「一寸の虫にも五分の魂」
   命の価値は等しくて、
   命の在り方には価値が無い。




   

 何事にも始まりがあれば終わりがある。
 誰も彼もが知っている言葉で、誰も彼もが一度は意識させられる言葉だ。
 別段特別な事を語っている言葉ではないが、その言葉を思い返すのは大抵の場合は特別な時だ。
 そう、別に特別な事なんて何も無い。
 始まりも終わりも等しく、まるで等価のように、さながら同化するようにそこらに転がっている。
 さながら石ころだ。
 たまたま躓いたときだけに意識するが、それは突如そこにあったのではなく、今までも当然のように転がっていて、当然過ぎるが故に、その時までは気付かない。
 躓いた所で、また立て直して歩けば言いだけの話なのだ。
 例えば、例えば一日の始まりと終わり。
 例えば、例えば一週間の始まりと終わり。
 例えば、例えば一ヶ月の始まりと終わり。
 そのどれもが当然のように受け入れている。普段からそれらに想いを馳せる事はない。例え馳せても、「今日も疲れたな」「明日は早く起きないと」「週の初めは億劫だ」「週末まであと少し」「今月は何か用事があったかな」「来月は何をしよう」。恐らくそんな所だろう。
 それが普通だ。
 特別を意識しないからこその普通なのだ。
 もちろん、自他共に認める普通の中の普通、一般人・ザ・一般人であるところのぼく、戯言遣いもまた日々の始まりと終わりを特別に意識するわけでもなく、生きている。
 一日の始まりに目を擦り、終わりに目を閉じる。
 一週間の始まりに思うことは無く、終わりにも思い入れは無く。
 一ヶ月の始まりに仕事のスケジュールを確認し、一ヶ月の終わりに病院で寝ている。
 そんなありふれた、極々溢れ返った日常を過ごしている。
 だけど、だからこそ、そんなぼくだからこそどうしても意識してしまうときもある。どこぞの狐ほどではないけど想いを馳せる事がある。
「始まりがあれば終わりがある」
 その言葉の重要さに、潰されそうになるときもある。
 道端の小石とは言え、躓いて倒れ、打ち所が悪ければそれまでだ。立ち上がれない、そんな「終わり」が訪れる事もある。
 そんなときにはどうしても想いを馳せてしまう。
 例えば、例えば見知らぬ誰かの死に触れたとき。
 例えば、例えば見知った誰かの死に触れたとき。
 例えば、例えば身近な誰かの死に触れたとき。
 例えば、例えば親しい誰かの死に触れたとき。
 まるで狐の語るように誰にも等しく、差別無く、分別無く、始まったモノには終わりが訪れる。
 それは、だから死を司るとされる《死神》ですら例外が無い。
 だから、ぼくは想いを馳せる。
 この10月という月初めに終わりを迎えた者に。
「しかしですね、戯言遣いのお兄ちゃん。 この周忌というのは一体いつまでやるのでしょう? よもや永遠に繰り返されるというわけではないのでしょう」
「うーん、確か7周忌まではあったと思うけど、ぼくも詳しい事は解らないな」
 自分を「お兄ちゃん」と呼んで慕ってくれる相手に、多少は見栄を張りたいという想いが無くは無かったが、ありもしない知識を知ったか振って、後々恥を掻いてしまったらそれこそ見っとも無いので、ここは素直に答える事にした。
 落胆されるかとも思ったが、目の前の少女は白い顔を落胆の色に染める事はなかった。そもそもこの少女の顔が白以外の他の色に染まる事がほとんど見たこと無かった。
 その白面に一筋入った赤い唇が数少ない感情の表現が出される部位なのだが、そちらにも何の反応も見られない。
 いや、反応が見られないことが彼女の心情を雄弁に語っているのだろう。
 先程は「少女」と表現したが、そろそろ彼女も「少女」を卒業する年齢になってきたと思う。今や「美少女」から「美女」へと確実に変わりつつあるのは、自惚れでは無く彼女に近い位置で見てきたぼくが一番知っている。
 だが今彼女が着ているのは、彼女の年齢には些か不釣り合いな白いワンピースだ。
 それについてぼくがどうこう口を出すことはない。いや、今回はぼくのような人間だから口を出せないのではない。他の誰であろうとも口を出す事は出来ない。
 居るとすればただ一人。
 そしてその一人は決してもう彼女に対して何かを言う事はないだろう。彼はもう終わりを迎えてしまったのだから。
 今日は10月1日。
 10月という月の始まりの日。
 目の前の少女、闇口崩子の兄、石凪萌太の命日だった。



   

 ぼくと崩子ちゃんは一つの墓石の前に立っていた。
 場所は比叡山にある霊園。
 正直な事を言わせてもらえば、ぼくらが住む骨董アパートからは決して近くは無いこの場所だが、しかし音無さんの好意を無下に出来るわけも無く、ましてや唯一の肉親である所の崩子ちゃんが特に反対する事も無かったので、ここに萌太君の墓を作ってもらうことになった。
 何分、家出の身。
 しかも出てきた家というのが曰くつきだ。
 恐らくまともな戸籍も無いだろう、萌太君の墓を作るのは真っ当な方法では難しかったろう。それでも、作ろうと思えばいくらか手はあったが、その手を打つ前に既に音無さんが手を回してた。
 音無さんがどこまで彼ら兄妹の素性を知っていたのかは謎だが、それでも聡い人だ。素性を知らなくても、想像する事はできたのだろう。音無さんは自分が住み着いている比叡山に掛け合って、霊園に墓を作ってもらえることになった。
 それから、ぼくらはこの墓にお盆とお彼岸、それに命日に参る事にしていた。
 みんなそれぞれに都合があるから、さすがに全員一緒にというわけにはいかない。それでも、全員、誰一人来ない人間は居なかった。
 今はぼくと崩子ちゃんだけ。
 兄を失った妹と、失わせる事件に巻き込んだ原因である戯言遣い。
 とは言え、ぼくが責任を感じてしまっていてはそれこそ萌太君に申し訳が無い。あの日、出陣とでも言うべき意気込みでアパートの敷地を出るときにぼくは二人に確認した。「ぼくのためでないなら、好きにしてくれ」と。
 ここでぼくが萌太君の死に対して責任を感じてしまえば、あのときの萌太君の答えを無にしてしまう。萌太君の心根を無碍にしてしまう。
 だから、ぼくはこの墓の前に何度も立っているが、そのたびに萌太君の死に対して謝罪だけはしなかった。
 しかし、果たして崩子ちゃんは一体、この墓の前で何を思っているのだろうか。
 詮索するのは野暮だが、気にならないといえば嘘になる。
 ぼくと崩子ちゃんは一通り墓を掃除してから、花を添え、線香をあげた。
 そのまま手を合わせて黙祷。
 萌太君は死んでしまった以上、ここには誰も居ない。いくら墓があるとは言え、その下に萌太君がいるわけではない。ここにいるのはぼくと崩子ちゃんの二人だけだ。
 だからこれは萌太君に対してというよりも、自分自身に対しての行いだ。
 自分の中の萌太君への想い出を整理するための行為。
 ならば、ぼくが思うのはやはり、崩子ちゃんの成長報告だ。ぼくは萌太君に崩子ちゃんの事を託された。崩子ちゃんを健やかに育てたいという想いを託された。だからここに来た時は、きちんとそれが出来ているのか、今後も出来るのかを考える。
 やがて、沈黙を破ったのは崩子ちゃんだった。
「ん、もう良いです」
「そう? もう少しゆっくりしていっても良いんだよ」
「いえ、十分です」
 ふむ。まあ崩子ちゃんがそう言うのならば、ぼくからはこれ以上引き止めることもないだろう。
 ぼくらは最後にもう一度、墓に目を向けてからその場を立ち去った。
「お兄ちゃん、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ん? なんだい、改まって。 別に何でも聞いて貰って構わないよ。 ぼくと崩子ちゃんの仲だからね、スリーサイズだって秘匿にするつもりは無いさ」
「お兄ちゃんは、先程萌太の墓の前で、何を考えていたのですか?」
 むぅ、和ます冗談があっさりとスルーされてしまった。最近、崩子ちゃんはぼくの戯言をあしらう術を身に付けたようだ。
 しかし珍しい質問だな。今まではそんな事を聞いてこなかったのにどういう心境の変化だろうか。相変わらず顔色を伺おうにも、崩子ちゃんの表情はクールなままだ。
 うーん、まあ隠すことでもないから素直に言っても問題ないだろう。
「うん、崩子ちゃんの成長をね。 ぼくとしても萌太君に崩子ちゃんのことを頼まれた責任って奴があるから」
「そうですか」
「崩子ちゃんは何を?」
「私は、特に何も」
「何も?」
「はい、今更特別に思うところもありません」
「そっか」
 何も思っていないわけがないだろうけど、ぼくはそれに対して殊更に突っ込むような真似はしない。いくら周りからデリカシーが欠けていると言われているぼくだが、その程度は持ち合わせている。
 それに、何も思っていないという事は無くとも、特別に思うことが無いというのも嘘ではないだろう。
 恐らくいつだって、崩子ちゃんは萌太君の事を気にかけている。崩子ちゃんを最後まで大切にし、愛した萌太君の気持ちを汲んで崩子ちゃんは懸命に生きている。
 だから、多分それで十分なのだろう。
 崩子ちゃんの言うようにそれは今更で特別な事じゃない。
「でも、そうですね。 一つだけ思うところが無いわけではありません」
「へえ? 良かったら聞かせてくれる」
「さすがに、この年齢になってこのワンピースは無理があるので、そろそろやめようかと」
 萌太君が買い与えていたのと同じタイプのワンピース。
「良いの?」
「さすがにこれ以上、この服を着るには年齢的にも厳しいですからね」
 うーん、それはどうだろう?
 確かに年齢的な問題で言えば、その白いワンピースは厳しい気もするが、崩子ちゃんが着る分には決して不相応というわけじゃないんだよなあ。アパートの女性陣からしたらもっとお洒落をするべきだという主張は変わらずだが、ぼくはこれはこれで似合っていると思う。
 それに普段は女性陣の希望通り、お洒落をしている。
 今日だけはこのワンピース姿でも誰も文句を言う事はなかった。
 だから、崩子ちゃんがもう着ないというのならば、ソレに対してぼくが口を出せる事はない。誰にだって無い。
 まあ、それでもあえて一つだけ言わせてもらえるとしたら。
「ちょっと惜しい気はするね。 ぼくとしては結構似合ってたと思うんだけど」
「戯言遣いのお兄ちゃんには相変わらずデリカシーというものがありませんね」
 バッサリと切り捨てられた。
 容赦が無いのは相変わらずだなあ。
 っていうか、褒めたのに何故?
「お兄ちゃん、今の言葉は褒めたうちに入りません」
 そうだったのか。服が似合っていると言うのは褒め言葉だと今まで思っていたが、ぼくの20余年の価値観は今音を立てて崩れ去った。
 それともこれが時代の流れというものなのだろうか。
「確かに一般的に服装を褒めるのは大事ですが、しかしこの服はサイズこそ違え、デザインは以前より着続けているのと同じものですよ。 それが今でも似合うというのは成長していないと言われているようなものです」
 言われてみれば、なるほど、だ。
 うーん、どうにもぼくはそこら辺の機微が未だに理解できない所がある。いや、そもそもぼくら男に女の子の繊細な気持ちって奴が理解できることがあるのだろうか。
「戯言遣いのお兄ちゃんはいくらなんでも鈍すぎです」
「本当に容赦ないなあ、崩子ちゃんは」
「戯言遣いのお兄ちゃんのためにも、そうであるほうが良いと、みい姉さまに言われましたので」
 むぅ、みいこさんの差し金か。
 七々見の奴と違って、みいこさんの場合は本当に善意でそう思っているから文句もつけ辛いなあ。
「しかし、あれですね」崩子ちゃんはぼくへと向か直して言う。「主であるお兄ちゃんに先程のように言われるのはいささかショックですね。 私はそんなにも子供のままに見えますか」
「いやいや、そんなことは無いよ。 思わず見蕩れるくらいに成長してる。 保護者代表としても、友達としても、外に出すのが誇らしいやら心配やらで、萌太君の気持ちが分かるってもんだよ」
 そんなぼくの言葉に、何故か崩子ちゃんは満足するどころか、呆れ果てた、ともすれば諦め切ったとも言える表情を浮かべて溜息を吐き出した。
 いつもクールな崩子ちゃんにやられると、なかなか堪えるものがある。
「しかしまあ、とりあえず戯言遣いのお兄ちゃんが魅力を感じられるくらいには成長できているようで何よりです。お兄ちゃんの従者としては傍に居てつまらない人間にはなりたくないですからね」
「崩子ちゃん。 何度も言うようだけど、ぼくと崩子ちゃんはそれ以前に友達だって事を忘れないでよ」
 あと、心配しなくても最近の崩子ちゃんは十分におもしろいキャラ立ちをしてきてるから。傍で見ているぼくの方が心配になるくらいに。
「しかしですね、私も何だかんだと言って、戯言遣いのお兄ちゃんに雇われ、養われている身ですから、多少なりとも恩返しをしたいと思っているのです」
「うーん、そんな事を言われてもなあ。 別に気にする必要は無いし、何よりぼくの方こそ助けられちゃってるから」
 今までも仕事の上で崩子ちゃんが居てくれなかったら立ち行かなくなっていただろう場面がいくつもあったからなあ。恩返しというのならば、むしろぼくの方こそするべきだ。
「でも、それと恩返しとどう関係してくるの?」
「そうですね。 さすがに身体の都合はどうしようも無いので例の約束はきちんと待ってもらうしかないのですけど」
 何のことを言っているのだろう。
 何のことを言ってるのか、ぼくにはさっぱりきっぱりまったりと理解できないな! 心当たりなんてないよ!
 っていうか、冗談でもそんな事を恩返しにしないで欲しい。それこそ萌太君に会わせる顔が無い。
「しかしですね、もう一方のほうは私が努力すれば短縮できるのではないかと思っているのです」
「もう一つ?」
 はて、なんだっけ?
 こちらは本当に心当たりが無い。
 いや、さっきのも無いけど。
「ええ、戯言遣いのお兄ちゃんには10年早いと言われましたが、主にそんなことを言われて、従者がすごすごと引き下がるわけには行きません。 何より私とて女の子なのでその発言に対してきっちり見返してやろうと思います」
 ああ、そうか。
 そういえば、そんなことも言ったかも知れない。しかし、気にしてたのか。
 崩子ちゃんは真っ赤な唇をにぃと吊り上げて、クールな彼女には珍しい獰猛な、ともすればどこぞの赤色を髣髴とさせかねない挑発的で好戦的な笑みを浮かべた。
「覚悟をしていて下さい。 10年も待たせずに、メイド服が似合うようになって見せましょう」
 宣戦布告するかのように――いや、ようにではなく、そのまま宣戦布告なのだろう――崩子ちゃんを見て、ぼくは思う。
 ああ、もう崩子ちゃんは大丈夫だろう、と。
 そして、願うのだった。
 次に萌太君の墓参りに来るときに、崩子ちゃんがメイド服なんて着ていったら、それこそ萌太君に会わせる顔がなくなるし、下手すると祟られそうなので、それは勘弁してくれないかなあ、と。
 なんて、彼岸を過ぎても戯言は消えないなあ。
 もっとも、崩子ちゃんが早くメイド服が似合うようになってくれるのは嬉しいけどね。





寝言

萌太君、命日SSでした。遅れてすみません。
彼の死は、薄々気がついていたけど、やっぱりショックでしたねえ。
そして、例によって死亡キャラは本編以外のところで輝くから堪らない。

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