「咲かなければ散らずに済むのにね」
   「でも咲かないと間引かれるよ」




   

 その日、ぼくは玖渚に呼ばれて彼女の住む城咲のマンションに来ていた。
 相変わらず現実を嘲笑うかのような巨大なマンションにぼくは今更圧倒されるでもなく、すでにこちらの顔を憶えているだろう警備員に軽く会釈し(もっともぼくは相変わらずの記憶力で彼らの顔を憶えられていはいないのだけれども)入っていく。
 エレベーターに乗り込みキーを使い目的の32階を押して、高速で目的地に向かっていく階数を見ながらぼくは考えを巡らす。
 さて、こうして呼ばれては来たものの、話して玖渚はぼくに何のようなのだろうか。
 まあ特別な用事がなくても会いに来ることはあるが、何というか電話越しでのあいつはいつもより少しテンションが高いように感じた。
 あいつの少しテンションが高いは常人のハイテンションよりも高いので正直電話の時点の話では要領を得なかったが随分と浮かれていたのだけは伝わってきた。
 あいつが楽しいのはいつものことだけれども、それにしてもえらく急かされた気がする。
 ぼくの思考などお構いなしに無情にもエレベーターは目的の階までぼくを運び終えたようだ。
「機械なんだから情なんて無いのは当たり前だけど」
 うん、目的のためだけに存在して悩むことのない機械のあり方は羨ましく憧れてしまう。
「まあ、戯言だよなあ」
 ぼくは階を降りると玖渚が居る部屋を探して回る。
 あいつが所有しているのは一部屋どころか31階と32階の丸々ツーフロアだ。 居住区は32階のみとはいえその広さはぼくが住むアパートすべての部屋を足した以上の広さだ。
 あいつは一方的に喋るだけ喋るから一体どこで待っているのか事前に伝えてくることは稀だ。
「おーい、友。 ぼくだ。 どこに居る?」
「おー、いーちゃん。 こっちなんだよ!」
 声を上げながら探し回っていると玖渚の返事があった。
 聞こえてきた方に当たりをつけて探していくが、迷路のような構造なためそう容易にはいかない。
 過去の経験からどうにかこうにか玖渚が居るであろう部屋を探してたどり着くと
 ーーそこには外が広がっていた。
「えっと?」
 青々と茂る芝生に天には高く突き抜けるような青空。
 その間には薄紅色の花が咲き誇る桜の木々が立ち並んでいた。
 なんだ、これ?
 今ぼくがくぐってきた扉はどこでもドアだったのか。
 玖渚のヤツついにそんなものまで作り出したのか。
「あははは、いーちゃん面白い顔ー!」
 ぼくが軽く混乱していると散って舞う桜の花びらの先に玖渚が楽しげに笑っていた。
 ん? 桜吹雪?
 そういえば、桜が散ってい舞っていると言う割には風を感じられない。
 つまり、これはーー。
「ああ、プロジェクションマッピングとかってやつか」
 話には聞いたことがある。
 天井や床に映像を投影して魅せる技術だとか。
「せいかーい。 僕様がオリジナルで作ったんだよ。 リアルな解像度だけじゃなくより立体的に見えるよう工夫したんだよ。 いーちゃんの反応が見れただけでも頑張ったかいがあったんだよ」
 なるほど、玖渚のやつが自作した装置だったか。
 いくら技術が進歩したからと言っても、こんなまるで外の風景を切り取って持ち込んだようなレベルのリアルさで投影するほどではなかったはずだ。
「なるほどね。 今回の呼び出しはこいつのお披露目だったわけだ。 なんだよ、なんだよ。 てっきりぼくはお前がどこでもドアを作ったのかと思ったぞ」
「うにに。 さすがの僕様ちゃんでもドラえもんの道具を再現するにはまだもう少し時間がかかるんだよ」
 時間さえあれば可能なのかよ。
「それに別に僕様ちゃん、外に出かける用事なんてほとんどないしね」
 それもそうか。
 いつかの絶海の孤島や研究所に行くなんてイベントのほうが稀なのだ、この極度の引きこもりは。
「でもだったらなんでこんな大掛かりな装置を作ったんだよ」
「うに、作りたかったかだよ」
 それもまた玖渚らしい返答だった。
「それにいーちゃんとお花見してみたかったしね。 ほら、早くこっち来て早く座ろうよ。 お菓子もジュースも用意しておいたからさ」
 お花見ね。
 ぼくもあまりしたことはないけれども、この時期の風物詩くらいは流石に知っている。
 人付き合いが良い方でもなければ人が多いところは好きではないので、あまりというか行った憶えがないかもしれない。
 とはいえ、たしかに玖渚が用意してくれたバーチャルなお花見ならそれらの心配も不要だろう。
 風情云々を言う人もいるかもしれないけれども、そんなことを気にするような風流な人間でもないしね。
 大体にして花見自体も風情を楽しむようなものではなさそうだし。
 ぼくは玖渚に呼ばれるままに玖渚の横に座ることにする。
 なるほど、歩いてみて更に座ってみればこれが実際の芝生ではなく投影されたものであることがわかる。 逆に言えばそうでもしないと判別がつかない映像ということになる。
 そんなものを作り出したのがお菓子の底抜けに明るく天井知らずにテンションが高い小娘などと信じられないだろう。
 ぼくは玖渚の手からお菓子の袋を開けてやりながら、映し出された桜を見上げる。
 風こそ感じないものの目を楽しませるには十分な景色ーーいや、映像を見ながらぼくも適当にペットボトルを手に取って飲み物を口に運ぶ。
 ぼくはそんな風流な人間では決して無いのだけれどもそれでも、これが人工物だと知った上で、だからこそ見事だと思う。
「そうそう、今日いーちゃんを呼び出した用事がまだだった」
「ん? 花見がしたかったって訳じゃないのか」
 玖渚の言葉にぼくは頭に疑問符を浮かべる。
 はて、てっきりこのプロジェクションマッピングによる花見が目的だと思っていたが違うのか。
「いーちゃん、いーちゃん。 今日が何の日か憶えてないのかな」
「んー? いや、なんかあったっけか」
 玖渚の精密機械のような記憶力と比べるまでもなく、ぼくのポンコツな記憶力では今日が何の日だったかというのは心当たりがない。
 わざわざ玖渚が呼び出すような用事に関わるような日って何かあったか。
「いーちゃんの記憶力じゃあ仕方ないかなー。 記憶力だけじゃなくいーちゃんそういうのに関心ないもんねー」
 つまり今日、ぼくはぼく自身が関心がないような事柄のために呼び出されたわけだ。
 まあ玖渚の我侭につきあわされるのは今に始まったことではないので構わないが、言い方からしてぼくが興味がなくてもぼくに無関係というわけではないらしい。
 ここまでヒントを出されてもまったくピンとこない。
「いーちゃん、お誕生日おめとうなんだよ!」
「ーーえーと?」
 誕生日。
 誕生日というのは生まれた日のことだったか。
「そういえば今日だったけか」
「そうだよー。 うひひ、やっぱりいーちゃん忘れてたんだねー」
 いや、さすがにぼくも自分の誕生日がいつかまでは忘れてない。
 ただ、玖渚が呼び出した用事とは結びつかなかったと言うか、誕生日がいつかと聞かれれば答えられるけれども意識しているわけで無いから今日がそうだと気付きにくいと言いますか、誕生日自体は忘れていないけれども今日がそうだということを忘れていたと言われれば、まあそういう意見もあると受け入れなくはないと言いますか。
「戯言だよなあ」
「でもいーちゃんが生まれてきたのは戯言じゃあ無いよ」
 えへへーと笑いながら何が楽しいのか玖渚はぼくにもたれ掛かってきた。
 ぼくが生まれきたことーーそれが戯言でなくなんだと言うのだろうか。
 誰かのためになるどころか、誰にとっても迷惑でしかない存在のぼく。
 それがぼくの生まれてきた意味だとしたら、まだ意味のない人生のほうがマシというものだ。
 ーー生きているだけで他人の迷惑だ。
「いーちゃん、髪くくって」 「ん? まあ構いやしないけどリクエストはあるか」
「んー、じゃあせっかくだからお花見っぽいのとか」
 なんだ、お花見っぽい髪型って。
 ぼくの貧困なセンスでは思いつかないがそういうものがあるのか。
「じゃあ、いーちゃんの好きにして良いよ。 僕様ちゃんからのいーちゃんへの誕生日プレゼント」
「そいつはありがたいね」
 こちらに預けられた体を少し押して間を開けてから玖渚の青い髪を梳いてやる。
 この時間だけはぼくは余計なことを考えずに済む。
 戯言の一つもなく、ただただ玖渚の髪を整えることだけに集中していられる。
 もしこれがぼくの生まれてきた意味だったとしたらどれだけ幸せなことだろうか。
 だけれども、それは思うだけでも罪深い願望だ。
 だからぼくは無心で玖渚の髪を梳く。





寝言

久しぶりの作品はいーちゃんの誕生月SSでした。

戻る