星ってようするに地面のことだろ?




   

 人は古来から空に様々な思いを馳せてきた。そのほとんどは到底叶いそうに無い荒唐無稽な、願望と言うよりも妄想と言うべき物ばかりだった。
 しかし、それでも人はそんな妄想を現実にしてきた。飛びたいと言う願いを叶え、あの天空に輝く星星へ行きたいと思えば自分たちの代わりに星を見てくる物を作り上げた。
 しかしそれらの行為はかつて描いた夢を現実に貶める行為と変わらないのではないだろうか。かつてそこにあったはずの夢や希望は所詮幻想でしかなかったと思い知るだけの徒労ではないのだろうか。正しく幻滅だ。
 現実と幻想。
 そのどちらに人は希望を持つかなど明白だ。
 それなのに人は幻想を幻想のままにしておくことを良しとせずに現実で侵そうとする。
 それならば初めから幻想など見なければ良い。
 希望など抱かなければ良い。
 少なくともぼくはそうだった。幻想も希望も抱かずに、妥協と諦観を履いてきた。
 だからぼくは空を見上げてもさした感慨を浮かぶことも無い。あのどこまでも落ちていくような青い空に思いを馳せることも無ければ、降り注ぎそうな星空に物語を見出すことも無かった。
 ぼくがそんな捻たガキであったことは本当なら今更語るまでも無いことだ。いい加減同じようなことばかり語っても飽きられてしまう。マンネリと言う言葉はぼくのような人間にはとても相応しくは有るかもしれないが、それでは戯言遣いとしても語り部としてもどうかと思う。
 ならば何故語るのかといえば、それがぼくの与えられた役割だし、ぼく自身何度も同じことを飽きても反復する人間であることも大いに関係してるが、それよりも何よりも今日はその空に関するイベントの日というのが最大の理由だ。
 数ある夜空の物語において、おそらくこの日本でトップクラスの知名度を誇るイベントの日。普段無理矢理押し付けられた仕事をこなす日々を過ごすカップルが心置きなくイチャつける一日。その日をなぜか部外者のぼくたちが祝わなければならない、そんなイベントの日だった。
「七夕をそう介錯するあたり、師匠の捻くれ具合は救いようが無いですね」
「ぼくが捻くれてるのは認めるけど、何も七夕に止めを刺すほどには捻くれてないつもりだよ」
 介錯……。
 正しくは解釈だ。
 …………。
 何はともあれ、今日は姫ちゃんの言うように7月7日、七夕の日だ。ぼくの捻くれた解釈でも解る人が多いメジャーなイベント。あらすじも大きくは間違っていないはずだ。今日はアパートでみいこさんが持って来た竹を駐車場に立てて、それにみんなで短冊を吊るして七夕気分を味わおうと言うことになった。
 そもそもぼくはあまりこのイベントとは縁が無い。先も言ったように子供の頃は積極的に参加するような子供ではなかったし、その後は七夕とは縁の無いヒューストンにいたのだ。これではぼくが七夕に思い入れを持てないのも仕方なき事では無かろうか。
 ……まあ、それと捻くれた解釈とでは何の関連性も無いけどさ。
「姫ちゃんは何か七夕に思い入れとかあるのかい?」
「そーですねー。 姫ちゃんも思い入れと言うほどの思い入れはありませんけど……あ、でも澄百合学園でも一応七夕はあったですよ」
「あの学校に?」
 それは意外だった。あんな年頃の娘を凶器に変える、狂気の沙汰としか思えない学校にそんなまともなところがあったのか。
「山の中で川を挟んで二つの陣営に分かれて、相手方の竹に掛かった短冊を奪うですよ。 地形の問題的に姫ちゃんにはとっても有利な戦場でした」
「アグレッシブな七夕だね」
 ってか、そんなもんは断じて七夕ではない。
 普通は七夕を語る上で『陣営』とか『戦場』なんて単語は出てこないはずだ。
 良くそんなんで人のことを捻くれてるとか言えたものだ。
「ふふ、随分と盛り上がっているようですね」
 駐車場に姿を現したのは相変わらず爽やか過ぎて性格の悪そうな笑みを浮かべる萌太君と、その妹で相変わらず感情をあまり表面に出していない崩子ちゃんだった。二人の手の中にはそれぞれ長方形の髪が一枚ずつ握られている。
「二人も短冊をつけに来たの?」
「ええ。 先立つものは有りませんが願いだけなら困らないほどありますからね。 幸せのお裾分けでも頂こうかと」
 お裾分けを頂くのは得意ですからね、と笑う萌太君。
 お裾分けしているぼくとしては何ともリアクションに困る受け答えだ。
「あ、崩子ちゃん。 聞いてくださいよー、師匠が酷いですー」
「戯言遣いのお兄ちゃんが酷いのはいつものことではありませんか、姫姉さま」
 年上の女の子に泣きつかれて平然と答えを返す崩子ちゃん。っていうか、当人を目の前にして何を失礼なことを言ってやがるか、このちびっ子どもは。
「そうですけどー。 師匠ってば自分がモテない僻みから七夕にイエモンつけるんです」
 て、てめえ、よりによってなんて事を言いやがる。自分がモテ無いことくらいしっかり自覚しているって言うのに、それを殊更に他人から言われるのは、正直かなり傷つくぞ。ああ、どうせぼくはモテませんよ。あかりさんにだって嫌われたさっ! 人の傷口に塩を塗りやがって、またセクハラしてやろうか、この娘。
 ……あ、でも、やったら哀川さんにチクられすんだったけか。それはまずいな。
「姫姉さま、残念ですがこの人にはその手の皮肉は通じませんよ」
「いや、結構堪えてるよ。 ぼくは七夕にこだわりなんて無いよ、とか突っ込む余裕が無いくらいには」
「やはり通じていないようですね」
 静かに小さくだがはっきりとため息を吐かれてしまった。明らかに呆れられてしまった。
 なんていうか、年下の女の子にこんなことされるっていうのもかなり堪えるんだけど。なんだ? 姫ちゃんだけならまだしも崩子ちゃんにまで嫌われるようなことしたか、ぼく? まるっきり心当たりが無いんだが、ぼくの場合心当たりが無くても人の恨みを買うなんて真似をそれこそため息がつくくらい平気でやってそうな気もする。
「ふふ」
 そんなぼくの無様な姿が楽しいのか笑う萌太君。
 やっぱり性格が悪そうだ。ってか、人の無様な姿を見て笑う人間は性格が悪いだろ。
「いー兄にはちゃんと織姫さまが居るからそんな心配ないはずですよね」
「…………」
 やっぱり、性格が悪い。
 ぼくとあいつはそんなロマンチックな表現が似合うような間柄ではない。確かにぼくらは一年と言わずに七年の間拘留が無かった時期もあったがそれは引き離されたのではなく、ぼくが一方的に逃げ出したに過ぎない。あらゆる罪悪と責任を投げ捨てて逃亡した罪人。
 それでもあの雲ひとつ無い青空よりも堕ちた蒼く夜空よりもなお昏い闇を持つ少女は、戻ってきたぼくを受け入れてくれた。全てを許すかのように、初めからそんな罪など無かったかのように。その寛容さでぼくを堕としていく。
 それが今度こそぼくがあいつから逃れないようにするためだと思うのはぼくの自惚れだろうか。
 あいつが、ぼくを必要としてくれているなどと思うのは。
「戯言だけどさ」
 大体にして織姫と言われてパッとあいつが思い浮かぶこと自体がどうかしている。なんだか途端に恥ずかしくなってきた。
「ところでさ、二人は短冊にどんなことを書いたの?」
 二人が手にしている紙切れを見てぼくは尋ねる。あまり普段から即物的な望みとは縁が遠そうな二人だけに非常に興味がそそられた。……いや、別に誤魔化している訳じゃなくてね。
 だが、良く考えたら自分が書いた願い事なんてあまり人に話したいとは思わないよな。余計な干渉以外何者でもない。
 しかし二人はさして気にした様子も無く、平然と応えてくれた。
「僕は『生活の安定』です」
「無難で切実な願いだね」
 それが十代の美少年の願いでなければの話だが。
 出来る限り協力してあげたくなるような願いだった。
「えーと、崩子ちゃんは?」
「私はタバコの根絶です」
「……そう、健康に良さそうな世界だね」
 鈴無さんあたりには困る世界かもしれないけど。まあ、タバコの根絶であって喫煙者を根絶やしでない分崩子ちゃんにしては大分譲歩したのではないかと思う。健康には優しいだけでなく命にも優しくしてみたようだ。
「そういう師匠はどういう願いを書いたですか?」
 目指せ全教科赤点脱出という願いを夜空に託した姫ちゃんはぼくにそう聞いてくる。ぼくが見たところ残念ながらこのまま行けば彼女のその願いは無残に夜空へと消えることになるだろう。
 それはとにかくとして――。
「うーん、ぼくはわざわざ人の逢引を邪魔してまでかなえて欲しい願いってのは無いなあ」
「師匠ー。 人に聞いておいて自分がそれは無いですよ」
 うん。姫ちゃんの言うとおりだと思う。だけど本当に無いのだからどうしようもない。逢瀬の邪魔とかも関係無しにわざわざ誰かに叶えて貰いたい願いも無い。もちろん、自分で叶えたいと思うような願いだって無い。そんな大層な代物、このぼくには分不相応というものだろう。
「でもそうだね、強いてあげるとしたら、これ以上入院費が嵩むのは勘弁だね」
「それは無理ですね」
「師匠の数少ない願いを間髪入れずに否定してんじゃねえ」
 ぼくも姫ちゃんの願いを否定したけど、それはあれだ。願うくらいな自分で努力しろと言う師匠からの愛の鞭だと思っていただきたい。
「ですが、私としては戯言遣いのお兄ちゃんには本当に気を付けてもらいたいものです。こうも入院されてはお見舞品の金額も馬鹿になりません」
「そうですね。 いー兄が金欠になってはお金を借りるのも心苦しくなってしまいますし」
 なんとも容赦が無い兄妹だった。ってか、みんな冷血動物か。お前らの血は何色だ!?
 本当に遠慮が無い。だが遠慮が無い問いことはつまり、それだけ心を開いていると言うことなのだろうか。それは、それこそ自惚れも甚だしい勘違いだとしか思えない。
 このぼくが、誰かに心許してもらえるなんてことがあるはずがない。それこそ願っても無駄なことだし、そもそも願うつもりは無い。心を開いてもらっても、ぼくはその中に害になるものしか与えることが出来ないのだから。  だから、だけどぼくが何かを願っていいというのならば、別に幸せのお零れを貰いたいとは思わない。その代わりに、これ以上ぼくの周りに不幸を寄越さないで欲しい。この仮初かもしれないが、それでもぼくに居場所と錯覚させてくれる場所を人達を奪わないでくれ。
 それが、それだけがぼくの些細な――。
「そうだね、じゃあぼくは金のエンジェルがあたりますように、かな」
「ショボ!? しかも似合わないです」
「あれ、中々あたらないんだぜ」
 本当に、こんなことを望むのはぼくのキャラじゃないだけどな。





寝言

 すんげえ、今更の七夕話。
 みなさんは子供の頃とかどんな願いを短冊に書いていましたか?
 私は子供の頃から七夕のたびに「このまま何も変わらないままがいいです」と、ソレこそいーちゃんのような願い事を書いていました。名前の無い彼女の言うところの「何にもなりたくない」って奴だったんでしょうね。それは今でもあまり変わってません。
 あれ? ってことは願いが叶ったって事かな?

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