人生最大の過ちは生まれてきたことです。


   

 人間に限らず生き物は大概群れで生きている。一匹狼を気取っていても必ずどこかで誰かと縁が繋がっているものだ。群れから突出している者や弾かれている者ですらその例外ではない。真実の意味で完全に独りで存在しているものなど皆無だ。
 ぼくのような他人も自分も信用できず、欺き、騙し、傷つけてばかりいるような、人間不信の欠陥製品でさえも例外ではないのだ。周りの人間に迷惑と災厄をばら撒き続ける存在なんて、さっさとどことなりへと他人がいないところに消えたほうがいいのに、未だにぼくはこうして人のいる場所で独りで生きている。生きているだけで迷惑な存在だというのにだ。
 未練がましく他人との縁を切れずにもがき、他人の縁を断ち切っている。さながら蜘蛛の糸に捕らえられながら餌にすらなれない虫のようだ。
 本日ぼくが住むこの骨董アパートにまた一人、新たな住人が加わることになった。それも顔見知りの女の子。

「師匠ー、何ボーっとしてるですか。 早く姫ちゃんの荷物運んでください」

 それが目上の者にモノを頼む態度なのか。そもそも何故ぼくが手伝わされてるんだ。いや、そんなことよりも何故彼女がここにいるんだ。
 答えは簡単。彼女がここにいるのは彼女、紫木ゆかりき一姫いちひめ――姫ちゃんがここに越してきた新しい住人だから。ぼくが手伝わされているのは相変わらずに流されやすい性格が災いして、手伝いを頼まれたのを断れず引き受けてしまったからだ。……ぼくってわりと近所付き合いはいいほうだしね。
 姫ちゃんは自分の小物を整理している。それを行う相変わらず小さな割に長い指をしている手は傷一つ無い。ちなみに服装は当然のように澄百合学園の制服などではなく、半袖の白いTシャツに黄色いスカートだ。考えたらこの子の私服見るのって初めてだよな。

「おら、邪魔だ、いーたん。 こんな狭い空間でボサッと突っ立ってるんじゃねえ」

 乱暴な言葉を投げかけられた後ろを振り向くと、こちらは相変わらずの真っ赤なスーツを着た哀川あいかわさんが部屋の入り口に立っていた。その片手には姫ちゃんのベッドが担がれている。
 ベッドを軽々と片手で担いでいる勇ましい人に恫喝されて動かないほどぼくの肝は強くもないので、言われるままに部屋の隅に逃げた。
 アパートの一室――この間までは歌手志望の住人が住んでいたその部屋は、今ではすっかり新しい持ち主である少女の部屋へと変貌してしまっている。
「…………」
 うん。状況把握終了。
 納得してんじゃねえぞ。
 いかん。また流されているぞ、ぼく。このままでは良くないと前回学んだはずじゃなかったのか。あの時は流されるままに流されたために本気で何度も死に掛けたじゃないか。それをまた繰り返すつもりなのか、ぼくには学習能力というものがないのか。この状況に関する確たる説明をもらわなければ。

「あの、哀川さん」
「あたしを名字で呼ぶんじゃない………あたしを名字で呼ぶのは敵だけだって、いつも言ってるだろうが。 それとも何か? いーたんはあたしの敵になるつもりなのか?」

 学習能力のないぼくを哀川さんは凶悪な目付きで睨む。
 冗談じゃない。誰が好き好んでこんなおっかない人を敵に回すか。この人を敵に回すくらいなら世界の敵の敵を敵に回す方がまだ幾分かマシだ。普段なら冗談と取れるその言葉も入院先で言われた言葉のお陰で嫌なリアルさがある。もちろん本気ではないだろうけどさ。
 …………。
 本気じゃないですよね?

「潤さん。 何で姫ちゃんがここに引っ越してくるんですか?」
「あん? 何でも何もないだろ。 今までは入院してたから良いけど、退院したら居住場所が無きゃいけないだろう。 昔習わなかったか? 人間の生活の三本柱『衣・食・住』ってやつ」

 そう言いながら、哀川さんは担いでいたベッドを部屋の奥に下ろす。
 ただでさえ狭いこの部屋に、ベッドみたいな大型の家具を置くとさらに狭く感じる。

「そうじゃなくて、どうしてここなんですか?」
「何言ってんだ。 お前が一姫にここに来いって、言ったんじゃねえか」
「ぼくが?」
「そうですよ。 師匠が姫ちゃんを誘惑したですよ」

 断じてしてねえ。
 しかし、言われてみれば確かに、異常にして異形なあの澄百合学園でそんな事を姫ちゃんに言ったような気もする。自分のことを棚にあげた戯言を、恥ずかしげも無く並べて。
 あんなものは哀川さんが来るまでの時間稼ぎのために吐いた戯言だ。相も変わらず詐欺師のペテンに過ぎない。今更、ぼくのような人間が、誰かを本気で救おうだとか、そんなのは傲慢を通り過ぎて滑稽だ。
 そんなものを本気で信じて来たというのだろうか。
 一見では誰よりも純粋で明るく天真爛漫な女の子だが、その純粋さは偽装で、明るさは欺瞞で、天真爛漫な姿は擬態。本当は誰も信じることができず、誰もを欺いていた、詐欺師のように嘘つきな彼女が、あんな愚にも付かない様な底が知れる見え透いた戯言を本気で信じたと言うのだろうか。
 だとすれば、ぼくは………。

「また、グダグダとくだらねえこと考えてんじゃねえよ、いーたん。 こないだあたしが言ったことをもう忘れたのか?」
「人の考えを読まないでくださいよ」

 ぼくの抗議に哀川さんは「そんなのは今更だろ」と、いつもの様にシニカルに笑う。
 ふぅ、哀川さんの言うように、今更その事に不快感なんて感じない。あの島の占い師に心を読まれるのはあれだけ嫌だったのに、本当にこの人には敵わない。

「結局、師匠は考え事ばかりでほとんど荷物運んでくれませんでしたね。 全く持って役立たずです」

 どうやらぼくが考え事をしている間に荷物の運び込みは終了していたようだ。確かにぼくはほとんど荷物を運んでいないがそれは姫ちゃんだって同じことだ。ほとんどの荷物は哀川さんが運んでしまった。この中で一番体力があるのが哀川さんで適材適所ではあるとは言え、役立たずの誹りを受けても仕方ない。
 大して疲れてもいないだろう肩を軽く回しながら「んじゃあ、あたしはそろそろ行くよ」と、哀川さんはドアへと移動する。このボロアパートの中を移動するのに、ほとんど足音が鳴らないのは今でも不思議で仕方がない。

「もう行ってしまうんですか?」
「ああ。 いつも言ってるがあたしは多忙なんでね。 この後も仕事が山積みなんだよ」
「なるほど」

 哀川じゅん職業、請負人。要するに何でも屋だ。殺人鬼の成敗から女子高生の救出、それにお引越しの手伝いまで、依頼されれば何でもこなす。その実力は有能………否、万能で、出来ないことなど皆無だと本人は豪語している。そしてそれは決して誇張ではない。
 そりゃあ、仕事の依頼も多くて忙しくもなるだろうなあ。

「ま、そう言う訳だから後は任せたぞ、いーたん」
「ええ、請け負いましたよ」
「はっ、最高の返事だよ。 じゃあな、二人とも。 近いうちにまた遊んでやんよ」

 いつもの様に台詞を残して颯爽と退場して行った。
 う〜ん、毎度のことだけど、やっぱりカッコいいよなあ。
 ああなれるなんて思わないし、なりたいなんて思わないけど、やっぱり憧れるものはあるよな。

「師匠師匠。 早く姫ちゃんの荷物片付けるの手伝ってくださいです」
「うん。 それじゃあぼくは姫ちゃんの下着類を整理しておいてあげよう」
「………品性下劣です」

 汚物を見るような目で見られた。
 先日、姫ちゃんに殺されかけた時だってこんな目で見られなかったのに。
 どうやら意外と姫ちゃんは潔癖らしい。
 やれやれ、仕方ない。はずしたボケを継続させる程ぼくは図太い神経を所有していないので大人しく小物の整理を手伝い始めるとしよう。



   

 あれからぼくたちは何度か休憩を挟みながら小物の整理――下着類の整理のときだけは、姫ちゃんに外に追い出された――をしていた。途中で七々見のやつが除きに来たが、当然のように手伝うことなく消えやがった。なぜか姫ちゃんとは気投合してたのははたして喜ぶべきなのだろうか。

「邪魔するよ」
「あ、みいこさん」

 音も無く、みいこさんが甚平姿で入り口のところに立っていた。さっきまで出かけていたようだったが、帰ってきたようだ。この人もこの人で足音鳴らさないんだよな。あと萌太くんや崩子ちゃんもそうだけど。

「そっちの娘が新しい住人かな?」
「はい。 紫木一姫です。 姫ちゃん、こっちの人がこないだ話した浅野みいこさん」
「剣術家の面妖怪異のお姉さんですね。 初めましてです、姫ちゃんのことは姫ちゃんと呼んで欲しいですよ」

 面倒見が良い、だ。
 面妖怪異ってなんだ? 妖怪か?
 なんかみいこさんの涼やかな目つきが気のせいかいつもより鋭く見える………てか、思い切り睨まれてるんですけど。酷い冤罪だ。

「うむ。 では私は『姫』と呼ばせてもらおう。 これからはご近所だ、よろしくな」
「はい。 こちらこそよろしくです、みいこさん………と、呼んでいいですか?」
「好きなように呼んでもらってかまわないよ」

 どうやら、さっそく二人は打ち解けることに成功したように見える。元々みいこさんは面倒見が良いし、姫ちゃんのような子は放っておけないだろう。きっと可愛がってくれる。
 例え、姫ちゃんのソレが処世術のための擬態だとしても………擬態だと知ったとしても、みいこさんは姫ちゃんを放っておかない。
 この場面でそんな事を考えてしまうような、欠陥製品たるぼくですらも、未だに見捨てていないお人好しなのだから。

「おい、いの字」
「なんですか?」
「どうやらもう、私が手伝えることは無いようだからこれで戻ることにするよ。 力仕事ならまだしも細かな物の整理整頓というのはどうも苦手でね」
「知ってます」

 骨董品に埋もれたみいこさんの部屋。本当に雪崩とか起きるんだもんな。壊れたりしたらすごい損害になりそうだ。

「そう言う訳だから、お前はしっかりと手伝ってやれ」
「ええ。 そのつもりです」
「それと手伝いが終わったら私の部屋に来い。 少し話がある」
「…………」

 え〜と、そのお誘いはうれしはずかしのイベントではなく、先程の姫ちゃんの発言に関することででしょうか。
 みいこさんは一度インプットされた情報を中々修正してくれない訳で、どうしても修正しようとすればかなりの労力が必要になってきて、誤解を解くのは容易じゃないわけです。
 もちろんぼくが拒めるわけも無く「わかりました」と、頷くしかなかった。みいこさんはそれでこの場は良しとしたのか「じゃあ、また後でな」と、言って去っていった。

「みいこさんは本当に良い人ですねー。 珍しく師匠のお話のとおりにでした」
「うん、そうだね。 ぼくとしては出来る事ならぼくが話したそのままに、きちんと言って欲しかったな」
「でもなんだか師匠には対応が冷たかったですね。 さては師匠嫌われてますね。 あんな人の良さそうな人にまで嫌われるなんて、さすがは師匠です」

 今回のあの反応に関しては全面的にきみのせいだ。
 つうか、そんなことで感心してんじゃねえ。

「他の方も師匠以外はきっと良い人なんでしょうね」

 姫ちゃんはそんな事を笑顔で言う。
 あいつに良く似た、純粋で無垢な笑顔。

「ねえ、姫ちゃん」
「はいです?」
「姫ちゃんはどうしてこのアパートに来たの?」
「え? ですから、それは師匠が……」

 そうじゃないよと、ぼくは姫ちゃんの言葉をさえぎる。「確かにあの時、ぼくはきみにそういう誘いをしたよ。 だけど姫ちゃんがそれに従う理由なんてないはずだよ。 潤さんに頼めばもっとマシな場所に住むことだって容易いし、何よりきみが望んだような生活をしたいのならば、もっと適切な場所があったはずだ。 ここは姫ちゃんが望んだような生活をするには不向きなんだよ。 それは姫ちゃんにだって分かってるんじゃないかな」

 姫ちゃんが夢見たような、平穏な日々を送るにはここは不向きだ。 アパートがボロイとかそういう問題ではない。
 だってここには、

 ぼくがいるんだから。

 本当に平穏を望むなら、ぼくのような人間の近くになんて来るべきじゃないんだ。
 そんな当たり前で、明白な事を姫ちゃんが分からないはずは無いのに、何でここに、ぼくがいる場所に来てしまったのだ。

「なんでそんなことを聞くんですか?」
「なんとなく、気になってね」
「なんで師匠はそんな責めるように言うですか? 姫ちゃんはここに来ちゃいけなかったですか? 師匠は、師匠は姫ちゃんにここに来てほしくなかったですか?」

 姫ちゃんはぼくに詰め寄る。まるでぼくを責めるように。
 姫ちゃんの質問は、そのままぼく自身の疑問でもあった。何でぼくは姫ちゃんにこんなに構うのだろうか? ここに来ちゃいけなかったかだって? ここに来てほしくなかったかだって? そんなものの答えは決まっている。 だからぼくは当然のように、その決まりきった答えを言う。

「別に………そんなことないけどね」

 別に来てほしくなかったなんて思わない。
 別に来てほしかったなんて思わない。
 別にどうだっていい。
 誰が来ようが、誰が去ろうが、ぼくは別に興味なんて無い。好きにすれば良い。
 干渉してこなければ、別に干渉しようとも思わない。
 干渉してきたって、別に干渉しようとも思わない。

「戯言なんだよ」

 それなのに何故ぼくは姫ちゃんにここまで構う。
 何故、干渉しようとするんだ。
 あいつに似ているからか? そんなものは偽者だと分かっているのに。
 どうしてぼくは、この子を放っておけないのだろう。

「………姫ちゃん」
「はい」
「これからよろしくね」
「はい! こちらこそ、よろしくです」

 そう言って姫ちゃんは、戯言でなく、傑作でなく、皮肉にでもなく。ただ純粋な笑顔を浮かべる。
 …………。
 まあ、いいさ。
 奇妙な縁が出来るのは今更だ。
 約束なんてものが破られるためにあるのと同じように、
 信頼なんてものが裏切られるためにあるのと同じように、
 縁なんてものも、切られるためにあるものなんだ。
 なら、せめて今だけはそれを受け入れよう。
 いずれ切れるであろう、この奇妙な縁を。

 いずれ切れるその時まで。





寝言
初の戯言SSです。
そんな訳で姫ちゃんが骨董アパートに引っ越してきたときのお話です。
かなり捏造されてます。妄想入ってます。
戯言遣いは姫ちゃんが本当に来たときには驚いたんじゃないかと思います。
それとも、案外あっさりと受け入れてたりとか?w
姫ちゃんがみいこさんのことを『みい姉さん』と呼んでいないのは、さすがに初対面からそうは呼ばないんじゃないかと、勝手に想像して『みいこさん』と呼ばせています。
最後に………例え姫ちゃんが死んで、いっくんとの縁が切れてしまったとしても、縁そのものは、決して無くなった訳じゃないと、信じてます。
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