鳥取藩因幡砂漠。
 観光名所として他の土地からの観光者を集め、鳥取藩にとって貴重な収入をもたらしていたそれが突如として藩そのものを滅ぼす猛威となって襲いかかった。突如としてその規模を広げて周りの土地を飲み込み始めた砂漠は終には鳥取藩全土を覆い尽くすほどに広がったところでようやくにその拡大を止めた。まるで測ったかのようにさながら謀ったように鳥取藩だけを飲み込んで。
 どれほどの権力を持とうがいかほどの武力を用いようが、自然の猛威を押し止めることなど過去の歴史から見ても、あるいは仮に未来の歴史を視ても不可能かもしれない。

 結局の所、自然に対して人間が出来る事は受け入れて去るか拒んで去るかの二つしかない。

 だが、一人、ただ独り、砂漠に飲まれた鳥取藩に居座る人物が居た。

 鳥取藩下酷城。

 因幡砂漠に佇む、鳥取藩で唯一形を残した建造物。
 この過酷な地が、それでも以前は人が住まう地だったということを証明する数少ない物的証拠だ。かつては物見客で賑わっていただろうこの藩を治めていた城も、しかし今となっては砂と風で傷み朽ちて、まるで古代の遺跡のような有様だ。
 それでもこの城だけが唯一、見渡す限り砂の色だけが支配する地において別の色を持っていた。もっともその色も蜃気楼に隠されているために、余程近づかなければ見ることは出来ないのだが。

 この城の中に住まう者こそただ独り、誰もが逃げ出した砂漠に飲まれた鳥取藩に居残っている人物だ。

 浪人にして下酷城城主、宇練銀閣。

 何とも矛盾した肩書きだが、実際そうなのだから仕方あるまい。
 どこにも仕えていない以上、身分は浪人。
 城に住まう唯一の人物だから、立場は城主。
 故の奇妙な肩書きだ。

 だが、その奇妙な肩書きも奇妙な立場の銀閣には相応しいのかも知れない。
 誰もいなくなったこの土地に、それでも銀閣が居座ったのは決して愛郷からではない。
 かと言って、皆に置いていかれて、仕方無しにここにいるわけでもない。
 居座っているわけでもなければ取り残されたわけでもない。
 ただ、気がついたら一人残っていた。
 だから居残っている、という言い方が相応しい。

 城の一室、襖二枚分くらいしかない幅の割りに妙に奥行きだけはあるその部屋の中で何するでもなく転寝うたたねをしている。
 奥まった部屋の最奥で唯一の出入り口である襖を正面に取られている姿は誰かを待っているように見えなくもないが、この男にそのような者がいるわけもない。むしろあの襖が開けられることが無いほうが良いと思っているくらいだった。
 完全に閉ざされた部屋に男が一人。その男もまったく動かないとあって、まるでこの部屋は時が止まってしまったかのような錯覚に陥ってしまいそうになる。
 もちろんそれは錯覚以上にはならない。かつては純白であっただろう部屋の壁面は銀閣の背後にある窓から、あるいは僅かな隙間から吹き入る風に混じった砂により茶色く化粧が施されている。やがてこの風と砂は色だけでなく壁そのものも侵食し崩壊させるだろう。それは銀閣自身にも及び、いずれはこの部屋の砂に混じって朽ち果てるだろう。

 それでも、銀閣はここを動こうとはしない。
 動くわけには行かなかった。

 今までも何度か遣いの者が退去勧告をしに来たが、その悉くを腰に帯びた刀で斬ってきた。

 戦国の世を支配したとまで言われる伝説の刀鍛冶、四季崎記紀。
 彼が打った刀の中でも特に際物の完成形変体刀十二本の内の一本、斬刀『鈍』

 かつて、銀閣の先祖である金閣は当時の最大権力者からこの刀を献上するように命じられても叛き、挙句には差し向けられた軍を片っ端から切り捨てた。その数は一万人にも及んだとされる。
 さすがに、それを銀閣も鵜呑みにしているわけではないが、少なくとも命に叛き、そして最後まで刀を渡さなかった事だけはこの刀が物的証拠として宇練の家に代々受け継がれている。
 まあ、その結果としては当然なのだろうが宇練家の者は代々浪人の見に甘んじる事となっていた。何せ時の将軍に逆らった大罪人の一族だ。いくら既に当時の将軍家が没落したとは言え、彼らを改めて取り立てようなどと思う藩は何処にも無かった。いや、もしかしたら奇特な藩も探せばあったかもしれないが、彼らがこの因幡を離れようとしなかった以上、意味の無い話だった。まさか面目を丸潰しにされた鳥取藩が取り立てるなどということはまずもってない。
 いや、それ以上にそもそも斬刀と共に受け継いできたモノがあってはどこの藩でも取り扱えないだろう。
 宇練家の人間は代々狂っていた。
 斬刀の、四季崎の刀の毒が隅々まで行き渡っていた。
 それは刀を守るために己の主である藩に、そして時の将軍に逆らった金閣程では無かったのかも知れないが、それでも刀への執着、或いは妄執は常軌を逸していたし、それを用いて多くの人間を斬ってきた。

 だが、銀閣はそこまで狂ってはいなかった。
 毒は回っていたし、人を斬りたいという衝動もある。そして何よりこの刀を、そしてこの地への妄執は現状を見れば容易に知れることだ。
 それでも、人を斬りたいと思い、そして斬ってきたのは以前よりそうであったし、刀と因幡の地を守るのは他に守るものが無かったからだ。

 そもそも人を斬りたいという衝動が強ければ、こんな誰もいない地などとうの昔に棄てているはずだ。稀に盗人や迷い人が訪れ、それを斬ってはいるがそう頻繁にあることではない。
 それなのに銀閣はこの一室でうたた寝をしていた。
 毒気よりも眠気のほうが強いとばかりに。

 だが、その眠りも常に浅い。
 ほんの小さな物音でも意識が覚醒してしまうような眠り。
 故に常に眠気は晴れずにいた。だから何時だって寝ているし、その眠りは結局浅いので……と悪循環を繰り返す。

 お陰で銀閣はいつも夢を見る。
 内容は様々だが、それらは決して起きていては見れないモノばかり。起きて見る夢など当の昔に失っている銀閣にとっては唯一見ることの出来る夢だが、やはりそれも不毛。
 何故ならそれは所詮幻影でしかなく、見て得られるモノなど何一つ無いのだから。



 ふと、銀閣は目を覚ました。
 最初に目に入ったのは容赦なく照りつける太陽。周りに広がる青空とそこに浮かぶ白い雲。そしてそれらを遮るように青々と茂った木の葉。
 どうやら、木陰で居眠りしていたらしい。

 違和感。
 何かが違う、銀閣がそんなことを思ったとき、横から騒がしい声が聞こえた。
 どうやら自分はこの声に眠りを妨げられたのかと気付くと、違和感より不快感のほうが先にたつ。

「旦那! 銀閣の旦那! いい加減起きてくださいよ!」
「うるせえな。 アンタのうるせぇ声でとっくに起きてるよ」

 男は現在銀閣が雇われている所の下っ端だった。
 銀閣のような輩を雇うだけあって、ならず者共の集まり。そこの下っ端となるとチンピラと呼ばれる類の人種だった。

 それでも、人斬りの銀閣を雇ってくれているのには変わりなく、眠りを邪魔されたというくらいの理由で斬り捨ててしまうわけにはいかなかった。
 それに銀閣を恐れずに声を掛けてくる貴重な人間である事も斬らない理由だった。

「それで? 一体人の眠りを邪魔してまで何の用だよ」
「おお、そうだった。 それがですねどうもウチと敵対してる組が近々大きな動きを見せるって情報を入手したんですがね。 何分情報が不確かな上に、一体何処の連中が何時、何を企んでんのかも分からんって有様ですが、一応旦那にも働いてもらう事になるかもしれねえんで耳に入れておこうかと思いまして」
「そんないい加減な情報のためにいちいち俺を起こしたのか?」

 気だるそうでありながらはっきりと苛立ちを含めた声音でそういうと身を起こして、涼んでいた木陰から抜け出す。
 途端にキツイ日差しに晒されるが覚悟してたほどの熱気は襲っては来なかった。というか、何だか暑さだけでなく全体的に感覚があやふやに感じた。剣士としてはあるまじき事であるが、まさか起き抜けで感覚が鈍っているのではないかと銀閣はいぶかしんでみるが、別に不調といった感じはしなかった。

 現に思うように刀を振るうことが出来た。

「あれ? え? ええええ!?」

 すっぱりと、男の着流しの裾が斬れた。
 何の前触れも無く、事情を知らぬ者が見れば妖怪鎌鼬の仕業かとも思ったかもしれないが、男にはそれが誰の仕業なのかを知っていた。見えずとも見聞きしている故に知ってはいた。

「ちょっと旦那! 何するんですかい!?」
「眠いから八つ当たりした。 起こしたのはアンタなんだ、そんくらい良いだろうが」

 悪びれもせず言う銀閣に、男は口を何度か金魚のようにパクパクと動かしていたが、結局は諦めきった溜息しか漏れてこなかった。小声で「ひでえよなぁ、こええよなぁ」などとも言っていたが、銀閣は気にも留めずに歩き出していた。
 男は慌てて銀閣の後姿を追う。別にもう用事は済んだ以上は銀閣に付いてくる必要は無いはずなのだが、何故かこの男はよく銀閣の周りをうろちょろと付きまとう。

「ちょっと旦那。 どこへ行くんですかい?」
「寝直す前に八つ当たりをしに行くんだよ。 とりあえず八つ当たり出来そうな連中がいる所に案内して貰おうか」

 一瞬何を言われたのか判断できなかった男は戸惑ったが、言わんとしてるところを理解するとニヤリと笑う。
「やっぱ銀閣の旦那はひでえよなぁ、こええよなぁ」

 そう言って、銀閣を追い越して前に出る。
 その背中を眠たげに眺めた銀閣は、直ぐに飽いて空を見上げた。



 目に映ったのは赤く染まった葉っぱだった。
 血の様な赤という言葉があるが、果たして今まで自分が斬ってきた時にでた赤はこんなに鮮やかだったろうかと銀閣は思う。思うが、一々そんな事を憶えていないので比べようがなかった。

 違和感。
 また違和感が付いて回る。

「いやあ、見事な紅葉ですね旦那」

 男は銀閣の斜め後ろに立って同じように紅葉を見上げている。
 口では見事と言いながら、その口調はどこか固い響きがあった。

「この紅葉は来年も見れるんでしょうかね」
「さあねぇ」

 因幡砂漠の拡大。
 突如発生したその自然災害にこの鳥取藩は揺れていた。

 相手は自然だ。
 どんなに頭を悩ませたって騒いだってどうしようもないというのにそれでも人は悩み騒ぐ。

「聞きましたかい? どうやら大勢の人間がこの鳥取藩を逃げ出してるって話ですぜ」
「知ってるよ。 こんだけ騒がしいんだ、知りたくなくても耳に入っちまうわな」

 お陰で寝不足だ、とぼやいた。
 それにいつもなら笑う男は、しかし固い口調のまま続きを告げる。

「その中にはなんとここの藩主様も含まれてるらしいですぜ」
「へぇ、そいつは驚いた」
「本当に驚いてるんですかい? どうもそんな風に見えないし聞こえませんよ」
「驚いてるさ。 しかし、それじゃああのでっかい建物が今は空き家ってわけかい」
「いや、体面や示しもあるでしょうから、何人か家臣はのこってるでしょうけど、まあそれも時間の問題でしょうがね」

 ふぅん、と頷く。
 銀閣の先祖が一万人斬りなどという所業をしても、それでも在り続けた藩が崩壊していく。並外れ技術を所有するわけでもなく、ただただ広がり続ける現象によって。

「どうです、旦那? 旦那の何でも斬れるって触れ込みの刀で因幡砂漠を斬っちゃもらえませんかね」

 まるで心中を見透かされたかのような言葉に銀閣はちょっと驚いた目で男を見る。
 見られた男も、まさか銀閣がそんな目をするなんてしかも自分に向けられるとは思ってもいなかったようで、更に驚いたように目を開く。やはり、心中を読んだわけでもなくただの偶然のようだ。

「砂漠を斬るねえ。 そいつは一万人斬りより難しいだろうよ」

 反逆行為を行いながらもそれでもふてぶてしく因幡の地に住み続けた金閣ならば砂漠を斬っただろうかと、銀閣は思いを巡らせた。金閣ならば恐らくやったであろうという不思議な確信を銀閣は憶えた。
 藩主に、将軍に逆らい、それでも因幡の地に居座ったのは挑発でも酔狂でもない。ただこの土地が好きだったのだろうと、漠然とだが今の銀閣は理解していた。だから、金閣ならばこの土地を守るために砂漠相手にも刀を振るっただろうという確信を持てたのだ。

 だが、しかし、そうなると自分は一体何のために刀を振るっているのだろう?

 そんな思いと共に銀閣の意識は沈んでいった。



「銀閣の旦那。もう駄目だ」

 男が銀閣にそう告げた。
 いつも銀閣の後ろを付いて回った男が銀閣と向き合う形で立ち、悔しそうに苦しそうに告げた。

「もうこの藩はお終いだ。 砂漠の拡大はもう誰にも止められない。 いんや、最初から誰かに止められるもんじゃあなかったんだよなあ。 もうこの藩の運命はとっくの昔に決まってたってえわけだ」

 砂漠の砂ように乾いた笑いが男の口から漏れた。
 その笑いに、今更ながらこの男もこの土地が好きだったのかと、銀閣は理解した。
 理解した上で問う。

「それで?」
「それでって、旦那」
「アンタはわざわざそんな分かりきったことを話すために俺の眠りを邪魔しに来たのか?」

 銀閣の言葉に男は唖然とした。だが、その顔は直ぐに崩れた。
 泣いているような怒っているような感情が顔から噴出しようとして蠢いているようだ。

「いい加減にしてくれ、旦那! もうこの土地は駄目なんだ! もうここは人が住んでいられるような土地じゃないんですよ! この土地を離れて他所へ行きやしょう! ちったあ知り合いのツテもあるそれを頼りに――」
「去りたければ黙って去ればいいだろ。 俺はここに黙って残る」

 銀閣の言葉に、今度こそ男の顔にははっきりとした感情が表れた。
 それは耐え難い怒りだ。

「何でだ! 何でそこまでしてここに残ろうとする!? ここはもう俺たちの街じゃない! いや、そもそも人間の土地じゃなくなっちまったんですよ! これ以上ここにいたってなにもありゃあしないんだ!」
「だから、そう思うならさっさと去れば良いだろ。 行き場所に心当たりならそこに行きなよ。 俺には――ここ以外に生き場所がないんだよ」

 ようやく男も理解した。
 もう銀閣に何を言っても無駄だという事を。

「旦那が気位が高いのは知っちゃあいましたが、ここまでとは思いませんでしたよ」
「気位? はは、面白いこと言うね、アンタ」

 こんな状況で本当に気分が良さそうに銀閣は笑った。
 男もこんな状況でなければ、自分がそんな笑いを引き出せたことを誇りに思っただろう。

 だが、現実には状況はこんな有様だった。
 だから――。

「だけど、もうここには何にも無いんだよ。 かつて賑わっていた道も! そこに並んでいた屋台だって! 旦那が昼寝のときに日除けに使っていた木も! そもそも道端に生えている草一つだって無いんだ! 人も動物も植物も! 何も! 何もかも無くなっちまったんだよ!」

 だから、男は口にしてしまった。
 決して言うべきではなかった一言を。

「もう守るべきものなんて何一つ――!!」

 しゃりん!

「――――」

 男の言葉は唐突に途切れた。
 いや、本当に途切れたのは言葉なんかではなかった。

「確かにアンタの言うとおり、ここには何もありゃあしないよ」

 ずるり、と男の体がズレた。

「こんなところに残ったって何もなりゃあしないだろうさ」

 ずるりずるりと男の体のズレが大きくなっていく。

「だけどな、それでも斬刀こいつ因幡ここだけは守らなきゃならねえんだよ。 それがアンタの言う所の気位なのかは分からんがね」

 グラリと男の体が揺らいだ。

「――秘剣、零閃」



 からり、と音を立てて襖が開く。
 その音と、差し込んできた僅かな光に銀閣は目を覚ます。

 なんだか懐かしい夢を見ていたような気もしたが、珍しい事でもないのですぐに頭の中から消し去った。
 どうせいつも夢は見る。
 浅い眠りしか出来ない銀閣には、夢を見ないほどの深い眠りはここ数年無縁な代物だった。

 襖を開けて姿を現したのは真っ白な忍装束に身を包み全身に鎖を巻きつけた男だった。
 忍装束を着ているのだから忍者なのだろうが、果たしてこの目の前の存在を忍者として認めてよいものか、銀閣には判断が付かなかった。まだ、忍者の真似事をしているうつけ者というほうがしっくりとくる。

 いずれにせよ、銀閣にとって面倒な客である事には違いが無かった。
 銀閣は眠気を隠そうともしない顔で這入ってきた珍客を見やった。

 そして、思うのだった。

 ああ、早く寝たい、と。



 この後の展開は皆様ご存知の通りでございます。もしも本編をご覧になっておられない方がいらしましたら、是非とも本屋かDVD販売店へお急ぎください。まあDVDはレンタルという手もありますけどね。
 さてさて、捏造構造妄想暴走物語。
 刀語外伝、剣士語!
 第二話はこれにて終幕とさせていただきます。



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