後悔している?    良いじゃないか後悔できないより




   

 四条通りを歩く。
 最初に感じた殺気は冷たく鋭さを感じたが、今は殴りつけるような圧力に変わっている。
 時刻は夜の8時頃、四条通りには多くの人が行き交っている。 最近の状況により普段の人手よりも少ないが、それでも俯瞰した視点で見ればぶつからずに歩けるのが不思議に思えるくらいの人達が歩いている。
 最近の状況ーーそれは京都を騒がせている連続通り魔事件。
 今のところ発表されているだけで6人もの人間を惨殺せしめた通り魔が未だにこの街にいる可能性を考えて、少し早めに帰る者、暗がりや人通りが少ない場所を避ける者も居るのだろう。
 しかし、そんな彼らは分かっているのだろうか。
 ぼくの後方数メートルに、自分たちの身近にその通り魔が居るということを。
 今すれ違ったこのぼくが7人目の被害者になろうとしているということを。
 誰だってそうは思わないだろう。
 仮にぼくがすれ違った相手が通り魔に狙われていたとしても気付かなかったろうし、同じアパートの住人が狙われるとしても知ることは出来ないだろう。
 これを他人への無関心などという人は居ないだろう。 誰だって他人のすべてを把握することなんてできるわけがない。
 所詮、己と他人はただそこに居るというだけで、同じ世界を視て感じているわけではないのだ。
 やがて鴨川にかかる四条大橋へと辿り着く。
 当然だが後方から感じる殺気もしっかりと着いてきている。
 観光地と繁華街を繋ぐその橋の上は未だに多くの人が行き交っているのが見える。
 だがその下、人々が行き交う足元、明かりのない河川敷、しかも上野通りからも左右の鴨川に面した飲み屋からも司会が遮られる橋の下ともなれば、話は別だ。
 他人の存在がなく、視線も遮られる、事を起こしても邪魔にならない最適な場所だろう。
 街の明かりを背に受けながらぼくは四条大橋横の階段を降りる。
 当然後ろの奴も付いてくる。
「ーーーー」
 覚悟を決めて降りきった先、鴨川の明かりが乏しい河川敷ーーそこに完全にぼくの想定外があった。
 何故かそこには大勢の人達が集まっていた。
「ーーーーえー、と?」
 京都に住んでから1年も経っていないけれどもぼくの記憶ではこの時間、この場所は人気がないはずなのだけれども。 それとも所詮はぼくのポンコツな記憶力による間違いだろうか。
 しかし観光地に事欠かないこの京都ではあるけれども、鴨川の河川敷もそれなりに有名ではあるが何でこの時間にこんな大勢いるんだ。 何か真っ暗な橋の下にもかかわらず写真取っている人も居るし。 何か本とか人形? それにキーホルダーっぽいのを掲げながら撮影している人までいる。
 完全に想定外の光景に言葉を失いながら、もう殺気が霧消してしまっている背後にゆっくりと振り向く。
 小柄な体躯に、白く染まった髪はサイドを刈り上げており後ろは一つにまとめて結んでいた。 耳にはピアスと何を考えているのか携帯のストラップを付けている。 一番目を引くのはスタイリッシュなサングラスを付けていても隠しきれない、顔面右側に彫られた禍々しい入れ墨。
 それ以上に感じる違和感。
 まるで違う見た目なのに、鏡に映った像が立体としてそこに現れているような気持ち悪さ。
 だが、それすらもこの状況では薄れてしまっていた。
 恐らくそれは相手も同じだろう。 完全に毒気ならぬ殺気が抜けた様子で苦笑いを浮かべていた。
「ーー傑作だぁな」
「ーー戯言だろ」
 いやはや、世の中思うようにいかないもんだね。
   




寝言

2022年邂逅記念日に聖地巡礼した際に思いついた1発ネタです。
実際に現地で、結構な人があの日にあそこに居ることを楽しんでいたのを思い返して、
本人たちがこの現場に来てこんな状況になってたらどうするのだろう、と思いついてしまった一発ネタでした。

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