鬼は外。
   福も外。



   

 零崎一賊。
 その名前について、ぼくは不幸にも聞き知ってはいた。
 それは世界の裏側、裏の世界に存在する《暴力の世界》の一勢力らしい。
 他の勢力と異なり、殺人行為に如何なる理由も持たない、最も忌避すべき《殺し名》。
 生まれついての殺人鬼――いや、殺人鬼として生まれついた者たちが身を寄せ合い、寄り合いを築き――家族となった。
 血の繋がりではなく、流血の繋がりで結ばれた家族。
 血は水よりも濃い、などというが、彼らの繋がりは常軌を逸した強さで結ばれているらしい。
 それこそが《理由なき殺人行為》以上に他の《殺し名》からも忌み嫌われる所以なのだそうだ。
 とは言えだ。
 所詮、それらは人伝で聞いた話だ。
 ぼくとて、少なからず《殺し名》と呼ばれる者たちと関わってきたことでその恐ろしさは言葉だけでなく、身を持って痛感している。
 だけれども、それでもぼくはこの話に対して疑念を持たざるを得なかった。
 それはぼくが唯一出会った零崎が例外だったからだろう。
 純潔にして純血の零崎。
 零崎の中の零崎。
 そう呼ばれながらもアイツは零崎の異端だったのだろう。
 鏡の向こう側だったアイツと出会っていたからこそ、ぼくの中での《零崎一賊》に対する印象が大きくズレているのだろう。
 もっともぼくはそれで構わないという考えだった。
 そもそもにおいて、彼らの世界には関わるべきではないのだ。
 いざという時のために知識があった方が良い、なんて言う考えは通用しない。 『知る』という形でさえ、関わるべではない。 知ってしまった時点で行き詰ってしまう、そういう類の問題なのだ。
 残念ながらぼくは少なからずその世界の住人達に関わってしまったが、だからと言ってより知ろうとは思わない。
 むしろ僅かなりともあの世界の異常さを知ったが故に、極力関り合いを避けるように心掛けて来た。
 しかし、そんな労力など考えてみれば無駄なのだ。
 関わろうとして関われるものでもないし、避けようとして避けられるものでもない。
 不意に訪れ、訪れてしまえばどうしようもない。
 今、ぼくの前に一匹の鬼がいるように。
「ん? おや?」
 零崎双識と名乗った針金細工のような男はぼくを見るなり、不思議そうに首を傾げた。
 しかしこんな事を考える筋合いもないと思うけど、あの細い首を傾げているとそのまま千切れて落ちてしまいそうだ。
 ぼくのそんな的外れで場違いな考えなど知る由もなく(知られても困るが)ぼくのことをマジマジと観察し続ける。
 不思議そうに、合点が行かないというように、見ず知らずの他人が自分の知る人間に感じられて仕方ないというように。
 ぼくが良くその相手にとっての『誰か』を投影されることはあるが、今回はそれとは異なる既視感のはずだ。
 きっと、目の前の零崎は、ぼくを通してアイツを見ているの違いない。
 零崎人識を。
「ふむ、君は一体誰だい?」
「ぼくはこの学校の職員ですよ。 まあ、臨時ですけどね」
 ぼくは惚けるように答える。
 それで気のせいだと思ってくれるとは思ってはいない。
 ぼくとアイツの相似が錯覚だと思ってくれるなどとは期待してはいない。
 なにせ相手は絆の強さで異能共が跳梁跋扈する《暴力の世界》の中でも疎まれる《零崎一賊》だ。
 家族の鏡面存在であるぼくを、見過ごすわけがない。
 ましてや零崎人識は零崎にとって秘中の秘。 禁忌の中の禁忌。  それと同類のぼくを見逃せるはずもない。
「そうかい! 君はこの学校で働いているのか! それは実に羨ましいが、しかしそうなると是非とも訊いておかなきゃいけないことがあるな!」
「は、はぁ?」
 しかしぼくの暗く沈む警戒心とは裏腹に双識さんは明るく弾んだ声を張り上げる。
 おまけに物凄い良い笑顔だ。
 えっと、なんだ、この人。
「どうだろう! 君も人として妹のことを思う兄の気持ちに心打たれたのならば、私に妹の近状を教えてはくれないだろうか!」
 肩を捕まれ、ガクガクと揺らされ、ぼくのポンコツな記憶力が刺激され思い出した。
 もちろん、恐るべき悍ましき殺人鬼に体をロックされている状態でそんなことを悠長にしている場合ではないとは分かっている。 それでもぼくの思うようにいかない記憶力は勝手に思い出してしまっていた。
 かつて零崎の奴から聞いた《零崎三天王》の一人の特徴。
 『鋏を振り回す妹マニア』
 その特徴は目の前の針金男の零崎に一致している気がする。
「はあ。 まあ、良いですけど」
 それでもそんな風にいつも通りに適当に相槌をうってしまうぼくは本当に成長しないなあ。
 だけれども、それでもぼくのこの質問は全くの無意味ではなく、ある一つの情報を聞き出すためのものだ。
「それで、その妹さんの名前はなんというんですか」
 そう、それこそがぼくが得たかった情報だ。
 この学園に《暴力の世界》と、ましてや《零崎一賊》と繋がっている人間が居るとすれば、それはぼくの目的を達成するには大きな収穫となるはずだ。
 しかし、ぼくのそんな希望を吹き飛ばすように、目の前の双識さんは満面の笑顔を浮かべてその女子の名前を言う。
「萩原子荻ちゃん、さ!」
 それを聞いて、ぼくは全く関係なく子荻ちゃんに妹属性は似合わないなあ、なんて思うのだった。
 いや、戯言だけどね。



   

 それから――。
 ぼくは一応双識さんと子荻ちゃんとの関係について訊いてみたが、望ましい収穫はなかった。
 双識さんから聞いたのはかつて子荻ちゃんとどれだけ仲が良かったとか、そういう話だった。
 まあ、あの子荻ちゃんが一日に何十という数のメールを送っていたとか、遊園地でハシャいで遊んでいたとか。
 それらの情報は物語の本筋とは関係ないところで興味のある話だったけど。
 ぼくの方からも提供できる子荻ちゃんの情報は提供してあげた。
「ふーん、そうか、最近の子荻ちゃんはそんな感じか」
 ぼくの言葉に感慨深げに頷いて見せている。
 その様子は確かにしばらく離れていた妹の様子を心配していた兄の姿に見えなくはない。
「そうか、子荻ちゃんのおっぱいがそんなに大きくなっているなんて、会うのが楽しみだなー」
「喰い付くとこはそこかよ!」
 撤回だ。
 妹の胸に興味を持つような兄がいてたまるか。
 いや、そこの話をしたぼくもぼくだけど。
「おいおい、臨時講師くん。 兄として妹の成長が気になるのは当然じゃないか」
 まるでぼくの方こそ常識を弁えていないかのような物言いだ。
 この人、もしかして兎吊木の野郎と同郷なのだろうか。
 だとすれば極力関わりたくない。
 《殺し名》とかそういうのと関係なく。
「でも、子荻ちゃんに会いに来たにしては随分な時間ですね。 こんな時間じゃ彼女はもう校舎には残っていないですよ」
「うふふ、ご心配とご忠告ありがとう。 しかし心配無用さ! これは私からのサプライズだ。 予想していない時間に突然私が驚きとともに久しぶりの再開の喜びも増えようというものさ。 もちろんちゃんと彼女が寮のどの部屋に住んでいるのかも把握済みさ」
「予定にない突然の訪問は迷惑にしかならないと思います」
 ああ、そう言えばぼくの周りには色んな奇人変人が多いけど、ストーカーと言う人種は初めてかもしれない。
 まあ良いや。 彼が本当に子荻ちゃんと良好な関係を築いていようと真性のストーカーであろうと、ぼくが口出しするようなことではあるまい。 問題があるようなら本人たちで勝手に解決してもらえば良い。
「それじゃあ、こんなところで時間を潰している暇はないんじゃないですか。 早く子荻ちゃんの所に行ったらどうです」
 ぼくは双識さんに進言する。
 決して厄介事を子荻ちゃんに放り投げて、ぼくは逃げてしまおうという腹ではない。
「うふふ、そうだね。 私としてもそうしたいのだが、残念ながらもう一つ看過できない用事があってね」
 しかし双識さんはそう言ってゆるりと首を振る。
「別の用事ですか」
「そう、てっきり私はここに弟が居るのかと思ってきたのだけれどもね。 ところが、どうも人違いだったようだ」
 まずい。
 話の方向が折角逸れていたのに、軌道が修正されてしまう。
 零崎双識。
 一見にして変態で話してみればより変態だったが、馬鹿じゃない上にぼくが苦手とする饒舌によって情報を操作出来る人間だ。 ただの変態じゃない。
「ひ、人違いって」ぼくは詰まりながら答える。「この学園は人も多いですし無理は無いんじゃないですか」
「いや、私が家族を間違えるなんて本来はありえない」
 あったとしてもせいぜい伊織ちゃんの時くらいかな、と呟いていた。
 『伊織ちゃん』というのが誰だか知らないが、その名を口にする双識さんの様子は嬉しそうな誇らしそうな、家族自慢しているかのようだった。
 しかし、ぼくはそんなことを悠長に受け入れている場合ではない。
 双識さんの確信的な物言いは、そのままぼくの命に関わる。
「双識さんは、その家族を探しにここまで来たんですか」
「いやいや、違うさ。 本命はあくまで子荻ちゃんだけれども、まあアイツのことはついでだよ。 常に放浪しているやつだからね、近くにいるのならば会っておこうと思ったのだよ」
 まあアテは外れたがね、と意味ありげに言う双識さん。
「それは残念でしたね。 まあ気を落とさないでください。 これで一つ用事が済んだと思えば、気兼ねなく子荻ちゃんのところにイケるじゃないですか」
「そうしたいところなのだがね、残念ながらまだ用事が済んではいないのだよ。 私が心安らかに子荻ちゃんに会いにいけるように、用事を手早く終わらせるためにも協力しては貰えないだろうか」
「ぼくは明日も授業を行わないと行けないんで、残念ながら手伝えそうには無いですね」
「何、大した手間じゃないよ。 私の質問に答えてくれれば良いんだ」
 双識さんはメガネの奥の目を細めてぼくを見る。
「君は一体誰だい?」
 そう言って、先程あった時にされた質問を繰り返す。
 先ほどのような誤魔化しの効かない、静かに気圧される言葉。
「さっきも言いましたが、ぼくはここで臨時の講師をしている人間ですよ。 名前を聞いているってんなら、申し訳ないですがぼくは人に名前を教えないことにしているので」
「別に君が今ここで何をしているのかを聞きたいわけじゃないさ。 名前に関してはまあ、気になるところだけれども名前を名乗らないというのは私が警戒している類の人間ではないようだね。 だけれども、私が訊ねているのは名前というわけでもないんだよ」

「君の存在を聞いているんだ」

「私の弟にそっくりという言葉では足りないほどに同じな存在である君は一体何者だい」
 まずい。
 完全に確信している。
 もはや誤魔化すという次元ではない。
 ここからはどうやって有耶無耶にするかの勝負になってきた。
 だが、ぼくのそんな覚悟はあっさりと無意味に終わる。
「……」
 双識さんの視線が、意識がぼくではない方向に向いていることを遅まきながら気づいた。
 ぼくを通り越してその後ろ――おそらくその位置にであるであろう校舎と屋上を繋ぐ扉へと注がれていた。
「プロのプレイヤーにも見えず、かと言って他の《世界》に関わる匂いも持たない、まるで極普通の一般人でありながら《零崎》の名に心あたりがあるような素振り、《四神一鏡》に連なるこの学園に所属し、私の子荻ちゃんとも親しげで、そして何より私の弟と酷く歪ながらも同じ存在である君が一体何者なのか、そこの素敵なセンスの服を来たお嬢さんなら知っているのかな」
 その時、ぼくは迂闊にも振り向いてしまった。
 殺人鬼を目の前にして、目を離すなど有ってはならない愚行だ。
 だけれども、結果的にはどちらでも同じだっただろう。
 なぜなら、ぼくの背後に居たのは期待する赤色ではなかったのだから。
「ゆらぁ――りぃ――」
 ボロのような服を纏った《狂戦士》がそこに揺れていた。





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