0 祝いも呪いも他者への関心から始まる。 1 ぼくは基本的に騒がしいのは嫌いだ。他者との関わり合いを避けようとしていた頃だけの話ではなく、今だってそれは変わりが無い。 それは多分、煩わしいとかそういう感情ではなく、騒ぎに溶け込めない自分が、その場に居場所を見出せないことから来る不安によるものなのだろうと、思われる。 相変わらずの捻くれた思考だ。三つ子の魂百までと言うが、ぼくの場合は例え百万年生きたって直りそうに無い。 最近は、それでも良いと思えるけど。昔はそんな自分を認めるのが嫌で、だからこそ尚のこと騒がしいのを嫌い避けていたのかもしれない。 だけど、ぼくのそんな思惑などお構いなしに、ぼくの周りはぼくも知らないうちに随分と賑やかで騒がしいものになっていた。ぼくが嫌い避けてきたはずのモノがぼくの周りには溢れていた。 そして、ぼく自身もまた、いつの間にか、嫌い避けていたはずなのに――。 たまらなく居心地が良くなっていた。 やっぱりぼくは騒がしいのは嫌いだ。 だけど、静か過ぎるのは、静寂は、独りぼっちは――もう、嫌だ。 短気でお人好しのあの人が、嘘吐きで寂しがり屋のあの娘が、容赦が無くて一途なあの娘が、性格が悪くて過保護なあの子が、最悪で頼もしいあいつが、熱苦しくて愉快なあの人が、説教好きのあの人が、想像できないくらい重い暗黒をその身に背負いながらも太陽のように明るいあいつが――。 いつも怒っていて笑っていて、騒動が大好きで人の都合など関係無く振り回し、人を過大評価した挙句に全く妥協を許してなどくれない、お人好しで嘘吐きで容赦が無く性格が悪い、頼もしくも愉快で怒りっぽい、どんな暗黒をも燃やし尽くす灼熱の業火のような、素敵で最高で最強なあの人が――。 なにものにも替えがたい、なによりも大好きなあいつが――。 みんなが居ないのはもう、耐えられない。 …………。 ぼくは随分と弱くなった。 その分少しだけ強くもなれたと思う。 それが成長なのかどうかはぼくには分からないけど、それでも変わったことは確かなのだろう。 あの頃の、自分ひとりで生きていると思い上がっていた、強さも弱さも無かった頃とは、もう違うのだ。 だが、とは言え、そうそう大きく変われるものでも無く、騒がしいのは苦手なのであって――。 「師匠ー、いつまで寝てるですか」 「…………」 自分の部屋で寝ているところを、不法侵入し揺さ振られたりするのはごめんだ。 「ほら、もうお昼になっちゃうですよ。 いくら『冬眠明かりが点かず』と言っても寝すぎですー」 ぼくは熊か何かか。それに明かりが点かないってどういう事だ。イルミネーションで飾られているのか? だとしたら何て眠りにくい冬眠なんだ。明かりが点かないのはせめてもの救いだ。 ――言うまでも無く、正解は『春眠暁を覚えず』だ。 「って、二重の意味で間違ってるじゃねえかよ」 掛け布団ごと人の身体に圧し掛かっていた不法侵入者を弾き飛ばす勢いで起き上がる。 猫のような悲鳴とともにぼくに掛かっていた重圧が無くなり、変わりに何かが床の上に落ちた。 「起きての第一声が突っ込みですかっ。 捻くれた師匠には相応しいお目覚めなのかもしれませんが、びっくりするじゃないですか」 床に転がった小柄な女の子―― 「姫ちゃん、行儀が悪いよ。 人を指差しちゃいけないって習わなかったのかい」 「目覚めの挨拶に『おはよう』も言えない人に言われたくないですよー」 「だって、もう昼近いんだろう。 それならもう『おはよう』じゃないじゃないか。 大体勝手に人の部屋に上がりこむなんて行儀どころか道義に反する行いだよ」 「折角師匠から頂いた合鍵ですから、ちゃんと使わないと勿体無いですよ」 そう言って、姫ちゃんはぼくが渡したこの部屋の合鍵を指先で弄んでみせる。 彼女がぼくの部屋の合鍵を持っているのは、別にぼくらが一般的に想像されるような男女の関係だからと言うわけでは決してなく、姫ちゃんにはぼくの仕事を手伝ってもらっていて、その都合上、この自宅兼事務所でもある部屋の鍵を渡しておいてあるわけだが、たまに今回のようにその行いが失敗だったんじゃないかと思えるときがある。いつだったか、ぼくが買い込んでおいたはずの食糧がごっそり無くなっていた時なんか特に。 「それで今日はどうしたんだい、姫ちゃん。 今日は仕事の予定も入ってなかったと思うだけど」 ただし、所詮はぼくの記憶力。 これほどにまで不確かなものはありはしない。 しかし、姫ちゃんはぼくのそんな不安をあっさりと否定する。 「いいえ、今日はお仕事はありませんよー」 「それじゃあ、どっか行く約束でもしてたっけ」 「どっかに連れて行ってくれるのなら嬉しいですが、生憎今日は 鵜鷺ちゃんとは姫ちゃんの高校時代からの友達だ。 フルネームは 本人は自分の名前だけに既に慣れているものかと思いきや、やっぱり大変らしい。 「それじゃあ、一体なんだって起こしに来たんだい」 「何を言ってるんですか。 もう昼なのにまだ寝てる社会不適合者の師匠をこれ以上堕落させないために起こしに来てあげたのじゃないですか。 良いですか、師匠。 人間の堕落に底なんて無いんですよ。 人間は堕ちるときはどこまでも堕ちていくんですよ。 確かに師匠は人から見ればこれ以上堕ちようも無いくらいに人間的底辺に位置する堕落しきった駄目人間でしょうけど、それでも安心なんかしてたらさらに堕ちていくのですよー」 激しく余計なお世話である。 ぼくが社会的に適合できない人間であることも、人として出来ていない事も重々承知しているが、そこまで年下の女の子に言い負かされる筋合いは無いぞ。大体その駄目人間に雇われて生活しているのはどこの誰だ。 そんなぼくの非難の想いが届くことも無く、姫ちゃんはどこか誇らしげだった。 「てい」 なんとなく悔しかったので、大人気ないぼくは攻撃を敢行する。 「うきゃー」 再び床に転がる姫ちゃん。 「な、何するんですかっ」 「朝の挨拶だよ」 「そんな朝の挨拶がありますかっ」 「君が知らないだけさ」 「誰も知りませんっ」 「ぼくは社会不適合者だからね。 常識なんていうせまっくるしい枠には囚われないんだよ」 「また開き直りですかっ。 あんたそんなんですと友達をなくしますよっ」 「大丈夫だよ」ぼくはなるべく爽やかに言う。「ぼくと姫ちゃんの友情はこんなもんじゃ壊れはしないさ」 「勝手に友情を押し付けてんじゃねえ!」 マジギレする姫ちゃん。 やれやれ。 ぼくが折角清清しい朝を演出して、姫ちゃんの無作法な行いを水に流してあげようと思ったのに……。この不肖の弟子は一体何が気に食わないと言うのだろうか。 仕方が無い。ここはさり気なく、もっと別の話題を振って見るとしよう。 「ねえ、姫ちゃん」 「何ですか?」 「いつ『HUNTER×HUNTER』は連載再開するんだろうね」 「もう誰も憶えてねえよ!」 そんな事は無いと思う。 少なくとも 「何ですかそれは! それで話題転換のつもりですかっ。 転換の仕方も話題の内容も無茶がありすぎですよっ」 「今日も寒いね。 こう寒いと布団から中々出たくなくなるよね」 「最終的には言い訳ですかっ」 何とも近所迷惑なやり取りだ。これが早朝だったならば訴えられても文句は言えまい。そう考えると昼ごろまで寝ていたぼくの功績は大きいような気がする。 最初からぼくが起きていればこんなやり取りはやらずにすんだけどね。 しかし、いい加減、そろそろベッドから起き上がらないといけない。 痺れを切らした姫ちゃんが実力行使に出たら、ぼくは抗う術は無いし、下手をすると永遠にぼくの意思が途絶しかねない。 それ以前に姫ちゃんが泣き出しそうだが、そうなったら尚のこと手が付けられない上に、ぼくの社会的立場と言うものが本当になくなってしまう。このアパートから追い出されたら、ぼくにはもう行く当てなど無いのだ。 布団から這い出ると、今まで布団によって遮られていた部屋の冷気が身体を突き刺し思わず身震いする。さすがに十二月ともなると冷え込み方も厳しくなってくる。 「改めておはよう、姫ちゃん」 「…………おはようございます、師匠」 恨みがましい視線で、疲労感たっぷりの挨拶を返してくれる姫ちゃんだった。 未練を持ちながらも、何かを諦めたと言った感じである。 改めて姫ちゃんを見てみると、なるほど、先ほど出かけると言っていただけに余所行きの格好である。暖かそうな紺色のダウンジャケットに今は掛けているだけだが首には黄色いマフラー。ただ、足元はいくら丈が長いとは言えスカートと言うのが寒そうに思える。やはり中には何か防寒のために穿いているのだろうか。 「姫ちゃん、そのスカートの中どうなってるの?」 「ど変態野郎っ」 持っていた鞄で思いっきり顔面をぶっ叩かれた。 「ちょ、ちょっと待った、姫ちゃん」 さらに追い討ちをかけようとする姫ちゃんを慌てて止める。 このまま放っておいたらきっと姫ちゃんはぼくが動かなくなるまで叩き続けるに違いない。 姫ちゃんは命乞いするぼくを十二月の気温など比べ物にならない冷えた視線でぼくをみる。 「何ですか? 遺言なら聞いたうえで忘却してあげますよ」 「遺言じゃなくて命乞い、と言うか弁明させてくれ。 ぼくはただその格好で寒くないのかと言う意味で聴いたんだよ」 「大丈夫ですよ。 師匠の思っているとおり中にはちゃんと穿いていますから」 そう答えて追撃のために持ち上げた鞄をゆっくりと下ろす。どうやら許してもらえるようだ。 まだぶたれた場所がヒリヒリする。鼻血とか出てないだろうな。 「まったく、師匠はクリスマスくらい清く正しく生きようとは思わないのですか」 「あれ? 今日はクリスマスなんだっけ?」 昨日じゃなかったけ? なんだか街も随分と賑やかだったし。 「師匠ー、それは去年も言いましたよ」 「そうだっけ?」 「そうですよー。 それでサンタクロースがいることを証明してくれって言う依頼を危うく失敗するところだったんじゃないですか」 思い出した。あの時はぼくの認識のズレのせいで周りの人たちに多大な迷惑をかけたんだった。 よくもまあ、あれだけの失敗をしておきながら忘れることが出来たもんだ。 「それじゃあ今日鵜鷺ちゃんに久しぶりに会うって言うのも?」 「そうですよー。 今日は女の子二人でクリスマスを満喫です」 「ふーん、気をつけなよ。 クリスマスとか、こういうお祭りごとになるとハイテンションになって馬鹿をやる奴らも出てくるからね。 鵜鷺ちゃんに変な男に声を掛けられても付いて行っちゃいけないよって伝えておいてよ」 「鵜鷺ちゃんにって、姫ちゃんはどうなんですかー」 「え、ああ、うん」ぼくは頷き言う。「知らない大人にお菓子をくれるからって付いて行っちゃ駄目だよ」 「きえー」 不覚にも同じ攻撃を二度も食らってしまった。 「うわーん、師匠のアホー! 師匠なんて黒いサンタに内臓を引き出されて袋の中に詰められてしまえですー」 子供の夢を粉砕しかねない捨て台詞を残して、姫ちゃんは泣きながら去っていった。 少しからかい過ぎたか。 頭がズキズキと痛む。そのうちぼくはこの悪癖のせいで命を落としかねないな。 さて、今日は仕事が無いとは言え、寝起きの格好のままと言うのは頂けない。身支度でも整えるとしよう。 今のぼくは昨日着たまま寝た皺くちゃのYシャツに同じく穿いたままのズボン。なるほど、姫ちゃんに堕落していると言われても仕方ない格好だ。 今日はオフなのでそれほど窮屈な服装でなくても良いだろう。こげ茶色のタートルネックのセーターにジーンズのズボンに着替えて皺のよったシャツを洗濯機の中に放り込む。 身支度を整え、何となく今まで自分が寝ていたベッドを見る。当たり前のようにぼくが起きたときの状態のままだ。そのまましばらく無人のベッドを見るが未練がましいのでやめる。今から再び潜り込むなんてそれこそ堕落の境地だし。 それにお腹も空いてきた。朝ごはんを食べてないから当然なんだけど。 ぼくがブランチの準備に取り掛かろうとした矢先に扉が軽くノックされた。 「はい?」 「私だ」 「ああ、みいこさん。 少し待っててください」 玄関に駆け寄り鍵とチェーンをはずす。 開けた扉の向こうには同じアパートに住む 相変わらずの無表情に甚平姿。いくら厚手に変えたからと言って冬に甚平って寒くないのだろうか? 「おはようございます」 「早くは無いがな。 先ほど姫が喚きながら駆けて行ったぞ。 お前今度は何をやったんだ?」 「ぼくが上げたクリスマスプレゼントがよっぽど嬉しかったのか、嬉し泣きして走り去ったんですよ」 「ふーん」 頷いてくれはしたが、その表情からは納得したのかどうかは判別が付かない。続いて手痛い反撃があるんじゃないかと、ついつい警戒してしまう。 「私には無いのか?」 「え?」 「クリスマスプレゼント」 「…………」 まさか要求されるとは思わなかった。 見事に死角を突かれた。 「すみません、用意していませんでした」 「そうか」 「ごめんなさい」 「構わないよ」 そうは言うが、心なしかいつもの無表情が少しだけ沈んでいるように見える。みいこさんって達観しているようで、時々幼稚な部分も見せるからなあ。 あとで何か買って来ようか。あるいは何か奢るとか。 「みいこさん、この後のご予定は?」 「バイトだ」 「見つかったんですか?」 「うん。 短期だけどサンタに扮装するのだそうだ」 そういうバイトなら確かにこの時期はバイトを募集しているところも多いだろう。しかし、あまり扮装とは言わないのではないだろうか。 「まあ、たまにはそういうのも悪くない。 例え自分はプレゼントは貰えなくてもな」 「…………バイト代は貰えますよ」 どうやら根は深いようだ。 「それじゃあ、そろそろ時間なので私は行くよ」 「頑張ってください」 「その前に一つ聴きたいことがあるんだが、サンタの持っている袋からヒントを得て、ドラえもんの四次元ポケットが生まれたと言うのは本当なのか?」 「知りませんよ。 そんな話どこから聞いたんですか?」 「お前だよ」 「…………」 嘘を吐くんならせめて吐いた嘘くらいは憶えて置くべきなのかも知れない。 何だって自分でも忘れてしまうくらい嘘を吐くのかな、ぼくは。 「ではな、いの字」 思い悩むぼくを置き去りに、そう言って去って行くみいこさん。甚平の後ろには赤字で『断罪』と書かれていた。 うーむ、これは本格的に対策を練っておいたほうがいいかもしれない。 「その前にまずは腹ごしらえだ」 お腹が減っていては頭のめぐりも悪くなってしまう。 簡単なものでも作って食べようと振り向いたら――、既に食卓の上に食事が用意されていた。 なんだ? この部屋には小人の妖精がいるのか? 「戯言遣いのお兄ちゃん、そんなところに立っていないで、早く座って食べてください。 折角作った料理が冷めてしまいます」 小人の妖精は食卓に着いていた。 目の前にはサラダが盛り付けられたお皿が一つ。どうやらこの妖精は ってか、 「崩子ちゃん、いつの間に入ってきてたの? それにこの料理は?」 「みい姉さんが入ってくる少し前に。 料理のほうは戯言遣いのお兄ちゃんがまだ食事を取っていないようだったので、僭越ながら私が作らせていただきました。 私もお昼はまだでしたので一緒に食事を取らせていただこうかとも思って」 全然気がつかなかった。 「ありがとう」 「いえいえ、どういたしまして」 勝手に入られるのは困るが、食事は助かるのでありがたく頂くことにした。 ぼくの正面では崩子ちゃんもサラダをモシャモシャと食べている。 「でも、崩子ちゃんここで食事してて良いの? 「萌太ならアルバイトです。 それで一人で食事を取るのも寂しいのでこちらに伺わせてもらいました」 闇口崩子。クールな表情に似合わず案外寂しがり屋。 しかし、そうかあ。萌太君もバイトか。基本的に力仕事が多いからサンタクロースに扮装ってことは無いだろうけど。 「ところで、私からも戯言遣いのお兄ちゃんに聞きたいことがあるのですが?」 「ん? なんだい?」 「私にもクリスマスプレゼントは無いのでしょうか?」 「…………」 どうやらぼくは、逃げ口上として使ったはずの戯言のために、相当追い込まれることになりそうだ。主に財政面で。 口は災いの元と言うが、どうやらぼくは一生その災いから逃げられそうに無い。 ほんと、これこそ戯言だ。 2 食事を済ませたぼくは、逃げ出すようかのように部屋を出て新京極に来た。あくまで『ように』であってけっして逃げ出してきた訳ではないけど、実際のところも大体似たようなものなので、そう思われてもあえて反論はしないで置こうかな。……戯言だけど。 ちなみに何故新京極にまで来たかといえば、ここならばみんなの機嫌を直せそうなプレゼントが買えるかと思ったからだ。幸いにもクリスマスと言う状況が、ソレを行っても不自然ではない環境を整えてくれていた。 もっとも、その環境を問答無用で完膚なきまでにぶち壊す要因が目の前にいるんだけど。 「メリークリスマス! いーたん」 「……なんでここに居るんですか、 「あたしを苗字で呼ぶんじゃないと何度言ったら分かるんだ? そのもの覚えの悪い脳みそをクリスマスサービスで特別にとりのぞいてやろうか? あん?」 頭を鷲掴みにされた。 い、痛い。頭がギシギシとなってる。耳にまでキーンとした痛みがっ。 「メリークリスマス、潤さん」 「おう、メリークリスマス。 ……まったく、お前も本当に懲りないね」 ようやく開放された。頭の形が変形して無いだろうな。 いくら平凡な顔つきだからと言っても、骨格が変わるほどのイメチェンをするつもりは今のところぼくには無いのだけど。 「それで、潤さんは何でここに?」 「んー? もちろんいーたんに会いに来たんだよ。 どうせクリスマスを一緒に過ごす相手もいなくて一人寂しく過ごしているだろうから笑いに来てやったんだよ」 「それはそれは、折角ご足労させてなんですがぼくはあちこちから誘われていてとてもじゃないですが、一人で落ち着いて過ごせられそうに無いんですよ」 「あはははは」 思いっきり笑われた。 なんだろう、この敗北感と惨めさは。ここ最近ではちょっと味わったことの無い種類のものだぞ。 「まあ、そんなことはどうでも良いんだ」哀川さんは言う。「いーたんが暇だろうと忙しかろうと関係なく、あたしに付き合ってもらうつもりだかね。 他の用事なんて比較にならないくらい楽しませてやんよ。 いーたんだって他の連中に誘われるよりもあたしに誘われたほうが嬉しいだろう?」 つくづく勝手な人だ。他人の都合など一切お構いなしで、我を押し通す。 いや、押し通すなんて生易しいものではないか。我で呑み込んでいく。 そして――。 「ええ、まあ、そうですね」 いつものように流されるぼく。 仕方あるまい。ぼくの我なんて哀川さんの前では濁流の中の砂粒のようなものだ。 そしてその結果ぼくの身に降りかかる危険も、濁流のごとく押し寄せてくるんだよな。 「そんじゃあ、付いて来いよいーたん」 「どこへ行くんですか?」 「決まってんだろ、あたしが連れて行くんだ。 良い所だよ」 「良い所っていわれても」 「い・い・と・こ・ろ」 「ですから、えろっちく言われても」 それもこんな人通りのあるところで。 冴えない男とそれを引き連れるカッコいいお姉さん。今日はクリスマス。場所は人通りの激しい路上。哀川さんの地声は決して小さいものではない。 …………ありとあらゆる環境がぼくに敵対している。 ああ、見知らぬおじさんの視線が痛い。関わることも無いはずのおばさんのひそひそ話が耳を撃つ。 ぼくのような特徴の無い男の顔を憶えられるとも思わないが、それでも今後ここに来難くなってしまうではないか。 ぼくは急いで哀川さんの後ろに続く。一歩一歩が非常に重い。歩くたびにダメージを受けている気がする。ダメージゾーンを突っ切る宿命を持つ勇者ご一行の気持ちが少しだけ分かった気がする。 どうにか哀川さんが路肩に止めておいた真っ赤なコブラにまで辿り着くと、ぼくは急いでその中に潜り込む。 ここまで来れば一安心――とは行かない。むしろこの車に乗ったことで完全に後戻りが出来なくなってしまった。いや、後戻りを言うのならば、そもそも哀川さんと出会った時点で出来るものではないか。 「どうした、いーたん。 そんなに慌てて。 そこまであとしと早く二人っきりになりたかったのかい?」 「分かってていってるでしょう」 「ああ、もちろん分かってるさ。 いーたんがあたしの事が大好きだって事くらいな」 ぼくはため息をつく。 全くそのとおりだよ、ちくしょうめ。 これからどこへ連れて行かれるのか滅茶苦茶不安で、かなり楽しみだ。 「それで今日はどこへ連れて行ってくれるんですか? まさかクリスマスにキリスト教の危ない武装集団の本部にでも殴り込みに行くんですか」 「それも面白そうだけどな。 予定を変えてそっちに行くか?」 実に愉しそうに応える哀川さん。 その凶悪な笑顔が本当に実行しそうで怖い。 「だけど残念ながら仕事が入ってるからな。 その愉しいイベントはまた今度だ」 「それを聴いて安心しましたよ」 「来年には行こうな。 仕事空けとくから」 「……ぼくの方が予定が入ってるかもしれません」 そんな気軽に旅行に行くように誘わないで欲しい。 本当にここのところ自分の戯言で首絞めてるよな。スランプかな。 …………。 それからぼくらはしばらくお互いの近状を話し合う。 哀川さんは元々だが、ぼくのほうも仕事が多くなってきたので、報告するような出来事がいくつもあったので話は中々尽きなかった。 そうこうしている内に、気が付けば外の景色はだいぶ変わってきた。もう京都ですらないのかもしれない。窓の外の流れる景色には白いものが見受けられる。 「最近は 意識が外に向かっていたぼくには、哀川さんのその質問は不意打ちだった。返答に詰まってしまう。 「えっと……」 ぼくは少しだけ考えて、結局は「相変わらずですよ」と、答えた。 「適当にどうでも良いことを喋ったり、ご飯を食べたり、髪を梳いてやったり、最近は近所を散歩したりもしますね。 もちろんあまり遠出なんか出来ませんから、本当に周りを少し歩く程度ですけど。 でも引き篭もりだった反動なのか、玖渚の奴は外を歩くのが好きみたいですけどね」 「ふーん。 仲良くやってるみたいだな」 「ええ、仲悪くするようなこともありませんんし」 「言うねー」 笑いながら頭を小突かれた。 運転しながら喋られるのには慣れたけど、身体を動かすことはやめて欲しい。もちろん、哀川さんがそんなことで運転ミスをする訳が無いと分かってはいるんだけどさ。 「ま、いーたんも玖渚ちゃんも仲良く元気だって分かって安心したよ」 「そう、ですね」 正直、玖渚の今の状態が元気かどうかはかなり怪しいものがある。 一般常識の基準に照らし合わせたら戯言でも元気とは言いがたい。しかし、玖渚にとってはソレがデフォルトなのだ。普通ならば病院のベッドに括り付けられているような状態こそが、玖渚にとっての常態なのだ。 あらゆる才能を放棄し棄却してまで生き永らえた今でさえ、それは変わりが無い。多少はマシになったし、今後も生きていけるようにはなったが、それでもその身体はガタガタだ。今日だってアイツはその検査のために病院へと行っているのだ。 それでもあいつはぼくの横に居てくれる。 あの強欲な蒼が、自らのその色を捨て去ってまでぼくの横に居てくれることを選んでくれた。 そんなアイツに、ぼくは一体何が出来るのだろうか――。 何をしてあげられるのだろうか。 「着いたぜ、いーたん」 「え?」 停車と共にぼくの思考も停止する。 「着いたって、でもここは――」 そこはちっぽけな公園の前。 雪が降っていることもあってか、人の姿はほとんど無い。 さしたる面積の無いそこは、碌な遊戯も無く、子供用の鉄棒と小さな砂場があるだけだ。 まるでそこだけ世界から切り取られたような白黒の世界。 「――――」 ふいに――、 ――何故、 砂場に――、 ――直ぐに、 白黒の世界に――、 ――気付かなかった。 「ッッッ!」 ぼくは転がり出るようにコブラから降りる。 掛けてあったはずのロックはいつの間にか外れていた。きっと哀川さんが外しておいたのだろう。ぼくの動きがもう少し遅かったら、哀川さんはぼくを蹴り出すつもりだったのかもしれない。 だけど、今回ばかりは――、 ぼくの動きは最強をも凌駕した。 ぼくは駆け出す。白黒の色の無い世界へと。その中に居るアイツのところに――。 アイツをこんな世界から切り離されたような、隔絶されたようなところに――、 一人だけで居させられるものかっ。 「友っ」 ぼくの叫びに、アイツの僅かに残された青色がぼくへと向けられる。 ほとんどのモノを映し出せないその瞳で、ぼくを捕らえる。 そうだ。その青い瞳にぼくはいつだって、出会ったときから魅入られていた。 「あ、いーちゃん」 彼女の微笑が見える。 だけど、それも一瞬で、すぐに見えなくなってしまった。 ぼくは、彼女の身体を力いっぱい抱きしめた。 「――――」 いつから居たのだろう? その身体は冷え切っていてとても冷たかった。まるでその身に体温を宿していないかのように、生きていないかのよう凍えていた。 もし、ぼくが抱きとめていなかったらあのままこの白黒の、色の無い世界に融けていたのではないかと、そんな馬鹿げた幻想が頭によぎる。 それがどんなに馬鹿げていると解っていても、怖かった。 だから、ぼくは更に強く玖渚の身体を抱きしめる。 華奢で、もうガタガタの、いつ壊れしまっても不思議ではないその身体を――それでも、容赦なく力の限り抱きしめる。 「痛いよ、いーちゃん」 「ああ、悪い」 謝るものも離しはしなかった。 離すことなど出来なかった。 「なんでお前がここに居るんだよ。 病院に検査に行ったんじゃなかったのか」 「行ったよ。 早く終わらせてきただけ」 「友……」 「大丈夫だよ。 まだ居なくなったりなんかしないから。 いーちゃんの隣に居られるから」 「そうか」 情けない。自分の声が震えているのが解る。 恐れと嬉しさ。それに、自分の勝手を玖渚に押し付けている自分への怒り。 ――駄目だ。全然感情が制御できない。 「ここにはね、潤ちゃんに連れて来てもらったんだ」 「潤さんに?」 「うん。 折角なんだからとびっきりに 振り向いて見れば、入り口のまん前に止めてあったはずの真っ赤なコブラは姿を消していた。 …………。 まったく、あの人は本当においしい役どころを持っていく。 「悪いな。 肝心のぼくが抜けていてプレゼントも何も用意してないんだよ」 「別に良いよ。 いーちゃんが居てくれさえすればいつだって 「恥ずかしいセリフだな」 「でも戯言じゃないよ」 それは、ぼくも同じだ。 戯言でなんかでは決してなく、ぼくは玖渚の横に居るためなら他の全てを犠牲に出来る。 この聖夜には似つかわしくない、なんとも罪に塗れた考えだがそのことに後ろめたさは欠片も無い。 だから今のぼくは、とてもハッピーでメリーな気分だ。 「メリークリスマス、友」 「メリークリスマス、いーちゃん」 玖渚が好きだと言った、白色の世界の中でぼくらは笑う。 例えそこが色の無い隔絶された世界であっても関係が無い。 だって、ぼくらはとても気分が良かったから。 寝言 |