたな」
「じゃあ、やっぱり逃げたのは一人か?」
「だが、見た方向はバラバラだぞ」
 山賊の下っ端たちが、逃げたと思われる一座の生き残りの、矛盾する目撃証言に頭を捻っていた。
 二人か一人か。
 一人か二人か。
 答えの出ない問題に、元々考えることを山賊たちはすぐに自分たちで答えを導き出すことを諦めた。
「まあ、いいや。 両方追えば良い話だ。 俺は上へ行くがお前らはどうする」
「あー、俺は下だな。 下へ行くのを見たんだから」
「もちろん、その娘を見つけたら、見つけた奴が好きにしていいんだよな」
「ヒヒ、んじゃあ、ついでに今回の分け前も賭けるか」
 だが、諦めたのは答えを出すことだけだ。
 やめたのは考えることだけだ。
 己の欲望を、欲求を、欲情を満たすことはやめたわけではない。
 山賊とはそういうものだ。
 だが、一人だけ興味を示さないモノが居た。
 頭と呼ばれた女山賊だけが興味なく、既に踵を返していた。
「お、頭は来ねぇんですかい?」
「ガハハ! 女の頭じゃ、小娘を捕まえて楽しめないからなあ。 これが男だったらよかっ……」
 下卑た笑いを浮かべていた男の顔が、言葉の途中で引き攣った。
 ただ、既に背を向けていた女山賊が、肩ごしに振り返り視線を送った。ただ、それだけの動作で、大の男が、それも荒くれ者の山賊が恐怖で引き攣り、血の気が失せた。
「あ、いや……あ……」
 何かを言い繕うとして、結局震える下は回らずに意味のない言葉だけが漏れる。今まで周りで騒ぎ立てていた他の山賊どもも仲裁に入るわけでもなく、いつものように煽ることも出来ず、まるで我が事のように震えあがっていた。
 女山賊は相変わらず肩ごしに、振り返って視線を送っているだけだ。その視線も、決して憎悪や嫌悪が宿っている訳ではない。殺気が向けられている訳でもない。男たちのようにその身に刀を帯びている訳でもない。丸腰だ。
 何もない。
 興味すらなく、その辺に転がっている小石に向けるのと同様の、そこらに転がっている死体に向けるのと同様の視線。
 時間にしては本当に瞬きすらない、一瞬だったろう。  だが男にはまるで永劫のような沈黙を破ったのは、女山賊のほうだった。
「浮かれるのは勝手だが、金目のものを持ち帰るのを忘れるんじゃないよ」
「へ、へい!」
 それだけ言うと、元より興味など無かった視線を、向けるのすらやめて再び歩き出した。
 その際に、真っ赤な着物が翻る。
 黒ずんだ赤で染まった着物。
 どう考えても、意図的に柄として染め上げた色では無い。もしもこれが意図として染め上げられた色だとしたら、それをした職人は異端中の異端だろう。まともな神経をしている人間に受け入れられるような代物ではない。かの悪名高い刀鍛冶、四季崎記紀のような職人だろう。
 しかしまあ、幸いにもそんな職人はいない。
 この色に染まったのは、この女山賊が着ているうちに自然と染まっただけだ。
 もっとも、自然とこんな色に染まるような生き方は、とても幸いとは言えない生き方だろう。
「やることを忘れなければ、後は好きにしな。 逃げていった奴を追おうがどうしようがお前たちの好きにすれば良い」
 今日もまた、新たな返り血せんりょうで染め上げた着物を揺らして、圧倒的な力と恐怖で四十三人もの人数からなる一大山賊組織をまとめあげる、女頭目は殺戮と強奪の現場から立ち去っていった。



   002

 旅の一座を襲ってから数日。
 山賊一味は、今までの蓄えと、一座から奪った物資とで、生きることに困らないだけの生活を送っていた。とは言え、四十三人の大所帯。おまけにその大半は大食らいの大男だ。蓄えが尽きるまでそう日数は掛からないだろう。
 だが、彼らはそんな事を一々気にしないだろう。わざわざ倹約に努めるような山賊は居ない。
 気の赴くままに、食い、飲む。
 食料が無くなれば――また奪えばいい。
 単純明快な行動原理。
 野暮粗暴な思考回路、
 知性など不要。
 品性など無用。
 それでこその山賊だ。
 そんな神経を所有していなければ、あるいは神経など所有していては山賊なんてやっていられない。
 いちいち考えるような奴が山賊なんかになるわけがない。
   それは彼らを率いている彼女とて例外ではなかった。
 確かに獲物は彼女が決める。
 確かに襲撃は彼女が決める。
 だが、それは決めているだけだ。考えてなどいない。
 襲った結果どうなるかなど、襲われた者たちがどう思うかなど考えない。考えるに値しない。考える資格など無い。
 そんなことを考える余裕があれば、それこそ最初から山賊などやってはいない。
 だから、彼女はただ今日も酒を喰らう。
 何も考えずに、美味いとも不味いとも無く、愉快と不愉快も無く、ただ喰らう。
 だが、残念なことに、本当に残念なことに、何よりも残忍なことに、そんなことは世界には関係ない。
 彼女がどれだけ無関心であろうとも運命には、歴史には関係ない。
 それらは容赦なく、流れ続ける。
 流れに巻き込まれるのが誰であろうとも、その結果がどうなろうとも、無関係に、全ての物が等価に巻き込み、押し流し、溺れ、沈めていく。
 彼女にとってあの大乱の日がそうであったように。
 あの頃の彼女は、自分が山賊になるなどと思いもしなかった。
 むしろ、そういう輩からこの土地を、この土地に住まう神々を護るために戦うと思っていた。信じていた。信仰していた。
 だが、現実は、現在はその真逆だ。
 歴史とは、そういうものなのだろう。
 そして今日もまた、予定調和に歴史が動く。
「頭、頭。 見つけやしたぜ」
 一時的な溜まり場にしている古寺に、山賊の一人が駆け込んできた。
 息を切らしているものの、その顔は愉悦に歪んでいた。
「見つけやした、ようやく突き止めやしたよ」
「何を言ってんだい」
 女山賊は、興奮している男に、冷めた視線を向ける。
 いつもなら、それで静まるはずだった。どれだけ熱が入っていようとも冷水を浴びせられたように静まるはずだった。
 だが、どうしたことか、今回は興奮もニヤけた面も収まらずに詰め寄ってくる。
「決まってるじゃないですか。 この間、獲り逃した娘どもですよ」
「…………ああ、そのことかい」
 ようやく、男が何を言っているのか理解した。
 理解して、呆れた。
 まだ、探していたのかと。
 その感想は、彼女だけではなかった。
「がははは、最近やたらとどこかに出かけると思ったらそういう事か」
「すっかり忘れてたぜ」
「しかし、「ども」ってことはやっぱり二人だったんだな」
「お前もしつこいねえ。 どんだけご執心なんだよ」
 ゲラゲラと、仲間内からも呆れてた笑いが巻き起こる。
 普段なら、馬鹿にされたと激昂しているはずの男が、それでもニヤニヤと、逆に見下すように笑っているのを見て、さすがに違和感を覚えた。
「ふん、それでどうするんだい? まさか今更わざわざ出向いて、掻っ攫おうって言うのかい?」
 馬鹿げている。
 言外にそう意味を込めて問う。
「ええ、もちろんでさ」
 男は言外の意味を汲み取れなかったのか、それとも汲みとってなのか、キッパリと肯定する。
「馬鹿馬鹿しい」今度は、実際に言葉にした。「たかが娘二人のために動けっていうのかい? 別に止めはしないが、参加もしないよ。やりたきゃ勝手にやりな」
「ひひ、頭そう言わないでくだせえ。 話は最後まで聞いてから判断してくださいよ」
 男の自慢気な態度に、女山賊は眉を顰める。
 なぜ、たかが娘二人を見つけたくらいで、こんなにもこの男は気を大きくしているのかが分からない。
 ――「くらい」ではないのか。
「まあ、本当ならここで俺がどれだけの苦労をして見付け出したかも話したいところだけど、頭が急かすから結論だけ言わせてもらいます。 あいつらが逃げ込んだ先は、三途神社、ですよ」
 その言葉に、否、その場所の名称に、女の澱んだ目が、濁った目が――ギラリと、光った。
 今まで泥沼に沈んでいた日本刀が、ヌルリと浮かび上がって来た。
「三途神社ってぇ、確か……」
「駆け込み寺、みたいな場所だよな」
「寺じゃなくて、神社だけどなあ」
「この寺に駆けこんでくるのはムサイ男だけだけかあ」
「お頭がいるだろ」
「頭が駆けこんでなんて来るかよ」

 山賊たちの言葉などまるで聞こえずに、女は報告してきた男を斬り付けるように睨む。
「それで?」女は問う。「わざわざそんな報告をするって言う事は、その神社に押し入ろうって言うのかい?」
 頭目の言葉に、山賊たちは話す言葉を飲み込んだ。
 今まで、彼ら山賊が生き延びてこれたのは、その武力もさることながら、狡猾さがあったからだ。あくまで襲うのは旅人のみ。地元の、それも有力者などは決して手を出さない。そんな事をすれば、いくら腰が重い幕府や藩の連中でも動き出すからだ。そうなったら、たかが山賊程度になす術は無い。
 それなのに神社、それも裏事情を抱えている三途神社ともなれば、なおさらだ。
「さすが、お頭。 話が早い」
 だというのに、この男は自分が大手柄を上げたように語る。
 いくら考えない山賊とは言え、それはあくまでも倫理であり常識である。己の生存に関して無頓着な山賊など、当の昔に滅ぼされてしまうと言うのに。
 考えるまでも無く、この案件は却下だ。
 いや、それどころかこんな愚かな提案をした男は、頭目に切り捨てられると覚悟した。
「分かった、どうせもう直ぐ蓄えがなくなるからね。 次の襲撃をしなきゃならない」
 だが、意外な事に頭目の口から出たのは肯定の言葉だった。
 報告した男を除いて、山賊たちは正気を疑う視線を向けた。前回の旅の一座を襲うと言ったときも正気を疑ったが、今回はそれの比ではない。そもそも比べてよいレベルの話ではない。
「それじゃあ、ちょっと下見に行ってくるよ」
「か、頭、自らですか?」
「獲物がでかいんだ。 自分の目で確認しておきたい」
 そう言うと、女は理解できないと言う視線を受けながら、根城にしている古寺を飛び出した。
 その先に、彼女を待っている歴史など知る由も無く。



   003

 三途神社。
 そこは一般の神社とは異なる顔を持っていることで、一部の人間の間では有名だった。
 女たちの最後の希望。
 この神社は色々な事情を抱えた女たちが助けを求め、集まってくる。なるほど、そう考えれば一座を皆殺しにされた娘たちが、この神社に逃げ込むのは自然の道筋だった。
 きっと、行き場も無く、生き場も無い彼女たちを、神社は暖かく迎え入れたのだろう。
 その優しさが――許せなかった。
 何故?
 何故!?
 何故それならば、私は助けてくれなかったのだ!?
 それは、逆恨みだった。
 それは、慟哭だった。
 怒りと妬みが混じった感情が噴出した結果、無謀な襲撃に賛同してしまった。
 この激情を晴らせるのならば、滅びようとも構わないと。
「許して、ください」
 その激情を覚ましたのは、皮肉にも三途神社の神主だった。
「どうか、許してください」
 首を絞められながらも、か細い声を紡ぎだした。
「あなたを助けられなかったことを許してください」
 それは謝罪の言葉だった。
「どうか、あの娘たちは許しください」
 それは懇願の言葉だった。
「…………」
 そして最後の言葉だった。
 最後の最後まで、この神主は誰かを救おうとした。
 最後の最後まで、この神主は誰かを護ろうとした。
 首を絞めていた手が、急に重く感じた。
 千の刀と比べても、比べようも無く重く――。
 と、後ろに気配を感じて振り返る。
 そこには二人の人影。月明かりが僅かに入り込む室内でも夜目の聞く彼女にはその容姿がハッキリと見えた。そして、だからこそ混乱に陥った。
 そこにいた人物は二人だった。
 二人だったが一人だった。
「双子かい?」
 今更のように、山賊たちの情報が混乱していた理由が分かった。
「ひっ」
「ああ、あなたはあの時の山賊の方ですね」
 怯える一人を庇うように、もう一人が前に出る。
 見た目は同じでも中身はやはり違うようだ。
 それは当然か。完全なる同一存在などそうそうにあるものではない。
「そうだよ、あんたのお仲間を殺した人間さ」
「別に仲間というわけではありません。 所詮、売られた身ですから」
 なるほど、と女は納得した。
 双子と言うのは忌み嫌われる。大抵どちらかは養子に出されるか、最悪の場合は殺される。この二人の場合は最悪とまでは行かなくとも、二人まとめて売られたようだ。双子の反応を見る限り、その先でも、あまり良い扱いは受けなかったのだろう。
「しかし」気の強そうな方の娘が、女山賊の手元に視線を向けて言う。「その人は、私たちを受け入れてくれました。 少なくとも生きる場所を与えてはくれました」
「そうかい」
 他に言うべき言葉が見つからなかった。
 だが、いつまでもこの状態にしておくのは辛かった。何せ、重いのだ。
 彼女は神主を丁寧に、取り落とさないように、床に横たえた。
「次は、私たちですか?」
 その問いに、後ろに隠れている方の娘がビクリと震える。
「あたしが今度はあんたたちを殺すと?」
「はい。 普通に考えたらそれが順当でしょう」
 自分たちが殺されるという話なのに、庇う娘は淡々と応対する。
「なるほど、気が強い娘だと思ったけど、どうやら間違っていたみたいだね」
 ただ受け入れてしまうだけだ。
 それが例え自分の死であろうとも。
 やはり、この娘も心が壊れているようだった。
 それでも、ひとつだけ希望があるとすれば、何もかもを受け入れるはずの娘がひとつだけ拒絶した事柄。
「そっちの娘を守ろうとはするんだね」
「……たった一人の姉妹ですから」
 その言葉に、すべてを諦めていながら捨て去らない覚悟に、女山賊は小さく笑う。
 それは長年ともに行動している山賊たちが見たことのない種類の表情だった。
 その笑みを隠すことなく、二人に近寄り――そして脇を通りすぎて行った。
「殺さないんですか?」
「私も覚悟を決めたからねえ」
 娘の問いに女はそう答える。
「まあ、あんたらも私に大して恨み言も言いたいだろうけど、それは後で戻ってからにして欲しいね」
 そう言うと、女は神社を後にする。
 向かう先はただひとつ、彼女が山賊として溜まり場に使っていた古寺だった。



   003

「お、頭。 戻ってきたんですか」
 古寺に着くと、そうそうに部下たちが集まってくる。その姿は、直ぐにでも略奪行為に移れるだけの武装がされていた。あれだけ反対しておきながらも、準備は万端といったようだ。
 もっとも――。
「へへ、どうでした、頭。 こちらは今すぐにで――」
 そんなモノは無意味になる。
 男の言葉はそこで途切れた。
 言葉だけではない。
 首を走る血管も断ち切られた。
 視界が途切れる寸前に見たのは、赤く染まった自分自身の刀を持つ、自分たちの頭目――だった女の姿だった。
「なっ!? 頭、なんの真似だ!?」
 狼狽する男たちに、彼女はいつものように能面のような表情を向ける。
 ただ、ひとつ違うのは、その目が澱んでも濁ってもいないという点。
「なんの真似、か。 決まってるだろ。 これからあんたらを斬るのさ」
 明確な覚悟があった。
 まだ自体を理解しきれていない山賊たちの中に、一気に駆け寄る。
 そのまま一番近くにいた奴の腹を、先ほど奪い取った刀で裂く。
 次いで、そのまま次の標的の足を断ち、崩れたところを頭を割る。
「頭!? 乱心したのか!?」
「これくらい乱心してないと、あんたらの頭は務まらないだろ?」
 そこで、ようやく山賊たちも状況に対応した。否、それは飲まれただけだったのかもしれない。兎にも角にも、山賊たちはかつて頭だった女に一斉に斬りかかる。
 先程の一撃で、刀は死体に深く食い込んでいて抜けない。
 普通だったら間が悪い。
 普通だったら好都合。
 だが、彼女の習得している剣術にそんな事は関係ない。
 彼女は迷うことなく、刀を手放すと襲い来る山賊へと再び駆ける。
 振り下ろされる刀を、その腕を軽く叩くことでいとも簡単に落とし、奪い取る。そして、そのまま刀を振り抜き、相手の顎を割る。
 次いで襲い来る相手の腕を断ち、腕ごと宙に浮いた刀を掴み頭に叩きつける。
 背後から斬りかかる相手を、体を回転させて切り裂くき、その勢いのまま刀を投げてこちらを弓矢で狙っていた者を貫く。
 再び丸腰になるが、切り捨てたばかりの男から奪い、近づいてきた相手を三人まとめて斬る。
 恐れ慄いている相手に、駆け寄りその心の臓に突き立てる。
 そこへ左右から襲いかかる山賊。刀を抜いている暇はない。
 そして、そんな必要もない。
 刀をまたも簡単に手放すと、やはり斬りかかってきた相手の腕を叩き、今度は刀を落とさせるのではなく、そのまま二人が互いに斬りつけさせる。
 圧倒的だった。
 丸腰の女一人に、武装した男たちが四十三人、良いようにあしらわれている。虐殺されている。
 これこそが、出雲の地を守護するために生み出された剣術。
 千刀流!
 そこから先は、もはや同じことの繰り返しだ。
 相手の人数が多かろうと、多いければ多いほどにその剣術は冴え渡る。
 斬りつけては斬られ。
 突いては突かれ。
 狂々と繰り返される。
 焼きまわしだ。
 例えば、このシーンを何らかの形で映像に残したとしたら、きっと同じ場面がずっと繰り返されているだけに視えるだろう。
 それが四十三人全ての命が終わるまで繰り返された。



 その後、全ての山賊を斬った、彼女は三途神社に戻った。
 戻って、敦賀迷彩となった。
 罪滅しのつもりはない。
 罪が滅ぶなどと思うほど、牧歌的な人間ではない。
 ただ、彼女は望んだのだ。
 生きる意味を。
 ただ、彼女は決めたのだ。
 生きていく覚悟を。

 これは一人の山賊が神主となるまでの歴史の物語の一部。



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