嬉しいときに笑う。悲しいときに泣く。
   そんな人間居るんでしょうか?



   


「よお、いーたん。 誕生日おめでとさん」
 ぼくが意識を取り戻して一番最初に聞いたのがその言葉だった。或いは、今日はじめて聞いた言葉でも構わない。ぼくの視界に入ったアナログ時計がジャスト零時零分を示している。
 だが、そんな時計の存在よりも、もっと気にするべきものがぼくの視界を占めていた。
「ん? おら、何ボケッとしてやがる。 このあたしがわざわざ訪れてきてやったんだから礼の一つくらい言ったらどうだ」
「…………」
 その問題の赤色は、ぼくが何の反応も返さない事が気に入らなかったようで、さっきまでの上機嫌な様子が嘘だったように機嫌と目付きが急勾配を作り始める。
 それが、深夜に人の部屋に不法侵入して、寝ている住人を起こして言う言葉と態度として相応しいものなのだろうか。いくらなんでもここはビシッと言うべきだろう。ぼくだって言うべきことを言えるくらいには成長している。丁度良い、この人には一番にそれを知らしめたいと思っていたところだ。
「ありがとうございます」
 こんなぼくを最近では許せるようになったりしたのも、成長と言って言えなくも無いだろう。
 いや、確実に戯言ですけどね。
「なーに気にスンナよ。 あたしといーたんの仲じゃないか。 礼なんて水臭いぜ」
 あまりの寛大で懐の大きさを表す言葉にぼくは……えーと、何だ? 感動? 感銘? んー、やっぱ寝起きだとあんまり頭がよく動かない。別に低血圧で寝起きが悪いわけでもないし、かつてはスタンガンで三日間も昏倒されてからでも損傷無く――多少の記憶改竄はあったが――機能したと言うのに……どうしたことか。良く分からないが、何故だかすごく久しぶりに戯言を使っているような錯覚に陥っている。原因は分からないが本調子ではないようだ。
「おい、大丈夫か、いーたん? ボーっとしてるけど本当に調子悪いのか?」
「ええ、大丈夫です。 中途半端な睡眠時間だったからちょっと頭がうまく働かないだけです。 それよりも、何なんですか? いくら哀川さんにしたって、こんな時間にいきなり人の部屋に入って来るなんて……」
「用件は言ったはずだぜ。 思い出せないならショックを与えてみようか? そうしたらあたしが口酸っぱく言っている事も思い出せるかも知れないしな」
「そのやり方は、ただ対象を破壊するだけになると思うと愚考します。 だからその拳を握り締めた腕を下ろしてください、潤さん」
 この人に殴られたら、冗談抜きで直すどころか永遠に機能しなくなる。そんなこと分かりきっているんだけど、やっぱり哀川さんを苗字で呼ぶのはやめられない。本当にマゾなんだろうかぼくは。そこら辺の追求は後々に回すとして……はて? 既に用件を言ったと言っていたけど、会話らしい会話をした憶えはほとんど無いんだが。そう言えば、寝起きにというか、ぼくが目を覚ます原因になった言葉があったような気がしたけど、何て言ってたんだったけか。
「あん? なんだ、まさか聞いてなかったんじゃねえだろうな」
「はい。 何て言ったんですか?」
 などと、目つきがどんどん険しくなっていく哀川さんに聞けるわけも無い。そんなことしたら、次はいつ目覚めるとも知れない眠りにつかされるに決まっている。
「そんな訳、無いじゃないですか。 ただ、ちょっと寝ぼけてるだけです」
 頑張れ! 頑張るんだ、ぼくの脳髄! お前だってまだ死にたくは無いだろ!?
 えーと、確か時計を確認したのは別に今の時刻を知りたいだけって言うわけじゃなくて、きっと哀川さんの用件と関連性があったからの筈だ。となると、時刻が肝心なのか? 哀川さんが訪れたのは何時なのかは知らないけど、ぼくが哀川さんに起こされたのは午前零時零分ジャスト。正に日付が変わった瞬間だ。ん? 日付ってことは、時間よりもそっちが問題なのか? えーっと、昨日が――だから、必然的に今日の日付は3月の――。
「あ、そうか。 今日はぼくの誕生日か」
「ん? なんだ、その今になってようやく思い至ったって感じのは?」
「いえ、あい……潤さんの言葉で思い出せたって言うだけですよ」
 哀川さんの眼が緩まるどころか更に険しさを増したので必死に言い訳するぼく。もっとも、ぼく程度の底が浅い言い訳なんて、哀川さんには筒抜けだろうけど。
「ふん、まあ良いさ。 今日という日に免じて大目に見てやる。 何せ今日はめでたい日なんだし、あんまりイジメてやんのもわりぃからな。 ん? でもいーたんの場合はイジメてやった方が嬉しいのかな」
「え? いや、それは……」
 どうなんだろう? きっぱりとは否定できないぞ。っていか、哀川さんにイジメて貰えなくなるのはそれはそれで寂しいとも思う。やっぱり久しぶりに哀川さんに会ったときにイジメて貰うのは毎回楽しみなわけだし。いやいや、それはそれで重大な事だけど、問題なのはそこではなくて、ぼくの誕生日だと言うこの日に目の前に哀川さんが居る事だ。
「えっと、もしかしてわざわざぼくの誕生日のために来てくれたんですか?」
「他に何があるよ。 大好きないーたんのためにわざわざ山積みの仕事を蹴散らして時間作ってきたってのに、何だその態度は? 感動して咽び泣くくらいしても良いだろうが。 このあたしが来てやったんだからもう少しくらい嬉しそうにしやがれ」
「え、あ、いや……はい」
 嬉しくないわけではない。と言うか、嬉しくないわけがない。嬉しすぎて呆然とするしか出来ないのだ。うっわ……。やべえ、本当にめちゃくちゃ嬉しいぞ。まともに哀川さん方を見ることが出来そうにないけど、同時に顔を背けることも出来ない。あー、今のぼくは一体どんだけ間抜け面を下げてるんだ。この時ほどポジティブな感情を表に出すことが苦手な自分自身を恨んだことが無い。
「あの、でも何でよりのよって、この時間に?」
「あん? そんなもん一番に祝ってやろうと思ったからに決まってんだろ。 あたしはな、何であれ遅れをとるのが嫌いなんだよ」
「まあ、それはそうでしょうけど」
 いや、そうなのか? 納得してしまって良いことなのか?
「まあ、もっとも」と、哀川さんはそこでいつものシニカルなのとは違うイヤらしい笑みを浮かべて言う。「いーたんとしては、あたしなんかよりも愛しの玖渚ちゃんに一番に言って欲しかったかな」
「…………」
 沈黙するぼく。
 っていうか、哀川さんたまにノリが女子中学生みたいなってますよ。そんな年齢でもないだろうに、さすがにそのノリは無理があるんじゃないかと思う。
「てめぇ、それが誕生日を祝いに来てやったあたしに対して思う事か」
「言ってもいないことで絡まないでくださいよ」
 ツッコミ担当としてはなんともやりづらい。とは言え、何も言わなければそれはそれで文句を言うんだよなあ。まあ、ここら辺も恒例の会話のやり取りだ。いちいち本気で嘆く事でもないし、哀川さんだって本気で怒ってるわけではないだろう。多分。
 だが、哀川さんはそんなぼくの心中を確実に知っているだろうに、そんな事にお構いなく何かを探すように首を巡らしている。
「あれ? そういや玖渚ちゃんはどうしたよ? 姿が見えないけど今日はお泊りじゃねえのか?」
「玖渚なら本家ですよ。 直さんに呼ばれたらしいですよ」
「そうなの? つまんねえな。 誕生日だからってイチャラブってるところを乱入しようと思って、わざわざこんな時間を選んだって言うのに、意味ねえじゃん。 あー、損した。 いーたん、お客様になんか飲み物でも出してくれよ」
「…………」
 あんたは一体何様だよ。なんて、聞いたところで「あたしを誰だと思ってんだ?」って言われたら、大人しく従うしかないので、ぼくは一切の反論を飲み込んで、哀川さんに飲み物を用意してあげる。
 そうして、哀川さんの前に差し出したコップの中身は当然ながら水道水。そして、これも当然なことながら哀川さんは動じることなく、一気に飲み干してしまった。
 しかし、この人にこんな心配は意味が無い事くらい分かりきっているけど、一気飲みってあんまり身体には良くないんだよな。いや、水道水どころかウォッカの一気飲みも平然とやりそうな人だけどさ。
「ふーん、しかしそうか。 玖渚ちゃんはいないのか。 そりゃあ、随分といーたんには寂しい誕生日だね」
「別に誕生日だからって何が変わるわけでもありませんからね。 そう考えればいつも一緒に居るわけじゃないんですから、今日くらい家族と過ごしてたっておかしくはありませんよ それについてどうこう戯言を吐くほどぼくは独占欲は強くありません」
「へん、成長してもドライだね。 まあ、数少ない個性を大事にすんのは構わねえけどよ。 今回のソレはちっと言い訳を誤魔化している戯言にしか聞こえないぜ」
 ニヤニヤ顔で知ったような事を言う哀川さん。
 普通ならここはぼくとしも侮辱されて激昂しても良い場面なのかもしれないが、その言葉が見事なまでに的を得ている以上、ぼくにそんな真似が出来ようはずもない。それではただの逆切れだ。
 まあ、なんて言いますか。一応の言い訳をさせて頂くとすれば、誕生日と言うものに対してそれほど思い入れが無いと言うのは決して嘘ではなくて、他の日と何が変わるわけでもないというのも偽りではない。とは言え、やっぱり哀川さんがしてくれたみたいに、ぼくなんかが生まれてきた日をおめでとうなんて言ってくれるのは嬉しいし、友が近くに居ないと言うのは、あまりベタベタした関係を好まないぼくらにとっては、それ程おかしな事ではないので、特に寂しいなんていう感情は沸いてこないが、それでも一緒にいるほうが嬉しいと言うのは否定できないわけで。
 つまり、何が言いたいかというと。
 要約して、掻い摘まんで、一言で表せば。
「戯言なんだよね」
「結局そこに行き着くのかよ」
 呆れられてしまった。
 仕方あるまい。これこそ正にぼくの数少ない個性の一つなのだから、そう簡単に手放すわけには行かない。
「ふーん、まあ良いや。 ところで誕生日って言えばケーキだけど、いーたんチにある?」
「あるわけ無いじゃないですか」
 いくら誕生日でも自前でケーキを購入するのってかなりお寒いぞ。ましてや、哀川さんが訪ねてきた時間を考えると、前日から用意してたってことになるんだが、そこまで行くと寒いどころか、どれだけ自分が好きなんだって言いたくなる。もちろん、ぼくはその両方にも該当するような人間でもないし、常にケーキを常備しているような人間かと問われれば、それも否である。
「だろうと思ったよ。 安心しろよ、いーたん。 ケーキはちゃんとあたしの方の用意しておいてやったよ。 まあ、時間も無かったから大したもんは用意できなかったけどな」
「いえ、そこまで気を使ってもらうとぼくの方が気疲れしちゃいますよ。 これで大層なモノを持って来られたら神経が磨り減りますよ」
「そりゃあ、良かった。 烏の濡れ羽島の料理人に作らせた甲斐があったってもんだ」
「…………」
 えっと、何て言いましたか?
 あの島の料理人って、まさかひかりさんとかのメイドさんじゃないよな? それはそれで滅茶苦茶嬉しいけど、もしそうだったら哀川さんも料理人なんていう肩書きじゃなくて名前で呼ぶだろうし。そうなると残るのは(ぼくも名前を憶えてないけど)あのあらゆる味を占めた《天才料理人》しか居ないんだよな。
 神経が……神経が削られていく。
「まあ、本当ならあの程度の奴なんかじゃなくて、なんとこのあたしが手作りしてやろうかとも思ったんだが、あたしも仕事で忙しくてさ。 なかなか時間を作れなかったんだよ。 実はこの後も仕事が控えててさ、あんま長居は出来ねえんだ。 わりぃな、いーたん」
「いえ、そのお気持ちだけで十分です」
 十分、神経が切り刻まれます。
 これで本当に哀川さんの手作りなんて言われたら、多分ぼくの誕生日は同時に命日になりそうだ。
 あれ? でも、ちょっと待った。何で仕事で忙しかった哀川さんがあの料理人に連絡なんて付けられるんだ?
 …………何だ? 何だか嫌な予感が。
「あの、潤さん。 潤さんは一体いつの間にあの料理人と連絡を取ったんですか?」
「あん? そりゃあ、アレだ。 イリアの奴にまた春日井春日を連れ戻すように頼まれた仕事を終えたときだよ」
「春日井さん、また逃げ出したんですか? 今度もイカダですか?」
「いや、今回は物資を届ける船に密航したらしい」
 器用な人だな。
 以前あの島でスタイルを持たない天才に出会ったが、負けず劣らず春日井さんも型に嵌らないよな。
 いや、今は問題はそこではない。
 直接、頼んだと言うのならば、その事を島の主であるイリアさんの耳に入らないなんていう奇跡的幸運は起こりえるのだろうか。いや、でも哀川さんも「百万回にいっぺん在ることは、最初の一回に起きる」って言ってたから可能性は無くは無いのか?
「んでまあ、そん時に頼んだんだけど、幸いイリアもノリノリでな。 実に協力的だったよ」
 ぼくの淡い希望は粉々に吹き飛んだ。
 しかし、そうなると、もう一つの問題も確実になってきたぞ。
「あの、潤さん。 さっき言ってたこの後に控えてる仕事って言うのは……」
「うん? ああ、もう少しゆっくりしてった後でも良いんだけどな。 だけど、考えたらやることは変わらないんだし、今からでも構わないっちゃ構わないよな。 善は急げって言うしね」
「いや、別にそう急がなくても……。 それにソレって本当に『善』なんですか?」
「あん? あったりまえだろ」
 そう言ってガッシリと力強くぼくの肩を掴む。
 そう言ってガッチリと力強くぼくの肩を捕まえる。
「イリアが是非ともお前の誕生日を祝いたいから連れて来てくれ、っていう依頼はどっこも悪いところは無いだろ」
 どうして? どうして、いつも悪い予感に限ってこんなにも的中率が良いんだ!
 そもそも、何で今までの人生の中で良い予感って言うものに出会ったことが無いんだ!
「あの、あい……潤さん。 ぼくとしてもそれが決して悪い事だとは思いませんけど、そんな悪い事じゃないから善い事だなんていう、消去法とも言えない安直な結論の出し方は賛同しかねるものがあるんですけど」
「あぁ?」凄い目で睨まれた。今までのにこやかさがまやかしに思えてくる。「何グダグダ言ってやがる。 それともあれか? 同業者のライバルであるあたしの仕事を失敗させようって魂胆か? 良いぜ、楽しいじゃねえか。 あたしからいーたんへの誕生日プレゼントにあたしへの挑戦権をくれてやる。 その挑戦受けてたってやるよ」
 それはそれで確かにレアだが、そんな使用する機会が永久に来ないプレゼントなんていらない。どんなものでも使用されなきゃ、意味なんて無いって言うのに!
「あ、あのお気持ちは嬉しいんですけど、遠くの親戚、近くの他人って言葉もありますし、ぼくとしてはもっと身近な人との親交を温めたいと思うので、誕生日なんていう重要イベントの日にあまり遠出するのは気が進まないんですが。 それに、やっぱりぼくとしては一番にこういう日は玖渚と過ごしたいとも思いますんで」
「ああ、安心しろよ。 あたしを誰だと思ってるんだい? ん? この哀川潤様がそのくらい気を利かしてやら無いと思ってるのか。 宇宙戦艦ヤマトに乗ったつもりで居ろよ。 きちんと玖渚ちゃんも招待してやる。 なーにいくら玖渚本家でもあたしを敵に回そう何て思わないだろうさ。 なんだったら、おまけにこのアパートの住人も連れ出してやっても良いぞ。 崩子ちゃんには個人的にも会いたいしな」
 哀川さんがヤマトなら、それに乗せられたぼくはさしずめデスラーか。不安で酔い潰れそうだ。
「いや、でもですね、他のみんなにも都合って言うものが……」
「んなもん全部キャンセルだ。 このあたしの誘いといーたんの誕生日を祝うってう目的なら喜んで付いてくるって」
 いや、無理だろう。特に後者の理由は。
 というか、主賓のぼくの意見は一切無視ですか。
「何を渋ってんだよ。 別に嫌なことなんて何も無いだろうが。 向こうに行きゃ、お前の大好きなあかりやひかりにだって会えるんだぞ。 もしかしたら、誕生日プレゼントに目一杯ご奉仕してもらえるかもよ」
「…………そういう問題じゃないでしょ」
「間を空けて反論しても説得力ねえぞ」
 失礼な。別にぼくは思い悩んだわけじゃない。
 ただ、思い浮かべただけだ。
 大体、メイドさんとは主に忠義を尽くすものであって、ぼくはその姿勢に感銘を受けているのだ。そんなメイドさんに何かをしてもらうなんていうことには、何も、ほんのコレッポッチも、期待すべき事はない。
「あー、もう、メンドくせぇな。 メインのお前が居なきゃ意味が無いだろうが。 このあたしが丁重に送り届けてやるから、お前は少し休んでろ」
「あの、哀川さん。 その左手に持った黒い物体を使う事はどう解釈しても丁重ではないとおも――!」
 ズドンッ。
 そんなどこか慣れ親しんだ衝撃とともに、ぼくの意識は急激に遠ざかり始める。
 どうやら、何をどうしてもこの結末は変えられない運命にあるらしい。
「次に目覚めたときはパラダイスだ。 それからあたしを苗字で呼ぶな」
 そんな哀川さんの声を聞きながら、ぼくは誕生日らしく今までの人生と、これからの人生に思いを馳せてみるが、どうもぼくの人生これからもこんな調子で進みそうだ。いくら成長しようとも、こればっかりは逃れられそうに無い。
 つまり、何が言いたいかというと。
 要約して、掻い摘まんで、一言で表せば。

 ――ぼくは相当な幸せ者らしい。






寝言

はい、どうもお久しぶりです。
3月はいーちゃんの誕生月らしいので書いてみましたが、如何だったでしょう? 久しぶりなんで、どうにも戯言加減が上手く書けませんでした。
本来ならば、烏の濡れ羽島での事も書くべきなんでしょうが、リハビリも兼ねてということで今回はこのくらいでご勘弁を。



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