何よりも危険な思い込みは「思い込みは悪いことだと」思うことだ。


   

 体育館を念のために見て回った後、結局何の痕跡も見つけることが出来なかったぼくは、独り夜の校舎を彷徨っていた。
 夜の校舎には当然ながら灯りなど付いているわけもなく、灯りといえば校舎内にポツポツと点在する誘導灯と窓の外から差し込まれる月明かりと星明りだけだ。しかし、そこはぼくも既に夜の校舎を散策するのは二回目である。僅かな明かりでも見えるくらいには順応性を持ち合わせている。
 順応性の高さはぼくが唯一誇っても良いかと思っている長所だ。
 まあ、そんな順応性が必要になる人生を誇っていいかは謎だけどね。
 それにしても昼間はあれだけ賑やかで人に溢れいていた場所が、こうも静まり返っていると同じ場所とは思えない。生徒が勉学に励む教室は暗闇が鎮座し、生徒が行き交う廊下は静寂が停滞している。この落差に人は不気味さを感じるのだろうけれども、ぼくにとってはこっちの方が見知った澄百合学園とも言える。
 健やかで明るい学園風景の澄百合学園というのは違和感でしか無い。
 時間帯もそうだがそれ以上に違和感なのは通っている生徒たちのことだ。ぼくの知っている澄百合学園の生徒は知らない人を見たら背後を取ったり、存在を無視したかと思えば関節技を極めたり、何となくで人の首を斬ろうとしてくる娘たちばかりだ。それが、今日一日(もしかしたらもう日付が変わっているかもしれない)に出会った生徒たちは奇異な視線は向けてくるものの、そんな奇妙な新参者であるぼくに対しても色々と世話を焼いてくれるような娘たちばかりだ。
 だが、それが悪いことは勿論思わない。
 むしろこの姿が偽証でなく真実のものならば喜ばしいことなのだろう。
 職員室まで道案内してくれたり、教室まで道案内してくれたり、迷っているところを声を掛けてくれたり、これでついでに夜の校舎の案内までしてくれたならば完璧だ。
「つまりは、ぼくはまたしても迷っているわけですね」
 ぼくには順応性は有っても学習能力が無いのだろうか。
 そもそも学校というのはその性質上、内部の景色がどこも似たり寄ったりだ。お陰で場所の特徴を掴むことが非常に難しく、内部構造を把握することを困難としている。それでも作りを単純化することで内部の人間が迷わぬように工夫されているはずなのだが、この学校は迷宮のように入り組んでいるため、慣れていないとすぐに迷ってしまう。澄百合学園が以前の目的だったときは厄介な作りになっていた理由も理解できるが、真っ当で健全な学校を掲げた現在もこんな作りになっているんだ。
「これが何らかの伏線だったりとかしないものか」
 そうでなければこの複雑にして奇っ怪な構造はぼくを惑わすだけに存在すると言っても過言では無くなってしまう。
 それはさすがに無いだろう。
 そもそもそんな考えが出てくることが自意識過剰にも程がある。
「身の程を弁えない戯言だ」
 大して大きな声で言ったつもりのない呟きだったが、ぼく以外に居ない校舎の中では予想外に反響して暗い廊下を渡っていく。いやはや、独り言が多い人間だという自覚はしているつもりだったけれども、こうやって反響しているのを聞くとさすがに気恥ずかしいものがある。せめてもの救いは響くくらい静かなのは人が居なからという、皮肉な事実だ。
 そう誰も居ないのだ。
 もちろん、そんなはずはない。
 誰も居なければ、ぼくを閉じ込めていた扉の錠前は壊されることなんてなかっただろう。
 あの破断面を見て、錠前が使い古された物だったために自然に朽ちて壊れ落ちたなどということはあるまい。あんな鋭い刃で強引にぶつ切りにしたような断面、誰かが人為的に行わなければああはなるまい。
「他の選択肢としては、ついにぼくに超能力が目覚めて断ち切ったとか」
 そんな愚にもつかない戯言も校舎内に虚しく響いて消えていく。
 あの戯言は果たしてこの廊下をどこまで行くのだろうか。ひょっとしたら、例の錠前破壊犯の元まで届き何らかのアクションを取ってくれるならば、ありがたいのだけれども。
「いや、ありがたくないか。 あんな戯言を他人に聞かれるなんて」
 超能力なんてものにぼくは良い想いを抱いていないんだ。
 ある一人の超能力者の顔を一瞬思い浮かべて、すぐに打ち消した。
 まったく、暗闇は人に不安な想像をさせるというけど、どうやら本当のことのようだ。
 こんな調子で成長具合を見せるとかよく言ったものだ。
 しばらく暗い廊下を歩いてみたが、目についた階段の踊場の前で立ち止まる。
 ふむ、例の錠前破壊犯が階段を使って他の階へ移動していた場合、はてさて上に向かったか、それとも一度は学園からの脱出を試みているか。
 相手の目的がわからない以上、予測を立てるのは難しいが――。
「ぼくをあそこから誘い出しておいて、脱出もねえだろうよ」
 ならば向かうべきは内側だろう。
 しかも体育館倉庫の次ときたら、やはり待ち合わせ場所としては屋上か。
「だけどそれは二番煎じだぜ、二番目の侵入者さん」
 いや、ぼくもこの学園に侵入した異物だとすれば三番目か。
 子荻ちゃんの言葉に従うってわけじゃないけど、そいつの担当はどうやらぼくということになりそうだ。
 本当にこうして緊張感を持って歩いていると、過去にこの学園を訪れた時の事を思い出す。
 そうだ、回想してみれば過去と今回とでは決定的に違うことがあった。
 一回目は哀川さんと姫ちゃんが一緒だった。
 二回目は崩子ちゃんと出夢くんが一緒だった。
 しかし、今回は同行者がいなかった。
 なるほどこれは気づいてみれば、結構な違いだ。
 ぼくのような一人では前にも後ろにも進めない人間にとっては、大いなる不安材料だ。
 そうこうしていると、屋上へ続く階段、最後の踊り場にまでたどり着いた。
 昔聞いたことがあるが、なんでも学校の怪談におけるメジャーな話の一つとして『13階段』なるものがあるらしい。普段は12段しかない階段が1段増えて13階段になっているというのだ。そして、その13階段目を登った者は不幸に見舞われるとか。そして、増える階段がある場所としてもっとも多く伝わっているのが、屋上へと続く階段だとか。
「13階段ね。 最悪の再来となるのかな」
 我ながらちっとも笑えない冗談を言って、階段へと足をかける。
 1段目。
 2段目。
 3段目。
 4段目。
 5段目。
 6段目。
 7段目。
 8段目。
 9段目。
 10段目。
 11段目。
 12段目。
 そして、13段目。
 さてさて、小唄さんに会いに来たときは、ここの階段は何段だったかな。
 ぼくはそんなことを考えながら、屋上へ続く扉を軽く2回ノックする。
 鋼鉄の扉が静かな学び舎にうるさいくらいの音を立てた。
 そのことに満足して、ぼくは扉を押し開ける。
「――――」
 最初、ぼくはそれはこの学園の生徒が作ったオブジェだと思った。
 冗談見たく細い、そして長い奇妙な物体が屋上に置かれていた。
 その異様な細長さは、奇妙なオブジェが人型だと気づくのに遅れてしまうくらいだった。
 ましてや、それが本当に人間だということに気づくのには数秒を要した。
 まるで針金を束ねたようなシルエットの人間だった。
 しかし、この認識も決定的に間違っていたのだ。
 それはぼくのような人間には間抜けの謗りを免れない過ちだった。
「ん? ああ、こんばんわ」
「こんばんわ」
 針金人間のあいさつにぼくもあいさつを返す。
「あの、もし忘れているだけだったら、すみません。 部外者だと思うんですけど、学園への出入りは禁止されてますよ」
 そう言いつつも、さすがにぼくでもこんな針金人間を見ていたら忘れはしないだろう。
「いやいや、私は部外者などではないよ」
 しかし、針金人間は悪びれもせずに言う。
「私はこの学園にいるある女の子の兄さ」
「はあ、お兄さんですか」
「もっとも、血の繋がりがある実の兄でも戸籍上の義理の兄でもないのだけれどもね。 そう兄的存在という奴だよ」
「は、はあ」
 なんだろう、そのことを語るのがとても嬉しくて堪らないという振り切ったテンションだ。
 どう考えても、こんなシチュエーションにはそぐわないテンションだ。
「あの、じゃあ名前を教えてくれますか? 一応あとで確認しますから」
「ふむ、『名前』かい?」
 そんなぼくの当り障りのない質問に、しかし目の前の針金人間は急に纏っている雰囲気を変えた。
「っ!?」
 目の前の針金がその姿はそのままに人間ではなくなったような、そんな錯覚。
 錯覚?
 いや、きっとこれは錯覚などではない。
 ぼくはかつて何度かコレに似た感覚に襲われている。
「うふふ。 そうだね、名前を名乗らせて頂くとしよう」
 そんなぼくの恐怖と困惑に気づかないように針金は自らの名を名乗る。
 先ほどとは違う、喜びではなく誇りを語るように、堂々と自らの名を名乗った。
「私の名は零崎――零崎双識という」
 そこでようやくぼくは目の前の針金が、オブジェでもなく人間でもない――鬼だということに気がついた。





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