来年は今年よりも不幸な年でありませんように。




   

 年の変わり目というものに思いを馳せてみようと思う。
 現象としては普段味わっている日付の境目でしか無いはずのその瞬間は、しかし一つの大きな節目である。
 そう、要するに節目なのだ。
 人間という生き物は目標も目的も無く生きることは可能かと問われれば、それは是だとぼくは答えよう。むしろどれだけの人間が明確に目標を掲げ目的を果たそうとしているのかという疑問こそを投げかけるだろう。
 だがしかし、ならば人間という生き物は絶え間も息継ぎも無く生きることは可能かと問われれば、その答えも決まっている。
 断じて否だ。
 人間の精神は永劫や永遠を許容出来るほどにタフにできてはいない。
 それらは何も「死なない身体」である必要性すら無く、ただ全てを同一の地続きとして認識すれば得られる。
 去年と今年と来年の境がない。
 昨日と今日と明日の境がない。
 過去と現在と未来の境がない。
 それは永遠であり永劫だ。
 そして煉獄であり監獄だ。
 少なくともぼくはそんなものに耐え切れるとは思わない。
 出来うることならば想像することすら遠慮したいほどに、遠ざけたい概念だ。
「だから、ぼくはこうして年変わりのケジメとして初詣に来ているわけですね」
 場所は比叡山延暦寺。
 正直、ただ初詣するだけならばここまで来る必要性は無い。
 なにせぼくが住んでいるアパートは古都京都の市内だ。初詣をするための場所なんて選り取り見取りである。
 それでもわざわざ足を伸ばしてここまで来たのは、ここに居候している知り合いに年始の挨拶も兼ねてのことだった。
 説教好きの破戒僧、鈴無音々。
 ぼくが住んでいるアパートの住人であるみいこさんの親友であり、ぼく自身にとっても友人であり恩人でもある人物だ。どうせ、初詣行くのならば、とぼくらはここまで足を伸ばしたわけだ。
「それにしても凄い人だな」
「まあ、時期が時期だしな。 むしろこの稼ぎどきに人が少ないほうが問題だろう」
「とはいえ、さすがにこの人混みは私にはつらいですね」
 ぼくのとなりで、一緒に初詣に来たみいこさんと崩子ちゃんが人の波を見ながら言う。
 みいこさんも崩子ちゃんも表情に感情を出すタイプではないが、それでも疲れているのが見て取れる。
 まあ、ぼくとしてもあまり人が多いところは好きではないのでその気持ちはよくわかる。
 もっとも、ぼくらはまだ幸運だろう。
 ぼくらが今いるのは人混みの中ではなく、社務所の中だ。
 鈴無さんのツテでどうにかこの中に避難させてもらっている。
 それにしても、破戒僧でバイトの鈴無さんになんでそんな権限があるんだろうか。
 あまり深く突っ込むのはどう考えても碌な事になりそうにないので、思考を中止しよう。
「ありがとうございます、鈴無さん。 お陰で助かりましたよ」
 代わりにぼくは鈴無さんに頭を下げて礼を述べた。
「気にすることないさね。 いの字だけならばとにかく浅野や、ましてや崩子ちゃんをあんな人混みの中に放って置くわけにはいかないでしょ」
 ぼくだけだったら放っとくのかよ。
 まあ、ただ言葉通りにぼくに対する嫌がらせではなく、少しは人の中で揉まれろと暗に言いたいのだろう。
 まあ確かにぼくの場合は対人関係の経験値が偏り過ぎているのは事実なので、この説教はありがたく受けておくとしよう。
「でも、鈴無さん。 仕事の方は大丈夫なんですか?」
「ん、心配どうも。 だけれどもそれはあたしが仕事と私事の区別が出来ていない人間って見縊っているのと同義だわよ。 例えそんな意図がなくともそう取られるのが言葉なんだから使い方と使いどきは心得なさい。 まあもっとも『言葉』が専門のいの字には釈迦に説法になんだろうけどもさ」
「それこそ買いかぶりの言葉だと思いますけれどもね」
 ぼくは軽く方を竦める。
 まあ兎にも角にも鈴無さん本人が大丈夫だと言っている以上、ぼくが気を揉んでも仕方あるまい。折角作ってくれたのだから、遠慮無く雑談させてもらおうか。
「そう言えば、鈴無さんは巫女服じゃないんですね」
「ここは寺であって神社じゃないのよ」
 ああ、そう言えばそうだったけ。
 そこら辺の違いがよく分からないぼくには、とりあえず巫女姿の音無さんというレアなモノが見れる機会が無くなったことを残念に思うくらいの意味合いでしかなかった。
「それにあたしには似合わないだわよ。 そこへ行くところ、崩子ちゃんは違うだわね。 その振袖姿似合ってるわよ」
「ありがとうございます」
 そうなのだ。
 今回の初詣に行くにあたり、崩子ちゃんは何と振袖を着てきたのだ。
 それは以前にぼくがこういう時のためにと買ってあげた物だっただけに、褒められているのはぼくとしても嬉しかった。
 それにしても元々お人形さんのような可愛さを持っていた崩子ちゃんが振袖姿になると、そのハマリ具合は異常である。本当に等身大の日本人形のようだ。
 ちなみにぼくは白いシャツの上と濃紺のスラックスに灰色のコートという地味な姿である。
 みいこさんはと言えば、相変わらずの甚平姿だった。さすがにそれだけでは寒いと判断したのかその上にもう一着着てきたのだが、それがよりによってドテラであったのは、さすがに我が目を疑ったものだ。
 うーん、みいこさんの振袖姿も見たかったんだけどなあ。
 ぼくがそんな無念を噛み締めていると、同じようなことを思ったのか鈴無さんがみいこさんに苦言を呈した。
「浅野も少しは見習って、気飾ってみたら?」
「生憎だが、私にはその手の服は似合わないだろう。 それに自身が気飾っても愛でることが出来ないしな。 やはりこの手の物は自分で飾るよりも他人が着飾ったのを愛でるほうが良いよ」
「まあ、それには同感だわね」
 しかし、みいこさんの言葉にあっさりと折れる鈴無さんだった。
 んー、ぼくはやはり似合うとは思うけれども、自身に鈍感なみいこさんと美少女至上主義の鈴無さんを説得できるとは思えなかった。
「ん、そろそろいい時間だから仕事に戻るとするわさ。 あんたたちはもう少しここでのんびりして行っても良いだわよ。 帰りたくなったら適当に帰りなさい」
「そうですね、そうさせてもらいます」
 どうやら休憩時間も終了なのだろう、立ち上がる鈴無さんの言葉がこれから忙しくなってきて戻ってこれないだろう、ということが読み取れたのでぼくは適当に頷き返しておく。
 と、ぼくはそこでまだ鈴無さんに年越しの挨拶をしていないことに思い至った。
「鈴無さん、今年はお世話になりました。 来年もよろしくお願いします」
「そうだわね。 あんたにはたっぷりと世話を掛けさせられたわ。 だけれどあんたは来年はもう少し他人を頼ったほうがかける世話が少なくなるだわよ。 だからそういう言葉はまずはもっと身近で支えてくれてる人間に言いなさい」
 そう言って鈴無さんは部屋から出ていった。
 やれやれ。本当に鈴無さんの説教はぼくの弱い部分を刺激してくれる。
 他人に頼るって似うのは未だに苦手なんだけどな。
 だけれども、それでも確かに世話をかけてしまう以上はちゃんと言っておかないといけないだろう。
「みいこさん、崩子ちゃん。 今年も一年お世話になったけど、来年も良ければよろしくね」
「同じ屋根の下に住む者同士だ、気にするな。 それに私の場合は世話を焼き過ぎないように気をつけるさ、今まで通りにな」
「私も今まで通り、これからもお兄ちゃんの良いように」
 今まで通りか。
 やれやれ本当にぼくは年が変わっても変わらないな。
 結局のところ、一人で片意地を張っても周りの人間に迷惑を掛けて、世話してもらって、ようやく生きていける。
 だけれども、それでも良いかと思う。
 それでも良いと思えるようにはなった。





寝言

2011年最後の作品です。
結局、人間なんて一年やそこらでそうそう激変するものではありません。もしも変わったとしても大概碌な方向には変わらないものです。
でも、だからこそ周りのことを見回すのには良い機会なのかもしれませんね、年越しってやつは。
ちなみに自分は見回すといろんなモノが山積みになっていました。遭難しないようにしないとね。(もう手遅れか?)

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