「盗みは良くないことです」
   「同感だね。 ところでその言葉は何処から盗んだんだい?」



   

 子荻ちゃんと別れた後、ぼくが向かったのは学園の屋上だった。
 別に屋上そのものに目的があるわけではなく、人目に付かない場所ならばどこでも構わなかった。言い方を帰れば、条件を満たしているのだから、わざわざ避ける必要もないとも言えるだろう。他に候補を挙げるとするならば、定番とされている校舎裏や体育館倉庫、もしくはその裏などがあるが、しかし考えて見れば、それはあまり人が来ないというだけの意味しかないと思う。確かに校舎裏などに用がある人間が居るとは思えないが、それでも冷静に考えて見ればそこには窓があるはずなのだ。誰かが気まぐれに窓から外の景色を覗いたら丸見えだ。上の階からならば一方的に見られこちらはその事に気づくことも出来ない。そう考えてみるとこの定番の場所はむしろ秘密裏に事を運ぶのには不向きと言えるだろう。体育館倉庫の裏も同様だ。では、体育館倉庫そのものはどうかといえば、これもまた除外するべきだろう。確かに体育館倉庫は隔絶された空間であることは間違いない。だがそれ以上に、どうしようもないくらいに体育館と接続された空間であることは否定のしようがない。そして体育館そのものは非常に開けた空間だ。これでは人目を忍ぶことは難しい。
 開けた空間という点では、この屋上もまた同じだが、逆に開けているが故に第三者の存在が分かりやすい。内密の話をするときにはむしろ開けた場所のほうが好都合だ。
 しかし、まあ、このような下手な気回しなど必要とはしないだろう。それどころか、こんな場所を選んでしまっている時点で、相手から失笑を買うことになる。
 木を隠すのは森の中ではなく、公衆の面前。
 そう言っていた彼女だ。
 わざわざ人目を避ける場所を選ぶような、ぼくの浅はかな行いなど、彼女から見れば、さぞかし滑稽で、万全どころか十全にすら至らないことだろう。
「屋上というのは、建築物の中でも他の何処よりもお天道様の下にさらされているのに、他の何処よりも足を踏み入ることに後ろめたさを感じる。 しかし、同時に高揚感と強い憧れも抱きますね。 まったく不思議な場所です。 そうは思いませんか、お友達ディアフレンド
 その声は、頭上から掛けられた。
 ぼくが通ってきた屋上と校舎を唯一繋ぐ扉、その扉が設置された出入口となる建築物(そう言えば、この箇所って名前があるんだろうか)の上に彼女は優雅に腰掛けながら、ぼくを見下ろしていた。見下していたのかもしれない。
 実際、視界が広く第三者の存在が露呈しやすいという理由で、ここを選びながらも彼女の存在に全く気付かなかったのだから間抜けも良いところだ。しかし、ひとつだけ言い訳をさせてもらえば、彼女ならばそれこそ衆目の面前に立とうとも、その存在を誰にも気付かせないことくらい平気でやってのけるだけの能力を、それこそ十全に備えているということだ。
 彼女は生まれ変わったとは言え、四神一鏡が檻神の直轄施設である澄百合学園に易々と忍びこみ、まるで素人のように荒らしておきながらも、《策師》萩原子荻に対しても一切の情報を残さないなんてことを平沙でやってのけるような人物だ。
 大泥棒、石丸小唄はそういう人物だ。
「どうも、小唄さん。 お待たせしましたか」
「いえ、待ってなどいませんわ。 だって、私の方には貴方に用事も用件もありませんもの。 私が貴方を待つ理由なんてまるで存在しません。 私に用事があるのは、私に用件があるのは、私を待っていたのは貴方の方ではなくて? お友達」
「……その通りですね」
 完全に見下されていた。
 まあ、仕方ない。小唄さんの言うとおり、ぼくは彼女に用があるが、彼女の方はもそうだとは限らない。
「でも、わざわざ来てくれたということは、少しはぼくに利用価値があると判断してくれたと思ってるんですけどね」
「それは思い違いも甚だしいですね。 私はただ男の子から屋上に呼び出されるというシチュエーションに、女の子として断るなんて無粋だと思い訪れたのですわ」
 いや、ぼくはもう男の子という年齢ではないし、詳しい年齢は謎だけれど少なくともぼくよりも年齢が上であろう小唄さんも女の子と言うには無理があると思うのだが。
「迂闊なお友達に一言忠告しておきますが、読心術は何も哀川潤の専売特許ではないのですよ」
「……何の事ですか?」
 前にも似たような事を言われたことがあるような気がする。
 進歩しないぼくだった。
 ……あれ? でもあの時は小唄さんに変装していた潤さんに言われたんだっけ?
「私を呼び出すのには、十全なシチュエーションを選んだと少しは感心していたのですが、今ので上がった男も下がってしまいましたね、お友達。 それともまさか、内密に話すため、なんていう理由だけでこの屋上を選択したなんて、ここならば他人に話を聞かれづらい、他人の間に触れづらいからなんて、そんなお間抜けは事は言いませんわよね」
「ええ、当然ですよ」
 あっさり嘘を付くぼくだった。
「ぼくの仕事は誰かのために何かをすることですから、普段から相手を喜ばせられるように工夫を凝らすことを欠かさないように心がけているんですよ。 ましてや、小唄さんには普段からお世話になっていますしね」
「それはそれは、十全な心がけですわね、お友達。 今から次の再開が楽しみでですわ」
 楽しそうに微笑む小唄さん。
 相変わらず、性根が悪そうだった。
 やれやれ、しかし会って間もないのにもう次の再会の話をされるとは。まあ、変な振りをしたぼくの責任もまるで無いとは言わないけれども、気の早い話だ。
 なんて、単純にさっさと用件を言えとせっつかれているだけなんだけどね。
 話を聞いてもらえるだけ幸運だと考えるべきだろう。彼女の言うとおり、ぼくと話したところで得られるメリットなんて、万に一つくらいだろう。ならば、ぼくの事を無視しても彼女には何の問題もなく、ぼくを嗤いに来たというのならば、その目的も既に達しているのだから、姿を消されても仕方がなかった。
 そんな結末も覚悟して来てはいた。
 もっとも、同じくらい、いやそれ以上に彼女が姿を表し、ぼくの話を聞いてくれるだろうという、確信があった。それは一見すれば希望的に楽観的をかけ合わせた予測だが、そんな曖昧で模糊な考えでのことではない。過去の経験から学んだ確信だ。確定的な経験則だ。
「なんて言ったところで、来なかったら来なかったで、さも尤もらしいことを言ってのけるんだろうな」
「何か言いましたか、お友達」
「いえいえ、いつもの戯言です」
 いつもの逃げ口上。
 口先だけが取り柄のぼくだが、その取り柄ですら小唄さんには叶うとは思えない。さっさと撤退するのが十全だろう。負けるのは決して嫌いではないけれどもお互いに時間は有限だし、負けるのよりも逃げるほうがぼくの性にはあっている。  いい加減、本題に逃げるとしよう。
「それで小唄さん、ぼくは一体どんな情報を提供すればいいんですか?」
「おやおや、おやおやおや。 それが貴方のご用件ですか、お友達。 私に貴方が持っている些細な情報を提供するというのが、わざわざ屋上に呼び出すなんてロマンチックな待ち合わせをしてまで果たしたかった用事なのですか」
「ええ、少しでも貴女に貸しを作っておこうと思いまして」
 性根が悪いニヤニヤとした笑みに、ぼくは虚勢を張って応える。
「それはそれは中々に十全な心構えですね、お友達。 ですが、私は安物を借りる趣味は御座いませんよ。 私に貸すくらいなのですから、それもわざわざ呼び出すくらいなのですから、さぞかし十全な代物なのでしょうね?」
「ええ、あんなヒントを残してくれた貴女を失望させないくらいには」
 わざわざあんな一目で分かる荒らし方をして、自分の存在をぼくに伝えてくれた小唄さん。少なくともぼくは澄百合学園に侵入し、あんな事をした挙句に子荻ちゃんの目すら誤魔化せるような、そんな埒外な存在を小唄さん以外には知らない。
 哀川さんなら同じような事を出来るだろうけど、あの人は決してそんな事はしないだろう。あの人が動くときはいつだって正面から堂々と攻めこむに決まっている。
 小唄さんはぼくが彼女の存在に気づくことも分かっていたのだろう。
 そんな真似をする理由が、ただのイタズラや善意などであるわけもない。親愛の証など以ての外だ。
 それが小唄さんがここに現れるであろうということを確信できた確証だ。
 少なくとも小唄さんはぼくに利用価値を見出している。
 例えぼく自身が気づいていなかったとしても、ぼくが見聞きした情報から小唄さんなら何かしらの結論に辿りつける可能性があるということだ。
 ぼくは今までの経緯を小唄さんに話した。
 どうせ隠し事も戯言もこの人には通じないのだろうから、ぼくにしては珍しくありのままに。
 その結果、聴き終えた小唄さんから一言頂いた。
「貴方のお仕事には守秘義務というものは無いのですか」
 …………。
 もっともな話だ。
「哀川潤といい、どうにも請負人というのはモラルが低いようですね」
 返す言葉もない。
 だが、それなら小唄さんはどうなのだ。
 いや、泥棒って時点でモラルがどうのというのも変な話だが。
「しかし、相変わらず貴方はおかしな人脈をお持ちのようですね、お友達。 あの萩原子荻に西条玉藻、それに春日井春日ですか。 そうそうたる顔ぶれですわね。 しかも何の抵抗もなくそれらの人物と接することが出来るとはつくづく面白い方です」
「いい加減、その手の評価は聞き飽きたんですけれどもね。 そうそう変われるものでも無いですから、最近はあきらめ気味ですけれど」
 実際、ぼくが知り合った相手が実はとんでもない人間だったと後から知ることが多い。実際に会って話してみた身から言わせてもらえれば、確かにそれぞれに凄みがあるが、会話が成立しないわけじゃない。そして、言葉が通ればぼくとしては、それで十分だ。
 ここら辺が崩子ちゃんに「誰とでも仲良くなる癖」と言われる原因なのかもしれないが、そこは勘違いしないで欲しい。会話が成立したって、決して仲良くなれるわけではない。ぼく自身相手から疎まれ嫌われることのほうが圧倒的に多いのだ。
 それは子荻ちゃんにしたって玉藻ちゃんにしたって変わらないし、春日井さんは――そもそも好き嫌いの無い人種だが、ぼくがあの人を疎ましく思っている。遊馬さんだって……あれ? そう言えば小唄さんは彼女の名前を挙げてなかったけれど、どうしてだろう? 彼女だって只者ではない極者に違いないだろうに。
「まあ大体の事情は把握しましたし、やはり貴方が私に持っていない情報を持ち得ているというのも理解しました。 とは言えやはり十全な情報というわけにもいきませんね。 しかしあの萩原子荻が進路指導ですか。 適材ではあるのでしょうが宝の持ち腐れという感じもしますが……」
 そこまで言って、収穫無しと言った様子だった小唄さんはニヤリと笑う。
 今までぼくに向けていたような性根の悪そうな笑みではなく、単純に純粋に悪そうな笑みだった。
「感謝しますよ、お友達。 いえ、感謝よりも借りに感じたほうがよろしいんでしたか。 それでどのように貸しを返すことがお望みですか? この学園で行われている茶番劇の正体が知りたいのでしたら、その程度の些事で済むのでしたら教えてさしあげますわよ、お友達」
「分かったんですか? この学園が再開された目的が?」
「それは正確な表現ではありませんね。 私は初めからこの学園が何のために再建されたのか知っているのですから」
「え?」
 なんだって。
 この学園の存在理由を初めから知っていた?
 それは、完全に予測の外の言葉だ。
 それじゃあ、だったら。
「小唄さんは何のために、この澄百合学園に侵入したんですか」
「残念ですが、いくら借りがあるとは言えお話しすることはできません。 私にも守秘義務というものが有りますから」
 なるほど、ごもっともだ。
 やれやれ、やっぱりこの人の性根は悪いよなあ。
 だが、だとすれば、今のぼくの言葉の中にこの学園の再建理由が推測できる材料が存在するという期待は崩れ去ったわけだ。やれやれ、本当に情報を提供するという形だけで終わってしまったな。
 そんなぼくを見て、小唄さんが声を掛ける。
 もちろん、見かねての親切などではない。
「お困りのようですね、お友達。 先程も言ったように私は解答を持ち合わせています。 その問題を解決してさし上げられますよ」
 それはとても魅力的な提案だった。
 正直、これ以上この学園に留まっていると、ぼくの人間的な品性が限界を迎えかねないという切実な問題がある以上、さっさと調査を済ませて引き上げたいという思いがある。
「お断りしますよ」それでもそう応えるぼくはやっぱりMなのだろうか。「とても魅力的な提案ではあるんですけれどね、守秘義務は護れなくても、せめて一度受けた依頼を達成すというプロ意識くらいは持ち合わせているんで」
「なるほど、相変わらずに十全のようですわね、お友達」
 機嫌を悪くするどころか、むしろ楽しそうに笑う小唄さん。
 その笑顔はなんというか、実に哀川さんに似ていて、ぼくとしてはその、なんと言いますか――ゾッとしました。
「では、そんな健気なお友達の心意気に水を差さないためにも、私はこれで去らさせて頂きましょう。 私も私の仕事を話さなければなりませんからね」
「あ、小唄さん。 最後にこちらからも聞いて良いですか?」
 これだけは小唄さんに会ったら訊こうと決めていた。
 そもそも屋上にまで来て小唄さんと会おうとしたのは、この学園の再建目的のヒントなど二の次でこの質問をするためにセッティングしたようなものだ。
「真心の奴は元気でやってますか?」
 想影真心。
 ぼくの親友で、ぼくの敵の孫で、哀川さんの子供。
 今は小唄さんのもとに預けられているアイツは、小唄さんにこき使われながらどうしているのか。
「心配無用ですよ、お友達」ぼくの質問に小唄さんは笑って答える。「あの子の元気さは私がいくらこき使ったところで無くなるようなヤワなものではありません」
 お陰で重宝しています、と笑う。
 やっぱりこき使われているのかと少しだけ同情して、それでも相変わらずの様子に大きく安堵した。
「これはこれは。 意外なものが見れましたね」
「は?」
 意外なもの? なんだ、それ?
「話には聞いてはいましたが、貴方のような人でもそのような顔をなさるのですね」
「ぼく、どんな顔をしてました?」
 っていうか、誰から何を聞いたんだ。
 真心? まさか哀川さんか?
「それは言わぬが花というものでしょう。 ええ、言ってしまえば面白くありませんしね。 それに貴方は先程『これが最後の質問』と言ったはずですよ」
「そうでした」
 無茶苦茶納得がいかなかったが、問い詰めても仕方ないので引き下がる。
 聞いてあまり愉快な気持ちになるような話題でもなさそうだしね。
「それはご機嫌よう、お友達」
「ええ、小唄さんもお元気で」
 小唄さんは昔の怪盗よろしく屋上から飛び降りたりなどせずに、普通にぼくが入ってきた扉から出て行った。
 あまりにも普通すぎて優雅なくらいだ。
「やれやれ、お互いに厄介な人たちに使われるよな」
 ここにはいない真心へと空を見上げて漏らす。
 さて、それじゃあぼくもそろそろお仕事に戻るとしよう。
 子荻ちゃんをあまり待たせるのも悪いし、彼女の機嫌をこれ以上損ねるのは正直ゾッとしない。
 ぼくは小唄さんが出て行った扉から屋上から出る。
 果たして屋外から屋内への移動を出ると言うのは、表現として正しいのか甚だ疑問ではあるけど。
「どこまでいっても出口の見えない戯言だ」
 このとき、ぼくは情けないことに気が抜けてい。
 本来敵地であるはずのこの場所で、かつて歪みに歪んだ、いっそ呪われているとでも表現するべきこの場所でそのような事をするのは愚か者の謗りを受けかねない。いや、ぼくも自覚があるのだから甘んじて受けよう。
 臨時講師という慣れない立場にも少し慣れ、子荻ちゃんとの表面上とは言え協力関係を結び、何よりも真心の近状を聞いて、心が緩んでしまった。
 しかし、ぼくは子荻ちゃんとの待ち合わせ場所である体育館倉庫でそんな甘さを粉微塵に砕かれる。
 ここが、かつて凶器と狂気を育てる学びやであったことを、しかも体育館がぼくと最悪が相対した禁忌の場所だということを思い知らされることになる。
 




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