0 誤解を恐れるな。 怖いのは曲解だ。 1 食堂で子荻ちゃんの宣戦布告を受け流した後、定食を平らげたぼくは、進路相談室に用があるという子荻ちゃんと別れ、一人職員室へと戻ろうとしたのだが、何度も言うようだがコノ学校はとてつもなく広い。前ほどの複雑さを併せ持っていないとは言え、それでもその広さは並みの学校の比ではない。校舎の大きさだけで言えばぼくがかつて通っていた鹿命館大学の一番でかい建造物よりもでかい。これではどこに何があるのか全てを把握するのは至難と言うよりも、一つの試練だ。 つまり、なにが言いたいかというと。 「道に迷ってしまったわけですね」 自分で呟いてみて改めて状況確認。 まさか本当に迷うとは思わなかったな。既にここがどこだかも分からない。一応見える範囲に教室の名前が表記されたプレートはあるが、この校舎全体における現在位置が不明だ。とりあえず秘密の地下室や抜け穴に迷い込んだなんていうオチではないようだ。 「それはそれで楽だったんだけどなあ」 さすがにそうそう都合良くは行かないらしい。当たり前だけど。 まずはこの状況をどう解決するか。 そこら辺に居る生徒に道を聞くのが手っ取り早いのは分かるが、それは出来れば最後の手段にとっておきたい。初日に校舎で迷子なんていうお約束の展開を生徒に知られれば、ぼくの肩身は更に狭くなる。そうなった場合にぼくは今回の仕事を最後まで遂行できる自信がない。 あとは生徒に直接教えてもらうのではなく、気分が悪くなったとでも言って保健室に案内してもらって、そこで春日井さんに道を聞くという手を――、駄目だ。あの人にそんなこと知られたらそれこそぼくの人生にどんな影を落とすか分かったもんんじゃない。 今から子荻ちゃんに頼ろうにも進路指導室がどこにあるかが分からないし、ぼくと子荻ちゃんの間に好からぬ噂が立ち始めているらしいので極力接近は控えるべきだろう。ただでさえ、敵対しているわけだし。 しかしどうしたものか。このままじゃ間違いなく次の授業に間に合わない。そもそも校内図を把握できていないのでは今後の仕事がやりにくくて仕方が無い。もしや食堂ですぐに子荻ちゃんが別れたのは、このままぼくをこの学校で彷徨わせようと言う策なのだろうか。だとすれば見事にこの策は成功を収めそうだ。 ぼくは油断していた。もしもこの状況が本当に子荻ちゃんの策ならば、この程度の生温さで済む訳が無いと言うことを、完全に失念していた。 「ゆらぁりぃ」 それは何と言うか、出来ればこんなところで聴きたくない声だった。だったらどんな時に聴きたいのかと問われれば、ぼくは答えに窮してしまうしかないけど。 「ゆらぁりー、ピタ」そう言って停止。「不審者を発見です」 「君に言われたくないよ」 ぼくの目の前に現れたのは、恐らく元はここの警備員の制服であろうモノをズタズタに切り裂いた服を身に纏い、まるで酔っ払っているかのように身体をふらつかせている女の子。その手には既に準備万端とばかりに大型ナイフが二振り握られている。 この娘と比べたらぼくの不審さなんて塵芥もいいところだ。 …………。 つうか、やっぱこの娘も居たんだな。出来ればあの時見かけたのはただの幻覚や錯覚の類だったらなあと、密かに期待していたのだけど、やはり無駄な希望だったようだ。 「久しぶりだね、 「ゆらぁり?」 久しぶりの再会に首だけでなく全身を傾けやがった。 この娘……完全にぼくのこと忘れ去ってやがる。 「ぼくだよ、ぼく。 ほら思い出して」 「あなたなん」ゆらりと揺れる。「て知りませんよ」 「ほら4年前に君に殺されかけた男だよ。 殺しそうになった相手くらい憶えていてよ」 「えー、そんなことありませんよ。 玉藻はちゃー」ゆらりとまた揺れる。「んと、相手を逃さずに殺してます。 もしも殺し損ねた相」再びゆらり。「手が居るんならちゃんと憶えてるはずです」 相変わらず玉藻ちゃんは突っ込みどころの多い娘だった。 だがここで的確なツッコミを出来なければ戯言遣いの名折れだ。4年前は無様にもダメだしまで食らってしまったが、今の成長したぼくならばきっと出来るはず。そう、これは子荻ちゃんの言うところのリベンジだっ。 「背伸びたね」 「不審者さんには立ち去ってもらいます」 名折れどこか戯言遣い生命を叩き折られる程のダメージを受けた。このダメージ……教会に行っても治りそうに無い。 「とりあえず、殺せばいいのかな?」 「校内での暴力沙汰は世間的にNGだよ」 自信無さそうな言い方のわりに、確信たっぷりにナイフを構える玉藻ちゃんをやんわりと止めるぼく。 最近は校内暴力には過敏になってるからなあ。ほのめかす言葉だけでも危なそうだ。この学校では今更の事と言えるかもしれないが気をつけるに越したことは無い。ってか誰だ、この娘にナイフの所持を許可した馬鹿は。……もっとも玉藻ちゃんをどうにか扱える人物なんて子荻ちゃんくらいしか居ないだろうけどさ。 4年前も話が通じなさそうな娘だと思ったが、こうして改めて出会っても話が通じるような相手には思えない。大体にして校舎内を見回る警備員が両手に大振りのナイフを持っている時点でおかしい。玉藻ちゃんがそれを気に留めないのは今更としても、何故周りの人間も何も言わないのか。 「あのさ、玉藻ちゃん」 「馴れ馴れしく呼ばないで下さいよー」 「玉藻ちゃん、お願いだから少し考えてみよう」玉藻ちゃんの忠告を無視してぼくは言う。「玉藻ちゃんが自分の仕事に対して熱心なのは敬意を払うけどさ、いきなり相手を殺すのはやりすぎじゃないのかな。照会してもらえば分かると思うけどぼくは一応手続きを踏んでここの講師として来ている訳だし、そんな相手をただ廊下を歩いていたと言うだけで殺したら君や子荻ちゃん、それにこの学校だって不味い立場になるんじゃないのかな」 こんな理屈が玉藻ちゃんに通じるとは思わないが、それでも時間稼ぎにはなる。それに玉藻ちゃんはあまり自分で考えることをしようとしないタイプの娘なので、一気に捲くし立てて喋れば思考を放棄してぼくに選択権をくれるかもしれない。 「子荻先輩を、知ってるん、ですか?」 「うん。 ……本当にぼくの事を憶えてないんだね」 さすがにちょっと哀しくなってきた。ぼくも決して物覚えの良い方ではなく、むしろ悪いと言い切ってしまっても何も差し支えないのではないかと思えるような記憶力であることは、既に迷子になっている現状からも知れることだが、そのせいでぼく自身もたびたび人の事を忘れてしまうことがある。しかし、忘れられることがこれほどまでに堪える事だとは知らなかった。今度からはぼくも気をつけるとしよう。憶えていればの話だけど。 忘却確定の戯言だな。 「えーと、もしかして《首吊り学園》の生徒?」 「ぼくは男だよ」 確かにあの時のぼくは、この学校の制服を着て女装させられていたけどさ。もしかして玉藻ちゃんがぼくのことに気付かないのはソレが理由じゃねえだろうな。 「子荻先輩とは、一体、どんな、関係なの、ですか?」 「一言で説明するのは難しいね。一応ぼくは彼女にプロポーズした人間ということになっているらしい」 子荻ちゃんとの関係か。いざ問われてみれば難しい。友人はもちろん敵対関係と言えるほどにぼくらは密な関係でもないが、かと言って無関係ではありえないし、ただの知人と言うには互いの間にあったことは特殊に過ぎるだろう。 「子荻先輩に、プロポーズ、したんですか」 ぼくの答えに後ろへゆらりと揺れる玉藻ちゃん。どうやら驚きを表現しているらしく、そのどこを見ているのか分からない虚ろな目を見開いている。 「変な人です」 「君ほどじゃないよ」 ってか、何気に子荻ちゃんにも失礼な言葉だな。この娘は子荻ちゃんに懐いているって、姫ちゃんは言ってなかったけか。――ああ、なるほど。確かに子荻ちゃんに自ら近づくのは変な人だな。 いやいや、納得している場合じゃない。一体どうやって玉藻ちゃんを納得させ――納得させないまでもこの場を切り抜けるべきかを考えなければ。まさか本気でこの学び舎の中で切り刻まれるとは思いたくないけど、この娘の性格と言うか性質を考えるにあまり楽観的な期待は出来ないぞ。 生死をかけた問題に直面するぼくに、思わぬところから救いの手が差し伸べられた。 『みなさん。 新任教師のいっきーはかつていたいけな女子高生を手玉にした男です。 気をつけましょう』 校内放送だった。 とりあえずこれは救いの手なんかじゃなかった。こんな救いがあって堪るものか。 『マイクのテスト終了』 しかもマイクのテストだったらしい。 ぼくはこんなにも悪意に満ちたマイクテストを知らない。これが 決して知りたくない。知りたくは無いが――。 『いっきーどこにいるのかな? そろそろ職員室に戻ってこないと他の教師の人に迷惑が掛かるよ』 放送はぼくのそんな想いを完全無視で無情にも続けられる。 あんたこそ人の迷惑を考えろ。 『もしも迷子になっているのなら近くの学生に恥ずかしがらずに道を聞くように。 今更女の子に声を掛けるのが恥ずかしい年齢でもないでしょ』 確かに今更その程度の行為、恥でもなんでもない。 だが、声を掛けた途端に逃げられそうだ。もしくは悲鳴を上げられるとか。 どちらにせよまともに道を教えてくれそうにねえ。 『学生の皆さんも見かけたら職員室まで道案内してあげてください。 大丈夫噛み付いたりはしないから。 見た目の特徴は何も無い実につまらない男です。 あえて言うなら見るからにダメ人間です』 その特徴は不本意ながら的を得ていると言わざるを得ないが、それでもあんたにダメ人間とか言われたくない。ぼくはあんたほど重度で高度なダメ人間を他に知らない。 つうか、そんな特徴で分かるわけが――。 「このほうそ」玉藻ちゃんがまた揺れながら言う。「うは、あなたのことですか?」 「何で分かるんだよっ」 「見るからに」 「…………」 なんだここは? 寄って集ってぼくを精神的に抹殺するつもりか? 『ではお帰りを心よりお待ちしておりますご主人様。 何か至らない点がありましたら喜んで罰を受けさせていただきます』 その言葉を最後に放送が切れる。 ブッツリと。 ぼくの中の何か決定的なものも音を立てて切れた気がした。 さすがは春日井春日。きっちり止めも刺してきやがった。 あー、ひかりさんに会いたいなあ。あかりさんは今頃何してるだろう? あとで久しぶりにてる子さんに電話でもかけてみようかな。 …………。 哀川さん。もうダメです。助けてください。 今回の仕事はぼくには荷が重過ぎます。 「あなたも、迷子、なんですか?」 「うん、まあね」 今更張る見栄など無かった。逆さにして振ったって出てきやしない。完全なる皆無だ。 この半日でぼくが受けた仕打ちだけでも、ここが真っ当な学校じゃないと言う確たる証拠にはならないもんだろうか。 どんどん当初の決意がグラついているぼくのまえで、玉藻ちゃんはゆらりゆらりと揺れている。とりあえずナイフは下ろしてくれたみたいだ。一難は去ったと言うことか。もっともその十倍の難が圧し掛かってきてるんだけど。 「一緒、だね」 「ん?」 一緒? 何が? 「私も、迷子」 「…………」 「えへ」 笑窪を作って可愛らしく笑う玉藻ちゃん。 ――いや、可愛らしく笑われても。 …………。 ぼくと玉藻ちゃんの迷子二人が親切な生徒にそれぞれの目的地へと案内されたのは、それからすぐのことだった。 2 あんな放送があったにも関わらず、声を掛けてきてくれた(その子も何故あの放送でぼくだと特定できた)上に職員室までの道案内まで買って出てきてくれた親切な生徒にお礼を述べて、ぼくは諸悪の権化が居るであろうその扉に手をかける。 基本的に勝負や競争が嫌いなぼくだけど、決着なんていう言葉はぼくの人生においてもっとも忌避している言葉ではあるけど――それでも、やはりぼくには一度は決着をつけなければならない相手が居るようだ。 ぼくは当初の目的とはかけ離れた、新たな決意を固めてその扉を開く。 「いらっしゃい。 春日井春日先生の特別保健授業の教室へ」 「…………」 決着はついた。 出会い頭の一撃でいきなりノックダウンされた。 「健康的な身体を作るにはまずバランスの取れた食事を規則正しく食べることが大切です」 「って、本当に保健の授業なのかっ」 「当然だよ。 一体いっきーは何を期待していたんだい? ここは健やかな学び舎だと言うのにいっきーはどこまで不健全で不道徳な不能者だね」 「不能者とか言ってんじゃねえっ」 まだ無能者と言われたほうが何倍もマシだ。 あんたこそ道徳や健全と言うものが無いのか。 ――ないんだろうなあ。だって春日井さんだし。そんなものを所持し所有している春日井さんなんて、ぼくらの春日井春日じゃない。 「さっきの放送も何なんですか。 嫌がらせにも程がありますよ」 「ただ放送で呼び出しただけじゃない。 一体君はソレの何が気に入らないんだい」 「もう少し事務的な内容で呼び出せなかったのかと言ってるんだ」 「ああ言ったほうが早くいっきーが来ると思って」 確かにあの後すぐに声を掛けられたけどさ。ぼく自身はすぐにでも逃げ出したい気分だったぞ。 まあ、そんなことこの人に言ったって無意味だろう。例えぼくでなくて、誰が言ったところでこの春日井春日に対して意味を持たせることは不可能だ。意味や意義など、意思を持たない彼女には与えることも奪うことも出来やしない。 「それで結局そこまでして呼び出した理由は何なんですか」 「緊急の職員会議だって」 「緊急の?」 緊急ということは定例の会議とは違うと言うことだ。そしてそんなものが開かれると言うことは、その議題は常時とは違う内容であり、なおかつ問題として決して無視できるものではないということだ。 当然だけど――。 「一体何があったんですか?」 「さあ?」 「さあって」 そんな人を呼び出しておいて、いい加減な。 「確かにいっきーのとこを放送で呼び出したのは私だけど放送でいっきーを呼び出すように言ったのは私じゃないし」 「それはそうかもしれませんけど……、事情くらいは聞いてないんですか」 「聞いてないよ。 それをこれから話すから会議があるんだよ」 知らないのなら仕方が無い。少なくとも春日井さんが起こした厄介ごとではないようなのがせめてもの救いか。 しかし、本当に何があったんだ? 生徒が校則違反をしていたとかそういうありきたりな理由ならば、それほど問題は無いんだけど――いや、もしも普通ではない理由だとしたら部外者であり、何より探りに来ているぼくを招集する訳が無いか。 だけどなあ。この場所この面子で、何も起きないって、果たしてそんな事が有り得るんだろうか。 「ところで春日井さん。 確認のために聞いておきたいんですが、春日井さんにぼくを呼ぶように頼んだのは誰なんですか」 「春日井さんにお願いしたのは私です」 そう言うのは、またしても気配を絶って人の背後を取る子荻ちゃんだった。 もはや悪癖というよりもただの嫌がらせなんじゃないかと思えてくる。もっとも、果たしていくら変わったとは言え、あの子荻ちゃんがそんな本当に意味のない事をするのかは、未だにぼくには半信半疑ではあるけど。 それにしても、なんで進路相談室に行っていたはずの子荻ちゃんまで先に職員室に来ているんだ。しかも何が起きたか知っている風だし。 「それでは戯言遣いさん、私と来ていただけますか」 「来ていただけますかって……、職員会議は」 「参加しないで結構です。 あなたには別に用件があります」 そう言う子荻ちゃんは真剣そのもので、どうにもきな臭い。これまでの人生、理不尽な難問奇問に襲われ続けているぼくの勘に間違いはあるまい。 しかし、ただでさえ厄介な状況に更に厄介ごとが増えてどうするんだ。完全に収拾がつかなくなるぞ。ちゃんと伏線とか回収し切れるんだろうな? ぼくの苦悩などお構いなしに、子荻ちゃんはぼくの横を抜けて開けっ放しの扉をくぐる。その際にきっちりぼくの事を捕獲するのも忘れない。 「では私たち二人は抜けますが……、他の先生方には適当に誤魔化して置いてくださいね、春日井さん」 ――――え? 「うんわかったよ。 ばっちりもっちりきっちりこっちりぼっちり任しておいてよ」 気前良く請け負う春日井さん。 その頼もしい姿からは、なぜだか不安ばかりが溢れている。 ちょっと待ちたまえよ、子荻ちゃん。そんなことをこの人に頼むのは致命的なまでの下策じゃないのかい? そんなこと《策師》たる子荻ちゃんなら分かるだろうにっ――。 ぼくの心の叫びは、しかし子荻ちゃんに届く事無く、子荻ちゃんはぼくの腕を引っ張ってずんずんと廊下を進んでいく。職員室の扉は既に遥か後方だ。 「ねえ、子荻ちゃん。 何もそんな急がなくても良いんじゃないかな。 とりあえず腕を引っ張るのはやめてくれないかい? ちゃんと自分の足で動くからさ」 「残念ながらのんびりしている時間が惜しいです」 そう言いながら――とりあえず腕は話してくれたが、ぼくの前をきびきびと歩く子荻ちゃんの後姿に、遅れないようにぼくもとぼとぼと歩いて付いて行く。 なんなんだ、一体? 最初はまた子荻ちゃんの策の一端かと思ったが、どうも様子がおかしい。子荻ちゃんもどことなく不機嫌そうだ。機嫌の良い子荻ちゃんと言うのも、ぼくはお目に掛かった記憶が無いからこれが彼女のデフォルトなのかもしれないが。 どちらにせよ今のぼくには子荻ちゃんについていく以外に、選択肢は無さそうだ。 選択に決定――。 逃れられない運命、か。 「取捨選択の戯言だよ」 もうどうにでもなれと言う、非常にポジティブ(やけくそとも言う)な気持ちで歩を進める。こうしていつも取り返しのつかない事に巻き込まれると言うのに、本当に懲りていないよな。あるいは、既にそう考えている時点でもうどうしようもなく逃れられない状況だとも言える。 そうこうしているうちに、子荻ちゃんによって連れられて来たのは――。 「進路相談室?」 なんでぼくがこんなところに連れて来られるんだ? 今更子荻ちゃんに――他の人間に自分の進路を相談するようなことはないんだけど。逆に他人の進路の相談なんて持っての外だ。ぼくは他人の人生を無茶苦茶にする事に関して、その才能を発揮する人間らしい。 それも、子荻ちゃんに言われた評価だったか。 「確認をしておきたいのですが」子荻ちゃんは閉じられた扉を睨み付けて言う。「あなたが職員室に戻ったのはつい先ほどで間違いありませんね? それまではどこで何を?」 「恥ずかしながら道に迷っちゃってね。 偶然再会した玉藻ちゃんと話し込んでいたら放送で呼び出されて、職員室にどうにか戻ってこれたんだよ。 参ったね、玉藻ちゃんは完全にぼくの事忘れてるんだから」 「玉藻の事ですからね、当然でしょう。 むしろ憶えていたほうが驚きです。 しかし、そうですか。 まあ直前までわたしと食事もしていたわけですし、あなたの仕業ではないことは分かりきっていますが、念のための確認です。 あなた相手にはどんな理不尽も考慮しておく必要がありますから」 理不尽な目に遭っているのはぼくであって、決してぼくが理不尽を起こしている訳ではないと言うのが、ぼくの主張なのだが、それを言ったところで子荻ちゃんはまともに取り合ってはくれないだろう。 それよりも子荻ちゃんの言葉で注目すべきはやはり、 「そういう情報をぼくに教えていいのかな?」 「 そう言って、子荻ちゃんは現場の扉を開け放つ。 机の上とは言わず床にまで撒き散らかされたプリントの束。ひっくり返った机。根こそぎ中身が抜け落ちた本棚にそこから落ちたであろう本の山。いくつもの書類が閉じられているファイルがその中身を晒し零している。 なんとも解りやすい――きっとこの部屋が声を発することが出来れば高らかに自己主張しているであろう位に見事な荒らされ方だった。 「どうやら、4年前の決着は敵対関係だけでなく、共同戦線のほうもしなければならないようですね」 そんな子荻ちゃんの冗談とも本気とも付かない言葉を聞きながら――、ぼくはようやくにしてこの《澄百合学園》における事件の始まりが起きたことを知った。 |