始まりには終わりしか無い。




   

「人間って奴は他人の迷惑にならない為に、他人と関係を持とうとするんだよな」
 零崎はそう言って、笑う。
 人間という奴は、どうしたって生きて行く上で他人に干渉されてしまうものだし、どうしても生きて行く上で他人に干渉してしまうものだ。
 それは人間として失格していようとも同じだ。
 それは人間として欠陥があろうとも変わらない。
 結局、人は独りで生きて行くことは出来ても、人は隔てて生きることは出来ないのかもしれない。
 その考えはとても残酷だ。
 どれだけ人を厭おうと、どれだけ人を愛しかろうと、どれだけ人が疎ましかろうと、どれだけ人が恋しかろうと――そんな事などまるで意味が無いように、まるで全てが無価値なように、まるまる同義のように、まるまる全てが同価値のように――。
 人と人は出会わなければならない。
 人間関係を形成しなければならない。
 だからせめて、慎ましく密やかに他人の迷惑にならないよう気を使って、他者との関係に気を配っている。
「だけれど、そんな事は不可能だ。 誰だって隣人に迷惑をかけてるし、誰だって目の前の奴を迷惑だと思ってるだろ。 結局のところ人間関係ってのは、他人に迷惑を掛けるために形成してるんだ」
「何だ? それじゃあ、お前は目の前にいる俺の事を迷惑だと思ってるのか?」
 ぼくはその問いに無言で肩をすくめる。
 言わずもがな、だ。
「お前の言うことも確かにもっともだ、欠陥製品。 だけどよ、そんな中でもみんなはそう有るべく努力はしてるんだぜ。 その努力が例え徒労で終わっても、その努力までを無意味扱いするのはいただけないな」
「別に無意味扱いはしちゃいない。 思っていたって表面上に出したりしないさ。 それくらいはぼくだって迷惑かけないように努力しているとも」
「とてもじゃないけど、そうは見ねえな」
 零崎はサングラス越しにぼくを見る。
 鏡でも覗き込んでいるかのような目でぼくを覗き込む。
 目を覗き込まれるのは苦手だ。
 それが例え鏡に写った光の反射による虚像だとしても。
「しかし、お前がそれを言うのか? 誰よりも何よりも他人の人生に対して最大級の迷惑であるところの殺人行為に勤しんでいるじゃないか」
 ぼくは逃げるために零崎に反論する。。
 いや、反論ですら無いイチャモンをつける。
「かはは、抜けたことを言ってんじゃねえよ。 殺したらもう人生終わりだろ。 終わったものに迷惑のかけようもないだろ」
「お前の方こそ馬鹿げたことを言うじゃないか。 そんな理屈で自分の存在を正当化するつもりか?」
「かはは! 正当化なんて言葉は俺達には随分と縁遠い概念だろうが。 俺はただ俺が行っていることを正しく表現してるだけだ。 その行為が不正かどうかの判断は他人に任せるよ」
「判断を他人に押し付けるってのも大概に迷惑だと思うけどね」
「違いないな。 だけどよ、そもそも俺らが他人に迷惑を掛けてないってのが嘘になるだろ。 だから俺達は出来るだけ他人様の迷惑にならないように人間関係には気を付けてるんじゃないのか」
「その結果が人殺行為だって言うのか?」
 ぼくの問いに、零崎は笑って否と答える。
「俺の場合はブラブラと放浪を繰り返してる行為がそれだ。 言ったっろ? 人殺行為に意味も意義もないんだよ。 んなものは俺にとっちゃ付属してきた結果でしか無い。 グリコのおまけ程にも意味はない」
 しかしおまけのないグリコにも意味があるかは微妙だけどな、と笑う。
 こいつはグリコに対してどんなイメージを持っているのだろうか。別に全ての製品におまけが付いているわけではないだろうに。
 ――閑話休題。
 だがそうなると、零崎の人間関係ってのは人間関係を形成しないことにこそある。
 人間関係を形骸化することこそが、人間関係だ。
「お前も同じようなもんだろ。 お前が抱いている劣等感おもいはよくわかる。 自分が他人に迷惑をかけないで済むなんて思っちゃいないだろう。 だからこそ、俺はお前のことが分からない。 なんだって、あんなアパートに住んでフツーにダイガクセーなんてやってるんだ? 何だって、そんな事が出来る? 俺だってせいぜいチューガクまでだったぞ、ガクセーなんてやれてたのはさ」
 その言葉はぼくの心奥に深く切り込まれる。
 ぼくはどうしてあそこにいる。
 ぼくはどうしてここにいる。
 ぼくは、どうして、アイツの横に――。
「意味なんて無いさ」ぼくは蓋をするように言葉を紡ぐ。「ぼくはただ、お前みたいに落伍者ドロップアウトになっても逸脱者ボーダーブレイクにはなりたくなかっただけだ」
「ふん、言ってくれるね。 だけどお前は一線を未だに踏み越えてないつもりなのか? そんな思い違いはそれこそ隣人の迷惑以外何者でもないぜ。 五十歩百歩って知ってるか?」
「足が遅い奴が妬みで罵ったって話だろ」
「ん? ああ、一緒に逃げたってんならそうなるのか。 逃げるのをやめたのは単純に追っ手が掛かれば自分の方が捕まってる可能性が高いからってか。 かはは、なかなか傑作な神経だな。 だけどよ、俺が言いたいのはそういう事じゃない。 分かってるだろ」
 ああ、分かっている。まるで自分のことのように。
 恐らく零崎はぼく言った戯言だけでなく、本来的な意味でも言ってはいない。
「一度逃げ出した奴が、外れた奴が、堕ちた奴が、今更戻って仲間に入れてもらえるわけがないよな。 百歩どころが五十歩も必要がない。 最初の一歩を踏み出しただけで、そいつらは人間関係を失敗してるのさ。 戻ってみたところで待ってるのは疎外と迫害だ。 悪逆な個人の生命よりも無能な群体の秩序のほうが優遇される」
 口元を歪めて、目を細める。
 ぼくは笑ったときこんな顔をするのだろうか。
 だとしたら――ぼくは一生笑いたくない。
「結局のところ俺らみたいなのが居場所を求めるって言うのが、何よりも最大級の傍迷惑だろ。 俺もお前も、迷惑を掛けない人間関係ってのは『無関係』だけなんだろうな」
 妙に実感のこもった言葉だった。
 誰かとの人間関係を思い出しているのかもしれないし、誰かとの人間関係に想いを馳せているのかもしれない。
 ぼくが思い出すのは――。
「なあ、だから教えろよ欠陥製品」
 零崎は問う。
「お前は何で、んな人間関係を築いてるんだ」
 その問いにぼくは――。



   

 ぼくは今、塔アパート(結局みいこさんの呼び名が定着してしまった)の自分の部屋で鏡と相対していた。
 いや、別にナルシストというわけではない。ぼくはどちらかと言えば鏡を見るという行動に抵抗を覚える人間だ。出来ればこの状態からもさっさと抜け出したいという思い出イッパイイッパイだ。
「それはつまり、さっさと俺に居なくなれって言いたいのか?」
「そんなわけないだろ。 ぼくは目の前に現れるなって言いたいだけだ」
 ぼくの目の前で苦笑する零崎に言ってやる。
 っていうか、なんでいるの?
「かはは、ひでえな。 俺がお前に会いに来るのに理由がいちいち必要なのか」
「理由が有っても会いに来るような関係じゃないだろ」
 むしろ会わないために理由作りに奔走したいくらいだ。
 いや、それは普通なのか。
 何にせよ、お互いに積極的に会いたいと思うような関係ではないのは間違いない。
「で、結局お前は何しに来たんだよ。 まさか懲りずにみいこさんを狙ってるんじゃないだろうな」
 だとしたら、ぼくは例え相手が殺人鬼であろうとも闘いを挑まなければならない。
 こんな奴にみいこさんをくれてやるものか。
「お前って結構、独占欲強いのな。 だいたいてめぇは振られたって話じゃないか」
「何でお前がそんな事を知ってるんだよ」
 何処から漏れた。
 その事実を知っていてこいつに漏らしそうな人間って言ったら……あの人くらいだよなあ。
 あの赤色に話した時点でぼくも迂闊だった。
「まあ、良いさ。 実は今日、スッゲー俺好みのお姉ちゃんと出会って気分がイイんだ」
「へぇん、そいつは重畳だ。 まさかとは思うけどそんな話をするために来たんじゃないだろうな」
「んな訳ないだろ。 兄貴じゃあるまいし」
 兄貴って、以前言ってた零崎三天王だかの一人だっけか。
 一体どんな人格を所有していたのだろうか。
「じゃあ、何しに来たんだよ。 ぼくだって最近はそんなに暇じゃないんだ」
「みてえだな。 旅先でもたまにお前の話しを耳にするぜ。 哀川潤の弟子の請負人とか」
 それはまた、過剰な評価を受けたものだ。
 まあ、確かにあの人から受けた影響というのは非常に大きいが、しかし師弟関係ってわけじゃない。
「ぼくと哀川さんは友達だって」
「かはは、あの鬼殺しと友達ってだけで、普通はとんでもないんだけどな」
 まあ、それくらいのネームバリューは軽く持っているのは確かだ。
 だけど、別にあの人は友達が少ないってわけじゃないんだけどな。 むしろ多いほう。
「そうそう、それだよ」
「あん? 何がどれなんだ?」
「だから、俺がお前に会いに来た理由」
 何だ? もしかしてみいこさんじゃなくて哀川さんを口説こうというのか。
「ゾッとすることを平然と言うな」
 事実、顔を引き攣らせる零崎。
 うん、その気持はよく分かる。
「そうじゃなくてさ、お前が一体何をやってるんだって話」
「何って、なんだよ」
「だから、お前みたいな人間不信の厭世家が、何で請負人みたいな他人の厄介事に関わるような仕事をしてんだって、そういう話を聞きに来たんだよ」
 ああ、なるほど。
 うん、まあ零崎の疑問ももっともだ。
「だけど、零崎。 ぼくって結構人恋しい性質なんだぜ」
「知ってるよ。 だけど積極的でもなかったろ。 それが何だってこんな真似してるんだ」
「何でって言われてもなあ。 他にぼくみたいな奴が出来る仕事が無かったからってのもある。 だけど、やっぱりあの最悪と遊んだ経験が一番影響あるのかな」
 決して良い思い出ではないけれど、碌な思い出ではないけれども、それでもやはり忘れたいとは思えない。
 それにあの事件のお陰で、ぼくという人間がどれだけの人たちと関わっているのかを知ってしまった。ぼくが思っている以上にその人達に借りがあるということを知ってしまった。
 それらを知って尚、世捨て人を気取ることなど出来なかった。
 借りは出来れば返したい。
 多分、一生かかっても無理だろうけど。
 一生を使ってでも返したいと思う。
「だから、うん。 そうだな。 お前が昔に言ったことに今更のようにまた反論させてもらうよ。 やっぱり人間関係ってのは迷惑を掛けることで成り立ってると思う。 でも、お前の言うとおり一度結んだ人間関係を一方的に断ちきるのも迷惑だ。 いや、それも言い訳か。 単純にぼくは居場所を見つけたというだけなんだ」
「ふーん、なるほどね。 そいつが何時ぞやは聞けなかった答えってことか」
「とりあえず、今のところはね」
「今のところって、なんだよ」
「ほら、ぼくって結構ブレやすい奴だから」
 芯が強い人間でもないし、ましてや心が強いわけでもない。
 ぼくという人間の軸は常に揺らいでいる。
 だけど、そんな緩んだ軸だからこそ、脆くても今まで壊れずに済んできたのかもしれない。
「だけど、遊びがあるってわけでもないよな」
「そこら辺お前は遊びがあるよな」
「そうでもないさ、結構イッパイイッパイって感じ」
 ふーん、そうは見えないけど。
 まあ、零崎には零崎なりの事情ってのがあるんだろ。
「じゃあ、もう用は済んだろ。 さっさと帰れよ」
「お前、本当に酷いな。 そんなんで良く請負人が務ま――るのか。 あの鬼殺しも相当酷い奴だしな」
 哀川さんが聞いたら、それこそ酷い目に遭いそうなことを言う。
 今度会ったときにチクっておくか。
「大丈夫だよ、基本的にぼくは人当たりが良いんだ」
「どの口がそんな事を言うんだよ」
「お前相手は別だよ。 ぼくが自虐的なのは知ってるだろ」
 鏡に向かって悪態をつくって言うのかなりイタイと思うけど。
 哀川さんはぼくと零崎を友達なんて言ってたけど、それもどうなんだろう。
「俺って結構友達は選ぶタイプなんだけどな」
「ぼくは意外に友達に恵まれるタイプのはずなんだけどね」
 鏡の反射。
 水面の向こう側。
 決して同一ではないが同質の存在。
 友達や家族でもなく、他人と言うには近すぎる。
 ぼくらの関係を表す言葉は、無い。
 繋がりなど絶無故に、切ることすら叶わない関係性。
「傑作だよなあ」
「戯言だろ」
 零崎は笑い。
 ぼくは笑わなかった。
 それがぼくらの関係を何よりも物語っているのかもしれない。
 




寝言

はい、遅くなりましたが5月13日――金曜日!
いっくんとぜろりんの出会い記念SSです。
この符号は2005年以来でしたっけ? ちょうどその年に家族で京都へ旅行したのも良い思い出です。
何はともあれ、久しぶりの短編でしたが如何でしたでしょうか。
ちょっといっくんに阿良々木くんが混ざってないかが心配どころ。

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