あなたは神を信用しますか?




   

 京都の十月は暑い。
 じめじめとした不快な暑さが、それこそ怨霊に呪われているんじゃないかってくらいに今日も京都の街を覆っている。昔の人は何だってこんな土地に都を建設しようなどと思ったのだろうか。呪術的なモノを考慮する以前に居心地と言うものを考えるべきではなかったのだろうか。それとも昔の人はこの程度の暑さなど問題ではなかったのか、やはり千年も前だと人間は価値観だけでなく身体的にも変わってしまうのかもしれない。
 なんて戯言を考えてみたところで、当然の事ながら暑さが和らぐ訳もない。
 この手の暑さは日差しさえ防げばそれで良いと言う訳にはいかない。むしろ風が通らないような場所ならば不快指数は鰻登りに上がっていくだけだ。それが冷房どころか扇風機すらない狭い四畳の部屋ともなればなおの事だ。これならば外に出ている方がまだ幾分かマシだと言える。
 …………。
 そんな訳で本日はお出掛けだった。
 ぼくとひかりさん、それに帽子とサングラスでオレンジの髪と目を隠した真心まごころの三人で新京極まで映画を見に行く事になった。
 あらかじめ買っておいた服を着させて出発。最初はひかりさんが嬉々として二人でメイド服を着て出かけようとしたが、ぼくが全力でそれを阻止した。何度も言うが京都の十月は未だ暑い。あんな格好で外を出歩いたらそれこそ倒れかねない。それに何よりメイド服姿の人物二人と歩いていたら、今度こそ確実にぼくの人生は終わってしまう。
 残念そうにするひかりさん(なんでこの人はこういう事ばっかり考え付くのだろうか)だったが、一応仮に一時的とは言え主になっているぼくの意見には逆らえず、おとなしく従ってもらった。
「使用人の楽しみを奪うなんて、ご主人様は意地悪です」
 ふくれっ面で言うひかりさんの可愛さに危うく許可しかけるところだったが、ここ最近鍛えた精神力でどうにかその誘惑に打ち勝った。
 駐車場が無いので移動手段はバスだ。さすがに歩いていくには少し遠いし、真心も完全な状態ではないのであまり無理をさせるわけにはいかない。例え真心にとっては大した距離でなくても、だ。
 狐面の男が終戦宣言をしてからまだ五日と経っていないが、真心に掛けられた鎖は徐々にではあるものも、確かに緩んできているのか活動できる時間が増えてきている。この分ならるれろさんが言っていたように今月中には真心に掛けられた鎖は完全に無くなるかもしれない。
 鎖が完全に外れたとき、真心が自分の力を制御できるのかと言う不安は依然として存在しているが、それでもこのまま真心が縛られているのは見るに耐えない。生まれてから――生まれてくる事すら他人に束縛されていた真心が自由になることで崩壊するような世界ならば、それはそれだけこの世界が罪なものだと言う証だ。
 ぼくは偽善で真心を解放したいんじゃない。
 ぼくは義務で真心を介抱してたんじゃない。
 ぼくは独善で友達を自由にしてやりたいんだ。
「真心、お前はどんな映画を見たい?」
「うーん、俺様は何でも良いぞ。 そもそも俺様は実験で色んな映画を見せられた事はあるけど、こう言う映画は見たことないから全部いーちゃんとひかりさんに任せるぞ。 いーちゃん達が楽しければ俺様も楽しいからな」
 真心は本当に楽しそうに笑いながら言う。
 その姿にぼくは少しだけ哀しくなる。
 ぼくもあまり映画を見に行く事は無いので、ひかりさんが決めたメジャー作品を見る事になった。でも、考えたらひかりさんだってあんな島に住んでいるわけだから、普段映画なんて見る機会なんじゃないだろうか。
 その疑問をぶつけて見ると「世捨て人ではないんです。 情報くらいは入ってきますよ」と、世間知らずのメイドさんは笑って答えた。そりゃあごもっともな話だ。いくら孤島に住んでるからと言って、現代に生きている事には変わりないんだ。今の世の中、情報だけならどうとでも入手できるだろう。――中には例外もあるけど。出来れば運転免許はお金を出して買う物じゃないという事くらいは知っていて欲しい。
「ご主人様もあまり映画はご覧になられないんですか?」
「ええ、特に見たいって思うこともありませんし、見たとしてもマイナーなのばかりですね。 どうもあまりメジャーな物って見る気がしなくて」
「いーちゃんは捻くれてる所あるもんな」
「うるせえよ」
 ゲラゲラと笑う真心。本当に憎たらしい奴だ。
「けど、いーちゃんのそう言う所も俺様は大好きだぞ」
「…………」
「ひかりさんはどう思う? いーちゃんのそう言う所嫌いか?」
「そうですね、確かに困ったところではありますけど――私もご主人様のそんなところを好きですよ」
 笑顔で答えるひかりさんに真心もそうだよな、と笑う。 本当にこの二人は息が合ってるよな。
 って言うか、その……こんな風に感じるところじゃないと、わかっちゃいるんだけど――ひかりさんに好きとか言われると……こう胸が躍ると言うか、ジッとしていられないと言うか、思わず無意味に叫びながら走り回りたい気分になってくる。
 …………戯言だけどさ。
「そうだ、ひかりさん。 出掛けるに当たって一つお願いがあるんですけど」
「はい、なんなりとお申し付けください」
「街中ではご主人様とか呼ばないでくださいね」
「それは出来ません」
 即答だった。
 即断だった。
 即決だった。
 完膚なきまでにきっぱりと拒否された。
 …………。
 なんなりとお申し付けくださいって言ったじゃねえかよ。
「ぼくにも一応世間体って言うものがありますから」
「ご主人様はわたしよりも世間体をお取りになられるのですね」
 悲しそうに、楽しそうにひかりさんは言う。
 ひかりさんと世間体。
 ……どちらかを選ばなければならないというのなら、ぼくは迷わずひかりさんを選ぶ。
 って、まだ流されているぞ、ぼく。恐るべしひかりさん。あの策師だってぼくをここまで翻弄しなかったぞ。
「いーちゃんは結構照れ屋だからな」
「どうやらそのようですね」
 真心のフォロー――で良いんだろうか? ――にひかりさんは頷く。
 これぽっちも自覚していなかったが、そうなのだろうか。 言われてみればぼくは周りの人間と比べると慎ましいと言うか、一歩引いているというか、あまりでしゃばらず周りの目を気にするタイプではあるかもしれない。最近は自分の知らなかった一面を他人に指摘されることが多いな。

 戯言だ……ぼくは決して強くなんかない。




   

 夕方になり、多少は涼しくなってきた中をぼくとひかりさんの二人は歩く。
 ――そう、歩いているのは二人だけだ。真心はぼくの背中で寝息を立てている。
 結局、真心は最後まで意識を保っていることは出来なかった。映画を見ている最中に力尽きたようで、映画が終わって横を見たら既に睡眠状態になっていた。
 無理もないか。映画館につくまでの間、目に付くもの全てに感激し感嘆の声を上げていたのだ。今まで限られた籠の中で鎖に繋がれていた真心にとって、外の世界を自由に出歩く事は意識の密度が高かめる事になってしまう。
 あまりにも今更な酷な現実だ。
 だけど、ぼくがその現実から目を逸らす事だけは許されない。
「真心さん……寝ちゃいましたね」
「そうですね。 まあ仕方ないっちゃ仕方ないですけどね。 真心が外を出歩けば興奮することくらい当然考えておくべきでしたよ。 それとひかりさん、すみません」
「? 何がですか?」
 首を傾げるひかりさんに、羽の様に軽い真心を背負いなおしてからぼくは言う。
「また、箸よりも重いものを持ってしまって」
「ああ、そう言う事ですか。 ふふ、謝る必要なんてありませんよ。 真心さんを背負えるのは貴方だけですから。 わたしでは到底真心さんの重さを背負えませんよ」
 背中に感じる真心の重さ――。
 小さく華奢で軽い身体。
 だけど、その身体に背負わされた業の重さは誰の想像も絶する過酷なものだ。もちろん、ぼくにも想像できないし、代わりに背負ってやることも出来ない。
 でも、それでも、せめて――真心が疲れたときに休める場所くらいは与えてやりたい。休める時間を与えてやりたかった。それは、本当に今更なんだけど。
「これから貴方はどうなさるおつもりなのですか?」
「どう、とはどういう事ですか?」
「とりあえずは一応――本当に一応ですけど、抱えていた問題は解決した訳ですよね。 貴方を敵とした西東天は敗北宣言と共に貴方から手を引いて姿を晦ませました。 真心さんに掛けられていた鎖も、完全にではありませんがこうして徐々に解けて来ています。 それで、この後は貴方はどうするつもりなのですか?」
 終わったら……か。
 正直、あんまり考えてもみなかった。考えようとしなかったのかもしれない。
 それでも終わってしまった。あまりにも呆気無く。実に締まらない結末。
 ――日常回帰。
 そうだな、強いてあげれば、友との結婚の約束くらいか。
 それはそれでかなりの大問題ではあるよな。直さんの説得を含めて。
 だけど、それよりも前に、まずは真心の問題がある。
「とりあえず、真心の今後を考えなきゃいけませんね。 住む場所とかそう言うのはどうにかなりますけど、こいつのなりで仕事できるような場所ってのも難しいですし、そもそも真心自身も言ってましたけど、こいつには戸籍すらないでしょうからね」
 ぼくの答えに、何故かひかりさんは可笑しそうに笑っている。
 はて? 別段今の会話に笑うポイントは無かったと思うが……ひかりさんは独特の笑いのツボを持っているのだろうか。それはそれでぜひとも知りたいものだ。
「何ですか? 何か変な事言いましたかね?」
「いえ、貴方らしいと思いまして。 真っ先に浮かぶのが自分の事ではなく誰かの事と言うのが本当に貴方らしい。 真心さんの件はわたし達も何か力に慣れると思います。 何かあればお声をお掛けください。 きっとお嬢様は喜んで力になってくれると思います」
 なるほど。四神一鏡の一つ《赤神》の力を持ってすれば、真心の問題など簡単に解決できるだろう。
 でも、そこまで頼るわけにもいかない。そのくらいの問題は自分で解決できるはずだ。
 気持ちだけはありがたく貰っておくとしよう。
「それで、真心さんの問題も解決して、特にやる事が無ければ、ぜひともまた島にいらしてください」
 それはぼくらの間で既に社交辞令となっているお誘いだった。
「そうですね。 今度必ず行きますよ」
 不思議とすんなりそんな言葉が出てきた。極々自然にそう思えた。
 ああ、完全に策に掛かってしまったな。
「ええ、ぜひともいらして下さいね。そのときは私も精一杯ご奉仕させて頂きますから」
 なんつーか、本当に誘ってるんじゃないかと思ってしまう。いや、確かにこれはご招待の話なのだから誘っているのは事実な訳で、そこには何の問題も無いはずなんだけどそう言うのとはまた一味違った意味合いとでも言うべきか、これは単純に受け取り側のぼくの問題なのかもしれないけど、一概にそうとは言えないニュアンスが含まれているわけで……。
 まだ暑い京都の街を悶々と悩みながらぼくは歩く。
 背中にはこの暑い中でも感じられる温もりと重さがある。それを不快になんて思わない。
 狐面の男の終戦宣言を聞いてからも、どこか張り詰めていた気が少し、ほんの少し和んだ。
 いくらでも代替可能なモノだけど、それでもこんな日常が続いて欲しいと、ぼくは思った。

 十月ももうすぐで終わりだ。






寝言

久しぶりの戯言SSです。
今回はネコソギ中にあった映画館に言ったときの話を捏造しました。相変わらず起こりと結びしか無い内容です。
もう少し厚みのある内容を書きたいものです。人生経験の密度が薄いのが最大の原因なんでしょうね。
では、駄文失礼しました。

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