0 死んでも治らないのは馬鹿だけとは限らない 1 出夢は意識が覚醒するとともに首を捻った。首を捻って、首を捻ったことに更に疑問を持つ。 なぜ自分は首を捻っている――捻ることができている。 なぜ自分は意識を保っている――意識が残っている。 なぜ自分は生きている。 自分は死んだはずだ。 腹をぶち抜かれて、腸をネコソギブチ撒かれて。 「だって言うのに、こうして僕が居るのは一体全体どういうことだ?」 おまけにこうして言葉を発することまで出来ている。 まさかあの状況で生き延びる方法があったとは思えない。それとも自分が侮っていただけで、あの情緒不安定な医者はあんな状態になってしまった出夢ですら治療できるほどの腕だったのだろうか。 それはそれで不快だ。 これはこれで不愉快だ。 いや、別にあの医者に対して文句があるわけではない。 だが、自分が生きていたとするならば、あれはただの幻ということになってしまう。 それだけは我慢がならない。 折角会えたと思ったというのに、それがただの錯覚だとは思いたくもない。 「安心して良いですよ……というのも変ですが、あなたは確かに死んでいます。 ですからそんな辺り構わず食い散らかしそうな顔をしないでください」 イライラが募る出夢に水を浴びせるように、涼やかな声が通る。 いや、声の質はどうでも良い。 それよりも問題は声が語った内容だ。 死んでいる、と確かに言った。 いやまあ、確かに自分でも死んだはずだとは思っていたけれども、だったら何故こうして自分は存在しているのか。 そして死者に話しかける声の主は一体何者なんだ。 「ぎゃは、まさかわざわざこの僕を――散々現世で食い散らかしてきた、この《 「おや、意外ですね。 頭脳労働担当は妹さんの方だと聞いていたのですけれども、あなたの方も中々どうして鋭いようですね」 状況が分からないまま、しかしあまり悩むのも得意ではないので、適当に考えもせずただ思うがままに口から出た言葉は、しかしながら予想外にもあっさりと工程された。 そしてその言葉とともに、声の主がようやく出夢の視界に入る。 それもまた奇妙な話だった。 《殺し屋》として弱さを排除し、強さに特化した出夢に対してその姿を隠し通せる相手が果たして居るだろうか。 それこそあの《赤色》や《橙色》でもあるまいし。 だが、馬鹿げた話ではあるが本当にここが死後の世界で相手が《死神》だと言うならば、有り得るのかもしれない。 何故ならば本来ならば《ここ》こそが彼らのホームグラウンドに他ならないからだ。 「はじめまして、で良いんですかね。 お互い言葉を交わすのはコレが初めてだと記憶していますが。 僕は石凪萌太。 闇口崩子の兄であり、あの日あなたと同じようにいー兄の手助けにいっておきながらも、何も出来ないまま死んだ元《死神》です」 そう言って緑色のツナギを着た小柄な《死神》、血が凍るほどの美少年――石凪萌太は姿を表した。 2 「なんだい、なんだい。 お兄さんってば闇口だけでなく石凪の協力まで取り付けてたのか。 それで僕にまで知恵を借りに来るんだから慎重にも程が有るぜ。 僕なんかいなくても13階段を十分壊滅できたんじゃないか」「まあ、いー兄は僕らが《殺し名》とは気がついていなかったみたいですからね。 ただの同性だと思ったようです」 「ぎゃははは。 それこそ笑えるな。 そんな名前そうそうあるもんじゃねえだろうが。 お兄さんのような人生でそんな偶然があると思ってるのかね」 あれから、一戦を交えることも覚悟していた両名だが、共通の知り合いに関する話題が出たことで、それは回避された。 そもそもお互い死んだ身で殺し合い、というのも不毛に尽きるというのもある。 「それに結局のところ僕やあなたが居ても13階段の壊滅は難しいと思いますよ。 現に僕たちはこうして死んでいるわけですしね」 「そりゃあ、そうだな」 自分たちを為す術無く薙ぎ倒したあの橙色。 13階段の13段目。 その脅威は自分たちどころか、あの《最強》すらも凌駕した。 まあしかし、だがとは言えだ。 「僕に至っては《橙色》に薙ぎ倒された上に、闇口濡衣に殺されてしまったわけですから、情けないことこの上ないんでけれどもね」 そう言って肩を竦める萌太の表情はしかし悲痛も沈痛でもなく、悔恨でも怨恨でもなく、自責でも自嘲でもなく、ただただ穏やかな笑みだった。 自分の死を語りながら、浮かべる表情ではない。 ましてや、まだ若い、それも他人による一方的な都合により奪われた命について語る言葉ではない。 「ぎゃはは、たしかにそいつは情けないったらねえな」 だが、それ以上に愉快に笑いながら聞く話でもない。 とは言え、しかしだ。 それはあくまでも人間の理屈だ。 ここに居るのは人外の人殺を通した《殺し屋》と人外の不殺を通した《死神》だ。 人間の理屈など、人界の道理など通るはずもない。 「いやいや、しかし驚いたね。 まさか死後の世界なんてもんがあるなんてさ。 こんなことなら生前の行いってのをもう少し良くしとくんだったよ」 「《殺し屋》がどう改めても地獄の最下層行きには違いないでしょう。 それに死後の世界なんてものがあるかは知りませんが、魂はあるというのは僕ら《死神》にとっては大前提でしたからね。 それほど驚きはしませんでしたよ」 「ぎゃはは、その《死神》に水先案内してもらえるなら安心だな。 何分さすがの僕も死後の世界なんて不安無いだからな。 基本的に僕は送るの専門だし」 自分たちが死んだというのに何とも呑気な(内容は殺伐としているが)話である。 「それで元《死神》は僕を一体どこに連れて行くつもりなんだい。 さっき言ってた地獄の最下層かな」 「あいにくと僕も先程こちらに来たばかりでしてね、そこまで詳しくないんですよ」 地獄の最下層に興味があるならば迷子の少女にでも案内してもらってください、と次元をぶっ飛んだことを言い出す。 死後の世界だから何でもありなのだろうか。 「僕にできるのは、せいぜいが先に死んだあなたの案内を買って出る程度です。 そして僕が案内しているのはあなたに合わせたい人がいるからですよ」 「ぎゃはは、それだけじゃあ分からないな。 僕に恨みつらみを持って死んでった奴なんて5万じゃ59億9995万人足りないくらい居るだろうからな」 愉快そうに笑いながら無茶苦茶な数字を言う出夢に、しかし萌太は突っ込まない。 さすがにその数は大げさに過ぎるにせよ(実際に戯言遣いに語った殺しの数はもっと少ない)、それでも彼が多くの恨みを買っているのは紛れもない事実だ。 無惨に喰い千切られた者が、無残に喰い散らかされた者が多数いるのには変わりがない。 だが、彼らが匂宮出夢に会いたいと、会って恨みを晴らしたいと思うかというと、そうは思えない。 むしろこう思うだろう「死んだ後にまであの怪物と関わり合いたくない」と――。 それだけ逸脱した強さなのだ。 それだけ逸脱した存在なのだ。 匂宮雑技団最強にして最悪の失敗作、《人喰い》匂宮出夢という強さにのみ特化した存在は。 「そんなあなたでも死んでしまう訳ですから。 なるほど確かに強さというものは在っても無くても同じなのかもしれませんね」 「ぎゃは、確かにこんなにも強い僕が死んだのに、あんなに弱いお兄さんや狐さんが生き延びてるんだからな」 いや、狐さんはもう死んでるようなもんなんだっけ? と首を捻る。 それこそどちらでも変わらないかもしれないが。 あの最悪は生きていようと死んでいようと、他人の物語を捻じ曲げて歪ませることだろう。 「まあ、それはお互い様だよな、元《死神》くん。 あんただって相当に腕が立つんだろうにここに居るわけだからよ」 「さすがに天才の僕でも、流石にあなたほどじゃないですけれどもね」 「ぎゃはは、そりゃあそうだ。 僕ほどに強いやつなんてそうは居ねえよ」 決して自惚れではなく、それが当然のように肯定してみせる出夢。 しかし、それでも出夢からしたら萌太のほうが羨ましいと思う点が無いわけでない。 「だけどよ、いくら強くても僕の方こそ何もできなかった。 あんたはさっき自分が何もできずに無様に死んだみたいなことを言っていたが、それは僕こそがだ。 だから僕は結構あんたが妬ましい。 だってあんたは――」 「妹を守って死んだんだからな」 それは僕にはできなかったことだ、と出夢はらしく無く、自嘲を浮かべる。 むしろ出夢は妹を犠牲にして生き延びてしまったのだ、あの恐るべき蜘蛛の巣から。 「その件については、僕としてはむしろ姫姉を殺したことについて言いたいことがありますがね」 ふふっと今までの穏やかな笑いと違い、愉快そうに笑う。 「ぎゃは、言いたいことじゃなくて殺りたいことがあるって笑いだぜ」 「そうかもしれませんが、僕は人殺しをしなんてごめんですからね」 だいたいお互い死んでいるのに殺し合いなんて無意味に過ぎます、と先ほど出た結論を口にする。 少なくとも殺し合いが目的ではない、というように。 「それにどうでしょうね。 僕としては妹を助けたつもりでも、今頃崩子は自責の念で苦しんでいるかもしれません。 結局僕がしたのは妹を傷つけただけなのかもしれませんよ」 「ぎゃは、その割にはあんまり心配して無いようじゃねえか」 「そこはまあ、いー兄を信頼していますから」 きっとあの人なら崩子を受け止めてくれるはずです、と。 「と、言っていたら着きましたね」 「そうなのか、あんまり周りの景色がわからないから実感が湧かないな。 で、結局僕に会いたいって奴は「兄貴!」 誰なんだ、という言葉は突然の声に遮られた。 それは良く聞き覚えのある声だった。 とても自分の声に良く似ていて、だけれども自分にはない物を持った声。 けれども決してこんな風に聞くことが出来ない声。 そしてもう二度と聞くことが出来ないはずの声。 その声にらしく無く、すべての警戒心が切れた出夢は猛烈なタックルが食らい、無様にもひっくり返るハメになった。 「アイタタ。 うー、ここは感動の再会なんだからちゃんと受け止めて欲しいところだったよ。 まあ兄貴に優しさを求めるほうが無理ってものかもしれないけどね!」 「ぎゃ、は。 随分と勝手なことを言ってくれるじゃないか」 震える声はきっと突然の体当たりに肺の空気が抜けたせいだ。 滲む視界はきっと無防備に食らった一撃が思ったよりも痛かったせいだ。 誰にでも無く、まるで何かを誤魔化すように否定するように言い訳を心の中で呟く。 そして、震える声で名前を呼ぶ。 そして、滲む視界で視界に入れる。 「理澄」 自身の分身。 自身の依代。 もう一人の自分。 何よりも大事な双子の妹。 決してこんな風にお互いに触れ合う事ができない、重なりすぎた存在が今自分の体の上でニコニコとあまりにも無防備過ぎる笑顔を浮かべていた。 「そっちの死神さんの言うとおりだったね! 本当に兄貴を連れてくるなんて! 最初死神なんて聞いた時はメッチャ怖かったけど、死神さんは良い死神だったんだね! 大好き! ぎゃ!」 「一体これはどういうことだ、元《死神》」 人の体の上ではしゃいで暴れまわる妹を強引に押しのけて、引きつった表情で睨みつける。 なんだか色々と誤魔化すようなソレは、本来の狂暴さとは程遠かった。 「いえね、僕がこちらに来た時に偶然に理澄さんの魂を見つけまして。 どうやらあなたと一心同体である彼女の魂は彼女だけでは行き場が無いようで彷徨っていたようです。 さすがに見かねましてね。 なにせいー兄の知り合いですし、貴方とも協力しそこねた縁がある。 そこで元《死神》である僕が協力をしたというわけです」 「だったら最初から言えば良いだろうが」 「それだと面白くないじゃないですか」 「テメェ……」 良い笑顔で答える萌太にそれこそ地獄の底の亡者の如く恨めしい目で睨む出夢。 今更睨みつけた程度で怯む相手ではないことは、この短い道中でも分かっているが、それでも睨まずにはいられなかった。 そんな険悪な、見ようによっては一方的なイジメのような構図も、やはりと言うか理澄の介入によってあっさりと霧散した。 「死神さん! どうもありがとうなんだね! お陰様でようやく兄貴に合うことができたよ!」 「いえいえ、僕もたまには《死神》らしい仕事をするのも悪くないと思っただけです」 萌太と出夢の間に遮るように入った理澄は深々と頭を下げて、再び上がった顔はやはり無垢なる笑顔だった。 なるほど。 確かにこの笑顔の前では毒気も抜かれる。 「そんなことよりもあまり長いことこんな中途半端なところで留まっていると、このまま永遠に彷徨うことになりかねませんよ」 「それは大変だよ! こんな良く分からないところにずっと居たくないよ、兄貴!」 不本意ながらそれは出夢も同感だった。 なんだか流されている気もするが、こんな何もないところで永久に彷徨い続けるのは地獄よりも地獄だろう。 「まあ、そこまで心配しなくてもまだ間に合いますよ。 恐らくあちらの方に進めば、本来逝くべきところに辿り着くでしょう」 そう言って、萌太は《死神》の感覚に従って二人にある方向を指差して、進むべき道を示す。 当然萌太だって死んだのは初めてのはずだが、確証はないが確信はあった。 「あれ? 死神さんは一緒に行かないの?」 「僕はまだこちらで探す人がいるので、一緒に逝くことはできません」 「何だ、妹やお兄さんが来るのを待ち続けるのか」 まさか、と萌太は首をゆるりと降って否定する。 「あの二人は当分こちらに来ることはありませんよ。 ここに時間の感覚があるのかは知りませんが、それでも待ち続けるなんて不毛です。 僕が探している人は僕よりも先にこちらに来ている人ですよ。 居ないなら居ないで良いんですが、もし彷徨っていたらなるべく見つけて差し上げたいのでね」 その言葉に意味が分からない理澄は笑顔のまま首を傾げるが、その後ろで出夢は意図を理解して苦々しげに顔を逸らす。 「良く分からないけど、分かったよ! それでは死神さん、お元気で!」 「はい、お二人も迷わずに逝けることを願っていますよ」 再び丁寧、とは言い難い勢いで深々と頭を下げる理澄に、萌太は軽く手を振って答える。 頭を上げた理澄はくるりと今度は兄である出夢に振り向き、その手を伸ばす。 「ほら兄貴、早く行こう!」 出夢はそれを呆けたように見る。 本来であれば決して見ることが出来ない妹の無垢な笑顔を。 本来であれば間違っても差し出されることの無い手を。 本来であれば決して触れることのない手を――出夢はつい握ってしまっていた。 離すまいと、今度こそ離れまいと。 「それじゃあ死神さん、さようなら!」 「はい、さようなら」 「結局よお」 出夢は色々の言いたいことを諦めて、色々出したい感情を押し留めて、最後に萌太に問いかける。 自分を妹の元まで導いがこのお節介な《死神》に。 「なんでここまで僕たちの世話なんて焼くんだよ」 「先ほど言った理由が本音ですが……そうですね、それに1つ付け加えるとするなら、同じ男に惚れた妹を持つ兄の《縁》ですかね」 「ぎゃは、なるほど。 そいつは確かに奇縁だな」 そう言って、そう笑って二人は、本来ならば二人で一人の兄妹は二人で萌太の前から姿を消した。 それを見送ってから萌太は再び歩き出す。 先程言った、探し人を求めて。 彷徨っているだろう、新しい家族だった人を探して。 「姫姉も早いところ見つけて上げられれば良いんですけどね。 本当にいー兄は罪深い人ですよ」 そう言ってアパートの住人のなかで一番良く笑うと言われた少年は、この境界の世界でも笑顔を絶やさずに居た。 寝言 遅れてしまいましたが久しぶりの追悼SS。中巻の序盤に起きた怒涛の展開は処理能力が追いつかなかったのを憶えています。 本編ではいーちゃんが散々死後の世界なんて無い、死んだらそれまでのようなことを言っていましたが、 《死神》という魂の存在を前提とする者たちや最強シリーズでの臨死体験などから、 在っても良いじゃないか! と今回のSSでは捏造させていただきました。 |