これは夢だと気が付いた。
 それと同時に彼は夢を見ているという事実に衝撃を受ける。
 夢、それに対しての意見はそれぞれだろうが大きく分ければ二つ。 人が寝ている間に見るもの。 人が生きるための目標として見るもの。
 どちらも人が見るもの。
 この身はすでに人の物ではない。 世界が死んだあの日に、人間である彼も死んだ。

 そして、彼は悪魔として生まれ変わった。

 例えこの身が悪魔に変わっても心まで悪魔となったつもりは無かった。 だって自分の心はまだ昔のままでこの身に宿っているのだから。
 しかし、彼をとりまく状況は確実に彼の心を蝕んでいった。 戦いに次ぐ戦い。 幾つもの命をこの腕で奪ってきた。 初めのうちは抵抗があったその行為も殺らねば殺られると言う状況において次第に薄れていった。
 心を許せるものももはや居ない。 家族や多くの友人は世界と共に死んだ。 わずかに生き延びた者達もいまや彼にとってより大きな障害にして害悪でしかない。 心は擦り切れ、疲弊し、形を変えていく。 否、もとより心とは形の無いもの。 ただ変質していくのみだ。


 もはや夢を見る心など無くなったと思っていた。

 君の心はまだ完全に無くなった訳でも、悪魔になったわけでもない

 見るはずの無い悪魔の夢にその声は響いてきた。



修羅の隣




 夢に現れたのは彼と対して歳の変わらない一人の少年。 これといった特徴も無いのが、不可解さを際立てる。
 唯一つ。 その腕に一体化しているようにつけられたコンピューターを除いては。

 僕が誰なのか、それは名乗るつもりは無い。 だが、かつて君と同じく混沌の堕天使に目をつけられた者とだけ言っておく。

 彼には少年が何を言っているのか理解できない。 出来ないはずなのにその言葉に体はざわつく。 拒絶する様に、歓喜する様に。
 少年はそんな彼の様子に気付いているのか、気付いていないのか、構わず一方的に告げる。

 さっきは君の心がまだ完全に悪魔になった訳ではないと言ったが、それもこのままでは時間の問題だ。 本当なら君がどう生きようとそれは君自身の人生なのだから僕がどうこう言う筋合いは無い。 だが、今回の件はそうも行かない。 君の選択が君の人生、この世界のみならず他の世界にも大きな影響を与える。

 少年の憂いを秘めた目が細まる。
 瞬間、彼の背筋に寒気が走る。 妖気とは違う、しかし圧倒的なプレッシャーが目の前の少年から放たれている。
 この感じはまるであの死を司る魔人たちと相対した時と同じ、あるいはそれ以上の嫌な予感だった。

 だから、今ここで君を試させて貰う

 少年が彼へと駆ける。 ゆるやかに、されど素早く。
 その手にはいつの間にか握られた一振りの刀。

 彼の動揺も一瞬。
 殺さなければ殺される。 それは今までと何が変わるわけじゃない。
 故に思考の切り替えは一瞬。 彼は少年を殺す。

 煌めく白刃。 その軌跡は彼の首へと伸びる。
 その一撃は正に閃光の如き速さを誇る。
 しかし、少年の刀が切ることが出来たのは彼の残像のみ。 上体を反らして閃光の一撃から逃れる。
 だが、少年の斬撃はその一撃では終わらなかった。
 上体を反らして斬撃を交わした姿勢のところに、さらに踏み込んだ次の一撃が、その肩口を捕らえた。
 走る鋭い痛み。 悪魔の硬き体は、斬られこそしなかったが、その一撃は確かに、打撃ではなく斬撃のそれだった。
 さらに加えられる三の太刀。 胴を薙ぐ一撃が入った。 その瞬間、彼は本気で自分の体が、綺麗に二つに分かれたような気がした。
 しかし、実際に繋がっている以上――いや、例え繋がっていなくても、この身に意思と力が残っているならば、その拳を振るうだけだ。
 それが今の自分の在り方なのだから。
 数多の悪魔を砕き、破壊し続けた拳を、叩きつける。

 だが、少年はその一撃を彼の懐へと飛び込むことで回避する。
 まるで、最初からその一撃が来るとこを知っていたかのような、スムーズな動きだ。

 互いに次の一撃を放ちにくい密着状態から、しかし一瞬の迷いも無くお互い動き始めた。
 彼は少年を体から離すように自身の体を捻る。 その捻りをそのまま次の一撃へと繋げる。
 少年はさらに彼の体へと潜り込む。 体勢を低くして、より深くへと。
 限界まで体を捻り、蓄えられた力を一気に叩き付けるように拳を打ち下ろす。

 だが、乾いた轟音と共に衝撃が走ったのは彼のほうだった。
 さらに二度、三度と襲う衝撃に思わず飛んで距離を開ける。
 そして彼は見た。 少年の手に握られた人が生み出した凶器を。

 彼の無骨な凶器の名は銃。

 少年はさらに続けて少年に向けて発砲。
 しかし、距離を置いてさえしまえば彼も銃弾をかわすことは不可能ではない。

 幸か不幸か、銃を扱う敵と戦うのはこれが初めてではない。 キザったらしい一人の悪魔狩人との戦いが経験となって彼を助ける。 決して感謝したくは無いが。

 少年も最初からこれだけで倒すことが出来ないと分かっていたのか、銃でけん制しつつ再び刀を走らせる。
 この少年、彼が今までに戦った敵の中で最速と言うわけでもなければ、力が非常に強いわけでもない。 過去に戦ってきた敵と比べれば、少年のそれらの能力は、平均か、それより少し上くらいなものだろう。 少年よりも速い敵、力のある敵は何度も戦ってきた。

 だが、巧さは群を抜いて高い。

 今まで戦ってきた敵の中でもダンテの技術の高さには苦戦させられた。 事実痛み分けに持ち込むのがやっとだった。 正直今度戦ったら命をとられるかもしれないとも思う。 振るう剛剣は己の腕力と剣の重量、そして振るう遠心力を巧みに活かし敵に叩っ切る。 一見無駄の多いと思われるトリッキーな動きも自らの俊敏性を最大限に活かし相手を翻弄する。 あれが長い間、一人で悪魔を狩り続けてきた経験から生まれたものなのだろう。
 それに対してこの少年は決してダンテのように力を生かしているわけでも、俊敏さを武器にしているわけでもない。 ましてや、こちらの意表を突いてきている訳でもない。 この少年の特筆すべき点は戦闘の技術ではなく、組み立ての巧さだ。 敵の動きを正確に把握して、動きの一つ一つが相手を確実に追い込んでいく。 明らかに戦いなれている、それも自分より強い敵と。 その事だけでも、この少年が潜り抜けてきた修羅場が想像を絶する証拠だ。
 しかし彼とて今まで幾つモノ死線を越えてきた。 それは確実に彼自身に力をつけ、また彼もその力に自信を持っている。 それは決して自惚れのつもりは無い。 刃と銃弾に翻弄されながらもそれは揺るがない。 現に、並みの悪魔ならすでに数十回は殺されているだろう刃を、銃弾を凌ぎ切る。

 彼が降らせた雷の雨を掻い潜り、少年は刀を走らせる。
 一の太刀。 袈裟斬りをバックスッテップで回避。
 二の太刀。 下からの掬い上げる様な一撃を半身ずらして回避するが、バランスが僅かに崩れる。
 三の太刀。 咄嗟に出した腕に刀のするどい衝撃が走り、斬撃はそこで止まる。

 そう、少年の斬撃は最大回数三回。
 それをこの戦いの中で彼は悟った。

 訪れた好機を逃すまいともう片方の腕で少年を殴りつける。
 さすがに少年も回避することが出来ず、まともに食らい吹き飛ばされる。

 だが、浅い。

 僅かばかりとは言え、自ら殴られる方向へ飛ぶことで、その打撃を軽減させた。
 どうにか回転しながら、衝撃を殺した少年は、すぐに起き上がる。
 そこへ彼の追撃が迫る。
 少年もまた逃げずに彼へと斬り込む。

 奔る刃。 轟く銃声。 唸る拳。 炸裂する魔法。
 先の見えぬ戦い。 互いに決定打を与えられず、体力だけが削られていく。 ただ、戦いの苛烈さが増していくばかり。
 だが、その均衡は唐突に崩された。
 少年は距離をとると、構えを解き彼を見据える。

 さすがだ。 やはり確実に力を付けて来ている。 僕も本気で挑もう。

 少年は自らの腕に装着されているキーボードをすばやく叩き始める。
 すると少年の眼前に魔方陣が展開された。
 そしてその中から獣の咆哮が響く。
 現れた獣は獅子のような鬣を持つ、純白の獣。
 魔獣ケロベロス。

 パスカル、GO!!

 少年の掛け声に応え、白き獣は彼に向かって疾走する。
 今更ケルベロス――なぜか少年はパスカルと呼んでいたが――が呼び出されたところでどうなるものでもない。 ケルベロスなど数多血祭りに上げてきた。 今更そんなものが出てきても鬱陶しくはあってもさして気にするような相手でもない。 そう、ケルベロスだけなら。
 ケルベロスの爪を回避した彼の体の中に冷たい何かがスッと通った。 それが何であるかなんて気付くまもなくそこが今度は燃えるような熱を持った。
 目の前には赤色。 それが何であるか理解したとき、彼はそれが自分の体に未だに残っていたことに驚きを感じた。
 少年の刃によって切り裂かれた体の下から噴出した真っ赤な血。 人間の証明のごとくそれは噴出する。

 しかし、体は意思とは関係なしに次の動きに入っていた。 悪魔の体だからなのか、それともこれまでの戦いに明け暮れた日々の習性か。
 魔力で生み出した剣を振りかざし、渾身の力で振るう。
 もう体から流れたそれは止まっていた。
 発生した灼熱の衝撃波が少年とケルベロスを襲う。
 が、少年の前にケルベロスが立ち塞がり剣撃を全て受け止めた。 物理攻撃に耐性を持つケルベロスだから出来る戦法だ。 
 少年はその隙に彼へと肉薄する。
 彼の喉笛へと突き出された刀は寸前で首を捻ることで避けられた。
 しかし続けざまに首を薙ぐ一撃が繰り出される。
 もはや回避不能のその一撃に今まで感じたどれよりも明確な死の恐怖、生への脅威を感じた。

 う、おおおぉぉおお!!

 雄叫びとともに拳で刀の腹を叩き上げた。
 次の一撃が来る前に跳んで少年と再度距離をとる。
 そこで、ようやく、思わず赤く染まった自分の体を見た。
 先ほどまで止まっていたはずのそれは今また流れていた。
 どくどく、と死んでいない証のように。
 どくどく、と生きている証のように。
 どくどく、とまるで、まるで――の証のように。
 少年から距離をとったことで集中力が緩んだその一瞬に強い衝撃で弾き飛ばされた。 ケルベロスが彼の死角から猛烈な体当たりをかましたのだ。

 この一人と一匹のコンビネーションに死角は無い。 そんなこと分かっていた。 分かっていたはずなのに油断した。
 たかがケルベロス一匹? 何を持って自分がそう思ったのか。
 群れを成す相手とはいくらでも戦ってきた。 そしてその全てを屠った。 数は多くてもどいつもこいつも自分が喰らおうとして結局はバラバラだ。 中には統率されている連中もいたが指令塔を倒せば後は簡単に崩れる。 所詮弱者が群れているだけ。
 だが今目の前で相対しているのは全然違う。 間にあるのは力による主従関係ではない。 そんなものではこうまで速く動けない。 互いが互いの力を信頼し、補い、協力し挑む。
 その姿はまるで友のよう。 その関係は正しく仲魔。

 勝てない。 直感的にそれを感じた。
 いかに強大な力を持とうと、それが独りの力では決して太刀打ちできない、と。
 自分ではこの敵に勝てない。

 …………

 わずかに、彼の耳に何か音が聞こえた。
 この戦闘によって生み出されるのとは違う。 しかしこの戦闘に欠かす事が出来ないと直感させる音。
 それに気を取られている間にケルベロスの放った業火に身が焼かれる。
 やはり自分では無理だ。 家族も友達も先生も全てを失って独りの自分には。

 ……ぃ……よ……

 少年の刃を受けながら聞こえたそれは明らかに何かの声として聞こえた。
 ほとんど聞き取れないがその声がひどく憤慨していることだけは不思議と分かる。
 そんな訳がない。 自分に語りかけてくる存在など敵以外に居ないはずだ。 それなのに。

 ……に……てん……よ!

 その声は暖かい。
 自分に対して酷く怒っていても、責めるような声だけど、その声は心地よい。

 ……に……てん……よ! あ……た……ぁ!

 薄れ掛けた意識の中、さっきよりもはっきりと聞こえる声は幼い女の子の声だ。
 ああ、そうだ。 この声は――。
 ここに来て彼はようやく声の主に気が付いた。

「ピクシー!?」
「何してんのよ!? あんたは!!」

 彼の眼前、彼と少年の間に雷が落ちた。
 そこには背中に虫のような羽を生やした少女が姿を現していた。

「どうして、君が、ここ、に?」
「どうしてもこうしても無いわよ! 何だかよく分からないけどあんたが泣き喚いてる気がして、そのくせアタシたちを呼ぼうともしないからこっちから来てやったんじゃない!!」

 呆けたように問う彼が気に入らなかったのか怒りのボルテージを上げて怒鳴り声を上げる。

「大体最近あんたどこかおかしいのよ! なんだかぶすっとして、アタシや他の皆が声をかけたって知らん振りじゃない! 何? あんたもしかして少し強くなったからってアタシ達より上に立ったつもり? 何勘違いしてんのよ!? あんたはアタシ達が居なきゃ、独りじゃ何も出来ない駄目駄目君じゃない!! ああ! ほら! 何よその傷は!? 何でこうなるまで誰も呼ばなかったのよ!? 独りで戦えるとでも思ったの!? 自惚れてるんじゃないわよ!! あんたなんかアタシ達が居なかったらとっくの昔にくたばってるよ!! まったく今回のことは良い薬だよ!」

 何気に結構へこむことをマシンガンのように口にしてくれる。

「そうだな。 まったくその通りだ。 何を思い違いしてたんだろうな」

 それに彼の口元に本当に愉快そうな笑みが浮かんだ。

 彼女が君の仲魔か

 今まで黙ってそのやり取りを見ていた少年が、問いかけるように、確認するように言う。

「何なの? あいつ」
「敵、かな。 それも酷く強くてね。 どうも独りじゃ勝てそうにない」

 少年を見据えてピクシーに言う。

「だから、手を貸してくれないか」
「仕方ないわね。 手伝ってあげるわよ」

 それが決着への合図となった。
 駆けるケルベロスへピクシーが電撃を放つ。 それは避けられたがそこへ彼の拳が決まり、ケルベロスは後退する。
 それと入れ替わるように少年が疾走する。 目指す先はピクシー。
 ピクシーも刀を喰らって大変と、上昇して逃げる。
 少年は銃を取り出すと駆け寄って来ていた彼へと発砲。
 彼は両手をクロスして顔面を防御するが、その隙に先程のお返しとばかりにケルベロスの爪が薙ぐ。
 受けたダメージはピクシーが即座に回復する。
 彼が自分の内に力を溜めだした。 濃縮された力の渦が彼の周りに巻き起こる。
 ピクシーの放った電撃により少年とケルベロスは一時的にその動きが止まった。
 その最高のタイミングに彼が蓄えた力を一気に解放する。
 彼の放った幾条もの光の帯が少年とケルベロスを巻き込み、世界を光で染め上げた。



 気が付けば彼はターミナルの部屋で倒れていた。
 体のあちこちが痛んだが、起きて辺りを見回してみる。 そこはやはり何の変哲もない見慣れた場所だった。
 やはり先程のは夢だったのだろうか。

「ピクシー?」
「う、うーん」

 近くでうめき声が上がる。 見てみると彼女も自分と同じようにこの部屋で倒れていた。

「大丈夫かい?」
「あれ? 何でこんな所に? さっきの奴は?」
「君も憶えてるって事は、やっぱり夢じゃなかったみたいだね」

 結局あの少年が誰だったのか分からずじまいだったが、少年が何を試したかったのかは何となく分かる気がする。 そして自分がここにこうしているということは多分合格だったんだろうと、思っておくことにした。

「ちょっと、何ボケーっとしてんのよ?」
「え? ああ、ごめん。 ちょっと考え事してた」
「考え事も良いけど、先にアタシに言う事があるでしょ」

 確かにその通りだ、と彼は苦笑した。
 仲魔だからこそそういう事はきちんとしなくてはいけない。

「さっきは助かったよ。 ありがとう。 今後ともよろしく」

 こうして彼は再び険しい修羅の道を歩む。
 だが、決して心を失うことはない。

 信頼できる友と一緒なのだから。





寝言

なんとなく突発的に思いついたネタです。
出自などを考えればアレフの方が適切なのかもしれませんが、彼は書きづらいのでこちらに逃げました。
ちなみに私は一番最初のEDは坊ちゃんEDでした。



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