0
1 その日はぼくらにとって記念すべき日だった。などといえば、二番煎じの謗りは免れないだろう。ぼくとしても彼らの美しい思い出の一節を拝借するつもりはない。 とは言え、今日がぼくと、ぼくの家族とも言える人たちにとって大事な日であるのは本当だ。そのことで若干気分が高揚してしまい、ぼくらしからぬ言動をしてしまうのも大目に見てもらいたい。 テンションが白濁沈殿した19歳だったぼくもあれから七年の月日の間に多少は融け合って滲み出るくらいにはなってきたのだ。普通は年をとると人間は落ち着くものだけれども、どうやらぼくの場合は逆らしい。社会に揉まれることで沈殿していたものが良い具合に混ざったのだろう。特にあの赤色との出会いは掻き回すと言うよりもシェイクされたような気分だ。 正直、他人からの過度な干渉はかなり不快で気持ちの悪いものだが、少しだけ爽快でもあった。 まあ、つまりは何が言いたいかといえば、時間とともに年齢とともに人間は変わっていくという、当たり前の話だ。 より正確に言うのならば、時間や年齢を重ねる間に発生する人との出会いによって変わっていくという話。 そして、今回はそういう話である。 闇口崩子。 ぼくが住居としている塔アパートの最年少の住人であり、みんなから非常に可愛がられている女の子。昔はほとんどぼくと同居していたが、年齢が15を過ぎた頃には、さすがに一緒に住まうのは世間体的に問題があるだろうということで、ぼくの方から頼み込む形でみいこさんとの同居になってもらった。選択肢としてはもう一つ七波の奴に頼むのもあったが崩子ちゃんの健やかなる成長を考えれば、あいつと同居させるなんてもっての外だろうとぼくが判断して即刻破棄した選択肢だ。 そんな甲斐もあってか、可愛らしい美少女は今ではとても魅力的な美人へと成長を遂げるに至った。 いささか身内贔屓もあるだろうが、それを差し引いたところで崩子ちゃんの成長は目覚しいものがある。 ぼくの仕事である請負人業「萌紫堂」において、以前はマスコットキャラ的な意味合いに取られがちだったが、今では名実ともに代表取締役となっている。 本日、4月16日はそんな崩子ちゃんの誕生日。 今年でついに20歳。 現代日本において法的に大人とみなされる年齢である。 幼い少女の頃から成長を見てきた者として、ぼくのような人間でもなんとも感慨深い気持ちになってしまうのも仕方がないだろう。 何とも嬉しいような、変な達成感めいたものや、僅かばかりの寂しさなんかがぼくの中には渦巻いていた。 そんな混沌とした想いを抱いていると、たまにひょっこりと「そろそろメイド服を着せても良いのではないか」という考えがちらりちらりとよぎってしまうのも、また仕方ないことだろう。 しかし、ぼくには崩子ちゃんを健やかに育てる義務と責任がある。 それはぼくのような奴に崩子ちゃんを託した萌太くんに対しての約束だ。 だから、まだなのだ。 メイド服はまだ早い。 確かに崩子ちゃんの成長は目覚しく、外見のみならず内面的にも立派になった。昔からその内に持っていた厳しさも自罰的なモノから芯が入ったものへと変わり、周りから見てると心配だった脆い部分も周りからの刺激を頑なに弾くのではなく、柔らかく受け止めることによって守る術を覚えてきていた。 もう「誰に恥じることもない。自慢の家族」と言って差し支えないだろう。 しかし、それでもまだなのだ。 本当に後僅か、後数年でも待てばその時こそは何の憂いもなくメイド服を着せることが出来る。 だからそれまでの我慢だ。ぼくが自制できなくてどうする。 ここで焦って今までの努力を無にするわけにはいかない! 「戯言遣いのお兄ちゃん。 先程からまったく自制が出来ていない漏れていますよ」 崩子ちゃんのために自身の欲望と必死に戦っているぼくに対して、崩子ちゃんは随分と冷ややかな視線を向けていた。 っていうか、漏れてるって、今の全部声に出ていたのか。そりゃあ、冷ややかにもなる。 それはそれとしても、彼女の保護者としてまずは一言言って置かなければなるまい。 「崩子ちゃん、人の部屋に忍び込んで気配を断って盗み聴きをするなんて、一人前のレディーのすることじゃないよ」 「確かに戯言遣いのお兄ちゃんの言う通り、その行動は褒められたものではありませんね。 私はきちんとベルを鳴らしてから、断りを入れて部屋に入り、先程から何度か声をかけていたのですけれども」 そういうことらしい。 随分と深く考えに没頭していたようだ。 っていか、人が来ているのに気づかないとは、ぼくも随分と腑抜けたものだなあ。 「戯言遣いのお兄ちゃん。 お兄ちゃんがそれほどに強く望むのならば、私としてはどのような衣服を身につけることも厭いませんよ」 「いや、だからまだ早いんだって」 せっかくの申し出だけれども。 しかし、色々と成長したけれど、未だにこの絶対服従といった様子は変わらないままだ。 あれから七年も経って《闇口》の力もほとんど失われたのに、性質だけは未だに残ってしまっているようだ。 自然に失われていくのならば、それに任せるのが一番だと思って放っておいたのだけれども、ここまで根深いものだったというのは、正直ぼくの見通しが甘かったとしか言いようが無い。 「戯言遣いのお兄ちゃん、何か大事な話があるかとのことでしたが、話というのはそのメイド服の件でしょうか」 「いや、違うよ。 確かに大事なことではあるけれども」 そう今日はこのあとアパートの住人で崩子ちゃんの誕生日を祝うことになっているが、その前に崩子ちゃんときちんと話しておかなければならないことがあったので、ぼくの部屋にまで来てもらった。 まあ、待ち時間にいつものように考えに没頭して、周りが見えなくなってしまったのは反省するべき点だが。というか、ぼくも崩子ちゃんのことをどうこう言えない。こういうところが全く変わっていない。 「まあ、まずは誕生日おめでとう、崩子ちゃん」 「ありがとうございます。 お兄ちゃん」 「うん、これで崩子ちゃんも20歳、大人の仲間入りというわけだね」 「そうですね。 今までお兄ちゃんやみい姉様に頼り甘えていたところもありましたが、これからはもっと自立していこうと思います」 うーん、それはどうだろう。 彼女の保護者的な立場としてはもう少し頼り甘えてくれても良いと思うんだけどなあ。 まあ、みいこさんはとにかくぼくは頼るには頼り甲斐がないというのも原因だろうけど。 「まあ、もっと早くに言うべきだったのかな、とは思うんだけど、一つの大きな節目だし、なあなあで済ませるのも良くないからね。 いい機会だからハッキリさせておこうと思って」 「そうですね。 以前からの約束でもありますからね」 「ん?」 約束? あれ? ぼくこの話をするのは七年前に一度だけ出しただけだったような気がするけれど。 しかも約束なんてしてなかったと思う。 でもまあ、記憶能力が絶滅しているぼくと独学で立派に学習してきた崩子ちゃんとでは記憶力に対する信頼度にはハッキリと差がある。つまりは例によってぼくは忘れてしまっているのだろう。 やれやれ、こんな大事なことまで忘れてしまうとは、本当にぼくは一度絵本さんに頭を見てもらったほうが良いだろう。 「確かに約束の7年が経ちました。 拒む理由もなくなりましたし、約束でもあります。 戯言遣いのお兄ちゃん、私に対する直接的性交渉を許可させていただきます」 「いやいやいや!」 確かにそんな話もあったけど! あんな話を崩子ちゃんが憶えていたことに驚きだ。 なんで憶えてるの。 「話しというのはそのことではないのですか」 そんなわけがない。 どうしよう、健やかに育ててきたはずなのに一体どこで悪影響を受けたんだ。 心当たりといえば、やはりあの魔女か。 「それでは話しというのはなんでしょう」 「うん、すっかり真面目な話をする雰囲気じゃなくなったけどね」 完全に出鼻をくじかれた。 相変わらず崩子ちゃんは先制攻撃が強烈だ。 「話っていうのはね、例の契約の話だよ。 崩子ちゃんが20歳になったのを機会に正式に解除しようと思うんだ」 「え?」 ぼくの言葉に崩子ちゃんは固まる。 いや、固まるなんて固く強い反応ではない。全身の力が抜けたように呆けていた。 固まるというより、緩んでいる。 だけど、和やかな反応ではなく、固まるよりも深刻な反応なのは明らかだった。 「な、何故です」 崩子ちゃんはどうにか絞りだすように、言葉を出す。 「何故、そんなことを、する必要が、あるのですか」 「んー、まあほとんど効力の無くなった契約だけど、それでもきとんと清算しておかないとね」 「戯言遣いのお兄ちゃん。 以前も言いましたけれども、この契約は」 「わかってるよ、何かあったときに崩子ちゃんが動けるように、だよね。 だけれども、もう《闇口》の力を失った崩子ちゃんは、そもそも契約があろうとなかろうと力は振るえないはずなんだから、契約を結んでおく意味は無いはずだよね」 「それは、ですが、例え力が使えなくてもお兄ちゃんたちの助けになりたいのです」 普段の崩子ちゃんからは想像できない取り乱しように、ぼくは少し驚く。 そして、少ししか驚いていない自分に、ぼくもある程度はこういう反応があるだろうということを予測していたのだろう。 「うん、もちろんこれからも出来れば助けてほしい。 でもそれは別に契約が必要な範囲じゃないだろ。 崩子ちゃんの今持てる力だけで助けてほしいんだけど」 「それは……」 うん、わかっていたのだ。 崩子ちゃんがこれほどに取り乱すことも、これほど契約に拘るその理由も。 「大丈夫だよ、崩子ちゃん。 例え契約は切っても、約束まで反故にするつもりはない」 だから、ぼくは卑怯だと知りつつ、残酷に崩子ちゃんの大本をえぐる言葉を使う。 まったく、我ながら酷い戯言だ。 「崩子ちゃんを嫌わないし、愛してるよ。 崩子ちゃんを独りにすることはない」 「っ」 案の定、思惑通りに崩子ちゃんは言葉を飲み込む。 まったく、年下の女の子をこんな風に苛めて、確かにこれでは人類最悪の同類呼ばわりも仕方ない。 「良いんですか?」 「ん?」 「契約を切ったら、私はもうメイド服を着ないかもしれませんよ」 「んー」 ああ、それは無念だな。 これは予想外の反撃が来たものだ。 「その時は、頼み込んで着てもらうさ」 いや、もちろん戯言ですよ? 「諦めるという選択肢はないのですね」 だけど、それで少しは崩子ちゃんの気が晴れたのか、上げた顔は笑顔だった。 「それでは戯言遣いのお兄ちゃん、今までありがとうございました。 そして、これからもよろしくお願いします」 「うん、こちらこそ」 まあ、これでめでたく契約は破棄されたわけだけど、だからと言ってやっぱり何が変わるわけでもないのだろう。 やっぱり、あんな契約は既にあってもなくてもおんなじ物だったんだろう。 だからこれはぼくの気分の問題だ。 これから崩子ちゃんにどうやってメイド服を着てもらうかは後で考えるとして、今は崩子ちゃんの成長を素直に喜ぶとしよう。 そんな風に何時まで経っても変われないぼくは思った。 例え戯言だとしても。 寝言 崩子ちゃん誕生日おめでとう!すっかり忘れていたので遅くなってしまいました。 作品の時間軸を2005年と仮定すると今年は約束の7年後なんですよね。 もっとチキンレース的な内容にしようかとも思ったのですが、結局こういう形になりました。 |