探し物は何ですか? 見つけたい物なのですか?


   

 いつからだろう――。

 人には一人や二人くらい憧れている人がいるものだ。
 それはあるいは両親だったり、兄弟だったり、あるいは赤の他人(こちらのほうが、割合としては多いだろう)だったり、とにかく誰かに憧れたりするものだ。
 もちろん、憧れるからには理由があるはずだし、憧れを抱いた瞬間というものが存在するはずだ。初めから憧れるべくして憧れたなどという事はあるまい。そう思っているのだとしたら、それはきっと狐に化かされているだけの錯覚だ。
 ぼくにも憧れている人がいる。
 初めてあの人と出会ったときはこんな風に思う日が来るとは思わなかった(何せいきなり人のことをパンプスで蹴り回してきたんだ)。
 その後も色々あり、そのどれもが命懸けの迷惑を被って来た訳で――普通に考えれば尊敬するような筋合いの人ではないんだけど……それでもぼくは、その人を尊敬していると胸を張って答えられる。
 彼女と出会えたことを――誇りに思える。
 これはいつかだったか、あの奇妙な島で出会った占い師に答えた選択肢とは違うけど――ぼくは彼女のようになりたいと、ほんとうにそう思っている。
 彼女のように他人に関われる――人間に。
「とまあ、こちらの近状はこんな感じです」
「ふーん、なるほどね……相変わらずっちゃ相変わらずだが、仕事のほうはそこそこ順調そうだな」
 ぼくの大まかな話を聞いて哀川あいかわさんは頷く。
 ぼくらが今いるのは京都駅にある和食屋さんの一軒。夜はお酒がメインらしいけど、今は昼間なので普通にお膳料理を頂いている。ぼくの場合はアルコールは摂取しないのだから昼も夜も関係ないけど。
 哀川さんは相変わらずの頭のてっぺんか足の爪先まで真っ赤なファッションで身を固めている。久しぶりに会うというのにまったく変わっていない。
 当たり前か。久しぶりといってもせいぜい数週間振りと言ったところだ。四年前から変わらぬ人(彼女の父親である西東さいとうさんの言葉を信じるならば、この見事なプロポーションにいたっては十年前からだ。)がその程度の期間で変わることはない。
 もっとも、ぼくにはこの人は百年経っても変わらないんじゃないかとも思う。
 それは肉体的年齢ではなく、ましてや成長しないという意味でもなく、存在としての不変。
「潤さんのほうも、変わらず急がしそうで」
「まあな、商売繁盛なのは良いけどつまんねえ仕事も多くてね。 正直ストレス溜まるよ」
「それはご愁傷様です」
 鬱陶しそうに言う哀川さんに、おざなりに言葉をかける。
 気に入らない仕事なら断ってしまえば良いだろうに……実際にそうすることもあるだろうに……それでもこの人は何のかんの文句を言いながら、いつも仕事を引き受けてしまうのだろう。
 それはプロとしての信念とかそういうのじゃなくて……きっとただ単純にこの人は、困っている人を、
 ――見捨てられないのだろう。
「お前のほうはどうよ? 気に食わない仕事とか無かったのか」
「そうですね。 正直気乗りしないのもあれば、後味が悪い仕事もありますよ」
 基本的にぼくに仕事を依頼しにくる人達は困り事を抱え込んでいる人達だ。そこには様々な情念が渦巻いている。
 妄執、固執、執念、邪念、憎悪、嫌悪、悪意、殺意。
 そんなものと縁を作れば不愉快な思いをするのは分かりきっている。今まで散々経験してきた事なのだから、ぼくの記憶力でも忘れることなく刻み込まれている。
 ぼくはそれが嫌で他人と関わる事を拒絶した。あらゆる干渉を拒否した。

 全ての縁を絶縁したんだ。

 そうする事で他人から災厄を与えられまいと自分を守って来た。
 そうする事で自分から最悪を与えまいと他人から逃げて来た。
 臆病者の子供の理論だ。
 今ならぼくでもそう思える。だけどあの頃のぼくは例えそれが分かっていても、それをやめる事など出来なかっただろう。あの頃のぼくは本当にどうしようもなく捻くれていじけた臆病者だったのだ。
 ――いや、あの頃などという言い方は正確ではあるまい。臆病者なのは今のぼくも同じなのだから。
 だけど、だからこそ、臆病者だからこそ、ぼくは他人と関わり合いたいと思った。
 ぼくがそんな風に思えるようになったのは紛れも無く、哀川さんが大きな影響を与えているのは間違いない。
 だからぼくは、この暴力的で唯我独尊で自己中心で他人の都合など一切取り合わずに他人を過大評価して、好き勝手に人を引っ張り回し引っ掻き回して、サボって生きている他人に怒り、レベルの低い世界をシニカルに笑い飛ばして、世界を楽しみ、他人を好きでいられる――。
 そんな哀川さんに憧れている。
 やっぱり、まだ、本人には言えないことだけど。
「だけど、やめるつもりは無いって顔だな」
「ええ、残念ながらしばらくは商売敵でいさせてもらいますよ」
 ぼくの答えに哀川さんは、言ってくれるねえと、笑う。
 そう言えば、昔哀川さんにも敵候補として上げられたことがあったけ。結局哀川さんに本気を出させる機会を与えたという形であの話は終わったと思っていたけど……そう思うと今の関係も哀川さんの期待に応えた結果になるのだろうか。
 ぼくとしてはまだまだ相対できているとは思えないけど――肩を並べられているとは思えないけど――残念ながら。
「ところで真心のやつはどうしました? まだ小唄さんのところですか?」
「ああ、元気にやってはいるみたいだぞ。 この間電話でぎゃあぎゃあ騒いでたからな。 なんでも小唄のやつがかなり可愛がってくれているみたいだよ」
 ひひひ、と哀川さんは意地悪げに笑う。
 そっか、やっぱり相当良いように扱われているみたいだな。気の毒なやつ。
 頑張れ真心。そのうちに慣れてくるはずだ。目の前の人物をはじめ、色んな人間に良いように利用されてきたぼくが言うんだから間違いない。
 …………やっぱりぼくらは友達だな。
「本人不在の場で変な事で友情を確かめてるんじゃないよ」
「人の思考に突っ込みいれないでください」
 うかうか考え事もできやしない。
 それも今更だけど。
「潤さんはやっぱりこの後仕事ですか?」
「ああ、悪いけど今回もあんまりのんびりはしていけないね」
「それは残念」
 久しぶりに会えたのだから、出来ればもっとゆっくりと話していたい所なんだけど……仕方ないか。何度も言うが哀川さんは多忙なのだ。こうして会いに来てくれるだけでも感謝しなくてはならない。
「そう言うお前のほうこそどうなんだよ。 お前だって最近は忙しいんじゃないのか」
「そうなんですけどね。 でも今日はさっきも言ったとおり空いてますよ」
 仕事が忙しくなってきていると言うのは嘘ではないが――それでも駆け出しのぼくに依頼してくる依頼人は哀川さんの十分の一にも満たないだろう。
 色々と売り込みはしているものも、元々知名度のあるような仕事でもないし、何より哀川潤と言うぼくのような駆け出しとは比べようも無い――比べる気にすらならない、大物がいるのだ。ぼくの元に入ってくる仕事は言うほど多くも無い。仕事の内容も哀川さんのようなとんでもない規模の仕事でもない。
 …………まあ、ぼくの体質なのか、随分と厄介な仕事とかあるけど。
「ふーん、崩子ちゃんや澪標姉妹とかは健気にお手伝いしてくれてるの?」
「ええ、いつも助かってます」
「お前も親父みたいに、その内十三階段とか作れそうだな、この年下キラー」
「あんなのと一緒にしないでください。 彼女たちはあくまで善意の協力者であって、ぼくの手足って訳じゃありませんよ。 大体、年下キラーって何ですか」
 あれと一緒にはして欲しくない。
 大体あの娘たちを踏み台にするなんて……ぼくには怖くてとてもじゃないけど無理だ。
「西東さんと言えば、最近はどうですか? 何か動きありましたか?」
「いんや、静かなもんさ。 お前にとっては残念だろうけどな」
「別に残念がってませんよ。 何もしないならそれに越したことありません」
 いくら誰かと関わり合いたいと思えるようになったとは言え、哀川さんと違い、ぼくは好んで厄介事に首を突っ込むような趣味はしていない。請負人なんて仕事していて説得力は無いだろうけど本当だ。
 あの人にだって、出来ればずっと大人しくしていてほしい。
 もっとも、あの人がこのまま大人しくしているとも思えないし、ましてや「物語の終わり」を見ると言う目的を破棄する訳が無い。あの人の諦めの悪さは間違いなく最悪なんだから。
 お陰で前回酷い目にあった。……それは前回に限らず毎回の事だけど。
 一生付き合うって決めたのは他ならぬぼくなのだから、責任を持って面倒を見ないといけない。そして、ぼくもまたそれを辞めるつもりは無い。ぼくも思った以上に諦めが悪いみたいだ。
「それじゃあ、そろそろ出ようか。 あたしも時間無い事だしさ」
「そうですね。 ……あ、今回はぼくも支払いますよ。 奢るとまでは言いませんけど、せめて自分の分くらい払わせてもらいます」
「ふーん、まあ良いけどな。 あんまりでしゃばるのも良くないだろうし――ここはお前の顔を立てて置いてやるよ」
「ありがとうございます」
 って、お礼を言うのも変な感じだけど……それでもやっぱり「ありがとう」と言いたかった。
「それじゃあ、潤さんもお仕事お気をつけて」
「へっ、まだまだお前に心配されるほど落ちぶれちゃいないよ」
「知ってますよ……っていうか、あなたが落ちぶれる姿なんて想像もつきません」
 そうだ、この人は敵対者に対しては相手に合わせて相手の土俵に降りてきてくれるが、身内に対しては甘い代わりにとても厳しく、こちらと同じレベルに降りてきてくれない。近くに行きたければ、こちらから必死に哀川さんの所まで昇って行かなくてはならないのだ。
「お前もサボらず諦めず見限らず、精々精一杯精進しろよ」
 格好をわざわざ付ける必要の無い格好良い、変わらぬシニカルな笑みを浮かべる哀川さん。
 ぼくもそれに負けぬよう今は精一杯格好を付けて答えよう。

「ええ、いつか必ずあなたに追い付いて見せますよ」

 




あとがき
また、今回もずいぶんと短めになってしまいました。おまけにほとんどネコソギの最後とおんなじだし。
「ザレゴトディクショナル」も買って燃料補給も出来たから執筆速度が上がるかなと思ったのですが、なかなかそういう訳には行かないみたいです。

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