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1 ぼくは騒がしいのが嫌いだが、別に京都に住んでいるのはその厳かな雰囲気による静寂を求めての事ではない。ぼくが生まれた神戸から離れた京都に住んでいる理由はただ単純に玖渚友が京都に住んでいるからに他ならない。他に理由はないし、他の理由は必要ない。それに大体にして京都は決して静かな場所とは言いがたい。 京都が歴史の深さがある場所なのは否定しないが、それ故にここは観光地である。改めて言うまでも無く皆が知っていることだろう。つまりは皆が知っている観光地だ。そんな所が静かなわけが無い。学生の修学旅行地が海外などが増えてきた昨今でもその人気は決して衰えたわけではなく(とは言え、しかし中学生とか小学生の時に来ても退屈なだけだと言う意見が多いのも事実なのだが)、学生服の団体さんを見かけることが多い。それに最近は修学旅行生が減った分、以前から見かけてはいた外国人の観光客の数が増えてきているようだ。 まあ、そんな観光地だけど何も年がら年中に観光客で溢れかえっているわけでもないので逆に騒がしすぎると言うわけでもない。 ――ある一定期間を除いては。 観光地である以上シーズンと言うものがあって、その時期になれば例え普段閑散としている場所でもどこから掻き集めたのか人で溢れかえっている。 ぼくが住んでいる京都で言えばかの有名な祭りや、これまた知れ渡っている紅葉の美しさが日本のみならず世界から人を掻き集めてくるので、駅前を初めとして京都の名所各地は平穏や静寂とはかけ離れたものとなる。 騒がしいのが苦手なぼくとしては出来るだけそういう時期には人が大勢いそうな場所には近づかないようにしたい。本心としては部屋に閉じこもっていたいと言うのが本当だが、さすがにそういうわけにもいかないのだ。 もっとも、最近は少しずつ仕事も増えてきて京都に居る時間も大分少なくなってきてるので、そういった時期に京都に居ない事も多くなってきている。お陰でそういった気の遣いをせずに済むようになったのだが、みいこさん達からの誘いを断らなくちゃいけなくなったのは残念至極だ。 玖渚の傍に居られる時間も少なくなってしまった。 とは言え、仕事の先輩であり師でもある赤い彼女に比べればまだまだ駆け出しのぼくは、まだ暇な方だ。そんなときはなるべく家に帰るようにしている。 周りから根無し草とも病院が実家だのと評されたこのぼくに、帰る家なんていうものが出来る日が来るとは思いもよらなかったけど、決してそれは不快なものではない。 そして今日もまた、ぼくは家に帰ってきていた。 折りしも、年初め。 奇しくも正月休みと言う形だ。 「あけましておめでとうございます、戯言遣いのお兄ちゃん。 今年も一年、そして出来れば更にその先もよろしくお願いしてもらいたく、闇口崩子、年始のご挨拶に赴きました」 「うん、あけましておめでとう。 今年も色々と崩子ちゃんには手伝ってもらうことになると思うけど、よろしくね」 「私の所有権は爪の垢に至るまでお兄ちゃんの物なのですから、どうぞお兄ちゃんの良いようにお使いください」 「崩子ちゃん、何度も言うようだけどその物言いはやっぱりやめる訳にはいかないの?」 「こればかりはどうしようもありません。 とは言え、命令していただければ止めますが」 「だから命令とかじゃなくて、友達なんだからさ」 「では、先程の言葉も友達としての言葉と受け取ってください」 「友達はあんな事言わないよ」 闇口崩子。このアパートの住人の家出少女。 実家の家業を嫌って家を出たものも、あの大仰な言い回しも彼女の実家に由縁があるものだというのだからその性質はかなり根深く染み付いてしまっているのだろう。 もっとも、彼女にとっても既にこのアパートが家となっているのだから、もう既に家出少女という肩書きも既に正しいものではないのかもしれない。 ぼくにとっても崩子ちゃんにとっても、やっぱり帰る場所はこのアパートなのだから。 「ところで戯言遣いのお兄ちゃん、出かける準備のほうはまだ済んでいないのですか」 「ん、いや、もう済んでるよ。 あとは防寒具を着て行くだけでいつでも出られるよ」 ぼくがそう答えると、しかし崩子ちゃんは納得する様子も無く、むしろ訝しげにぼくのことを頭の天辺から足の爪先までその感情の篭っていない目で眺め始める。それは眺めるなんていう消極的なものではなく、観察する、あるいは鑑定すると言う表現のほうがこの場合適切だろう。 しかし、とは言え、それが品定めをするような冷めた目であろうとも、相手がいくら気の置けない友人であるとは言え、崩子ちゃんみたいな美少女(あるいは既に美女と表現しても良いのかもしれない)にこうも長時間見られていると居心地が悪い。 戯言抜きで言えば、気恥ずかしい。 「パッとしませんね」 酷い事を言われた。 美少女に酷い事を言われた。 ちなみに今のぼくの格好は黒のスラックスにベージュのタートルネックセーター。 まあ、パッとしないと言えなくも無い。 華があるとは言えないだろう。 ちなみに崩子ちゃんのほうはと言えば、パッとしていた。 いつもはぼくと同じようにどちらかと言えば地味な服装で居る事が多い崩子ちゃんだが、本人がハッとするような美人なのでぼくとは違い華としては十全なのだが、今日の崩子ちゃんは万全だった。 今日の崩子ちゃんは振袖だった。 見事な華だった。 まだ確実に少女だと言えてた頃からお人形さんのように可愛いと評判ではあったけど(他人事のように言うがぼくもまたそう評する者の一人だった)、今の姿は本当に日本人形のようだ。 あまりに似合いすぎて言葉も無い。 「ん」 と、ぼくが恥ずかしくも崩子ちゃんに見蕩れていると(年下の女の子に見蕩れている男なんて、傍から見て通報ものだ)崩子ちゃんは両腕を横に広げて見せた。 「ん」 「どうしたの、崩子ちゃん?」 「ん!」 「あ、もしかしてサイズが合わないとか? でもそういうのはぼくじゃなくてみいこさんか、不本意極まりないけど七々見のやつに頼んだ方が良いんじゃない」 「ん!!」 いきなり崩子ちゃんは噛み付いてきた。 動きにくい服装なのにも関わらず俊敏なその攻撃を避ける事が出来たのは、崩子ちゃんの口が小さいのと、噛み付かれるという行為がぼくにとってトラウマの一つとし組み込まれているために出来た咄嗟の回避運動のお陰だった。 「危ないなあ、急にどうしたの」 「どうやら戯言遣いのお兄ちゃんはいつまで経っても礼儀と言うものを学習しないようなので、僭越ながら友人として私が教育して差し上げようかと思っただけです」 たった今、ぼくを噛もうとした口をニィと吊り上げて笑う崩子ちゃん。 その様はまるで呪いの日本人形だ。 これはこれで似合っているのが困る。 「にしても、噛み付くことは無いだろ。 危ないなあ」 「先日、魔女のお姉さんから借りた本に親しい年上男性の友人との交流方法として紹介されていたので参考にさせていただきました」 またあの女の差し金か。やはり奴とははっきりと白黒つけなければなるまい。 しかし、それにしても何だその本は。そんなものが本当に存在するのだろうか。崩子ちゃんの言葉を疑うわけではないが、そんな代物が平然と市場に出回っていて大丈夫なのか。よく若い世代が事件を引き起こしたときにその人物が所持していた作品が槍玉に挙げられるが、ぼくはそのやり方が話題性作りと思考停止ゆえの安易な擦り付けだと思っていたが、そんな本が平然と出回っているとなるとこじ付け擦り付けだと判断するのも安易なのかもしれない。 まあ、あいつが持っている本だけにコアなのまで引っ張り出して選出した可能性も十分にありえる。 「今更お兄ちゃんの礼儀知らずを憤ったところで仕方ないのは私としても重々嫌になるくらい承知している事ではありますが、しかし、かと言って放置しておいては何も進展がありませんので、少しずつでも矯正して行こうと思うのです」 「そこまでなのか」 そしてほとんど処置無しなのか。 んー、そうなると割りと深刻かもしれない。ぼくの仕事は礼儀礼節にそこまで拘るようなモノではないが、それでも依頼者に対して無礼を知らず知らずに働いてしまっては評判と信用に関わる。それはこの仕事において致命的だ。 あれ? でも偉大な先人であるアノ人は礼儀礼節とは程遠い人格だぞ。 なんてぼくがいつもの悪い癖で意味の無い思考に没頭していこうとしていると、崩子ちゃんは不機嫌そうにその思考に歯止めを掛けてくれた。 「戯言遣いのお兄ちゃん。 出かける準備が済んでいるというのならば、そろそろ行きませんか? そもそも私がこちらに来たのは年始の挨拶もありますが、お兄ちゃんを呼びに来たのですから。 下でみい姉さんがお待ちしてますよ」 「あ、ごめんごめん。 もうみんな待ってたのか」 普通は女性のほうが準備が掛かるものだろうに何で一番パッとしないぼくが最後なんだ。 しかし、それにしてもみいこさんか。 このアパートの住人みんなに好かれている剣客のお姉さん。 みいこさんも振袖だろうか。振袖だと良いなあ。正月なんだから振袖であるべきだ! 「えい!」 「いてぇ!」 足を思いっ切り踏まれた。 今回の攻撃は避けることが出来なかった。さすがにこちらは慣れた攻撃なだけに疾駆だった。慣れた攻撃ならばぼくだって避けられてしかるべきなのだろうけど、生憎とぼくの学習能力の悪さは記憶力の悪さに次いで定評があるのだ。 「やはり戯言遣いのお兄ちゃんは礼儀知らずです。 いっそ恥知らずだと言っても良いでしょう」 「崩子ちゃん、年長者として忠告しておくけどもう少し言葉と言い方は選んだほうがいいよ。 言葉って言うのは存外に相手を容赦なく切り刻むものだからね。それは必ずいつか自分に帰ってきてしまうよ」 「ええ、知っています。 目の前に反面教師となる年長者が居ますので私もそうならないように日々常に気をつけていますよ。 先程の言葉にしても細心の心遣いの元に選んだ言葉です」 その言葉の選択は明らかに失敗していると思う。教師と生徒のどちらの出来が悪いかはさて置いて、崩子ちゃんのコミュニケーション能力が心配になる話だった。それともそこまで言われるほどにぼくは何か大きな失敗をしたのだろうか。その可能性は、残念ながら非常に高い。ぼくのコミュニケーション能力は伊達に崩子ちゃんの反面教師をやっているわけではないのだ。 「うん、とにかく分かったよ。 直ぐに行くから先に下で皆と待っていてくれるかな」 「……分かりました。 あまり遅くなると魔女のお姉さんが怒るのでのんびりしないでくださいね」 折角の忠告だが、崩子ちゃんがそんな言葉を言っている段階なら既にあの女はかなりイラだってそうだ。まあ良いや。イライラしてるのはいつものことだし。特に締め切り前とか。 本人が聞いたらそれこそ呪いでも掛けてきそうなことを考えながら先に行く崩子ちゃんを見送る。 うん、なんだか反抗期的なところもあるけどやっぱり素直な子だ。これが他の奴だったら絶対に出て行こうとはしない。居座った上に準備の邪魔をして遅れた責任をぼくに押し付けるだろう。 崩子ちゃんにはそんな捻くれた奴にはなってもらいたくないものだ。今のまま素直に育って欲しい。 「ホント、可愛さそのままにますます美人になってきたな崩子ちゃんは。 いーたんやあの美少年が過保護になるのも分かるってもんだ。 どうだい、いーたん、可愛い子には旅をさせろって言うし崩子ちゃんをあたしに預けてみないか」 「ふざけんな! 崩子ちゃんをあんたになんんか任せられるわけねえだろ!」 「崩子ちゃんの事でもマジギレかよ!?」 いつの間にか部屋に侵入していた哀川さんが珍しいビックリ顔を見せた。 本当ならばいつの間にか進入していた哀川さんに対して驚くか呆れるなどの反応を返すのが、この物語におけるツッコミとしてのぼくの正しい役目なのだろうけど、ぼくは衝動的に積極的にその役目を破棄した。たとえ物語があらかじめ決められていてその役目から逃れることが出来ないと言われても、運命に逆らってでも為さなければならない事と言うのは確かにあるのだ。 「あー、驚いた。 まさか新年の挨拶の前にいきなりキレるとはなあ。 これが最近のキレる若者って奴か」 「今回に限っては、っていうか大体は哀川さんのほうに責任があるでしょ」 「んん? 今年も記憶力の無さが絶好調じゃねえか、ええ? あたしのことを苗字で呼ぶなって言ったことをすっかり忘れやがって。 それとも今年からは商売敵から正式に敵に回るって言う挨拶か? ああ?」 「ええと、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします、潤さん」 あっという間に立場逆転。 仕方ないだろ。このままだと鏡開きの前に痛む頭が開く事になる。 「ところで潤さん、今日は一体どうしたんですか?」 「ん? なんだよ、折角このあたしが挨拶に来てやったのにつまらない反応だな」 「ああ、ええとそれはわざわざありがとうございます。 あ、そうだ。 これから皆で初詣行くんですけど、潤さんもどうですか?」 「あー、悪いけどこの後仕事があんだよ。 こっちは正月休みも返上だ」 さすがに駆け出しのぼくと違って哀川さんは多忙のようだ。まあ、姿がいつぞやのオフのときと違って仕事用の真っ赤なスーツ姿なのでなんとなく分かってはいたけど残念だ。哀川さんの振袖姿も見てみたかったのだけど。 「んじゃあな、今年も一年遊んでやるよ」 「あれ? もう行くんですか?」 「言ったろ、これからすぐに仕事に行かなきゃなんねえんだよ。 サーカスから虎が逃げ出したとかで捕まえにいかなきゃなんねえんだ」 「それは新年早々大変ですね」 干支の虎関係の仕事と言うのは幸先が良いのか微妙な話だ。 まあ、哀川さんならそのくらい楽勝でこなしそうだけど。 「本当なら崩子ちゃんや他のアパートの連中にも会って行きたいけど、それはまた今度にするわ。 お前の方からよろしく言っておいてくれ」 「請け負いますよ」 「おう、それじゃあ今年もとびっきりのトラブルがお互いにあると良いな。 玖渚ちんにもよろしくな」 そう言うと哀川さんは帰りはちゃんと扉から出て行ってくれた。もしかしたら気付かなかっただけで来た時だって扉からどうどうと這入ってきたのかもしれないけど。 やれやれ、トラブルなんて出来れば御免被りたいけど、願うまでも無くあの人と付き合っている限りはトラブルには困る事はなさそうだ。そんな人と好んで付き合っているんだから、ぼくも全く持ってどうしようもないな。 「聞こえてたろ、友。 哀川さんがよろしくってさ」 ぼくは玖渚が居るはずの寝室へと声をかける。 「…………」 姿は見せなかったけど寝惚けた声で返事が返ってくる。 やれやれ、今年も寝正月で過ごすつもりか。まあ、活発に動ける身体じゃないんだから仕方ないか。でも、一回くらいは外に連れ出したいものだ。もちろん人が少なくなってからの話だけど。 しかし崩子ちゃんが出て行ってから大分時間が経ってしまった。これはかなりのお叱りを覚悟しなければならなそうだな。まったく、早速哀川さんのお陰でトラブルに見舞われる羽目になったか。本当に困った人だ。 「新年早々の戯言だけどね」 いつもの口癖。逃げ口上。 まったく、こればかりは新年になろうとも何年経とうとも変わらないな。 まあ良いさ。そんなもんだろう。 変わらないものなんて無いって言ったって、人間そう簡単に変わるものじゃない。 成長すると言っても昨日まで子供だったのが今日からいきなり大人になるもんでもない。 ゆっくりと変わっていけば良い。 ゆっくりとでも成長していけば良い。 「って言っても、こっちの方はゆっくりしてたら本気で怖いしそろそろ行こうか」 ぼくはダッフルコートを羽織って今度こそ出掛けるようとしたが、ふともう一度自分の姿を見直して先程の崩子ちゃんの言葉を思い出す。 どうしたってパッとするようなぼくじゃないし、そんな服も持ってはいないのだけど、ああも年下の女の子に言われてしまってはそれなりに思う所はあるのだ。 そうだ。こないだのクリスマスに崩子ちゃんがプレゼントしてくれたマフラーがあったはずだからそれをしていくとしよう。防寒具にもなるし一石二鳥だろう。 そうしてようやく今度こそ出ようという段になって、ぼくはそこでようやく思い至る。 まったくどうかしている。一番言わなければいけない相手に言うべきことを忘れていた。 「それじゃあ行ってくるよ。 今後も一生よろしくな、友」 「うん、こちらこそよろしくだよ、いーちゃん」 その答えに満足して、今度こそぼくは出掛ける事にした。 神頼みなんて柄ではないが、折角の初詣なんだからせいぜい祈ってくるとしよう。 今年もそこで何もしないでくれって。 寝言 えー、みなさま明けましておめでとうございます。本当遅れに遅れた年賀SSとなります。戯言は久しぶりに書くとやっぱり難しい。 さて、去年は化物語のアニメが始まるという一大イベントがありましたが、今年も刀語のアニメが開始。そして戯言シリーズのスピンオフである人間シリーズの最終巻の発売。さらにはあの哀川潤を主人公とした「緋色の英雄」の情報などがあり、わくわくが止まりません。 それでは皆様、遅筆で稚拙な身ですが、どうか今年もよろしくお願いします。 |