君の知らない物語

 本日、七月七日。七夕の日。
 恐らく日本において一年を通してこれほどまでに晴れを望まれている日は無いだろうし、夜空を意識する人が多い日もないだろう。
 いや、流星群がある日の方が多いのだろうか? ただそちらは常に決まった日にちではない。決められた日にちで言えばやはり七月七日が一番だろう。いい勝負をするとしたら、初日の出のある一月一日か。時間帯的には朝と夜とで真逆なわけだが。
 しかしまあ僕にとっては、いや僕らにとってはか、この七月七日という日はまた別の意味を持って特別な日だ。恐らく今後もその特別さは変わらないだろう。神原などは死んでも変わらないだろう。
 戦場ヶ原ひたぎ。
 僕が初めて真剣に好きになった相手。
 今日は彼女の誕生日だ。
「戦場ヶ原、今日の夜、予定空いてるか?」
「そうね、そろそろ阿良々木くんのその冴えない誘い方には飽いたかもね」
「そう何度も誘った憶えはねえよ!」
 放課後、僕は戦場ヶ原さっさと帰宅してしまう前に声を掛ける事には成功したが、斬り返しされた返事は相変わらず尖がっていた。
 冴えないのは否定しないけどさ。結構気にしてるんだよ、今まで恋愛に縁がまるで無かった僕にはこういった場合にどういう風に振舞えば良いのかがイマイチ分からない。友達の延長なんて言葉もあるが、生憎と僕には友達ですら高校の二年間全くいなかったのであまり参考にもならない。
 うーん、そうなると相手が誰であろうと年下の女の子を十秒以内に口説けるという神原が少し羨ましい。あいつに今度ご指南願おうかとも何度か思ったが、そのたびに僕の鍛えられた危機察知本能がけたたましい警告音を上げるので断念している。
「それで? 夜予定が空いてれば何なのかしら? 私が夜何もすることの無い暇を持て余した寂しい女だと知ることが、女性の生活習慣を知ることに興奮を覚える阿良々木くんにとって利益になるのはわかるけれど、そうることによって私に一体何のメリットがあるというのかしら?」
「頼むからこれ以上、僕に変な属性を捏造して付けるのはやめてくれ!」
 僕はいたってノーマルだ。
 そのことは不本意ながら、僕が買っているエロ本の内容をチェック済みの神原が証明してくれるはずだ。
「ふーん、それじゃあ阿良々木くんは私の生活内容を聞いても興奮しないと言う訳ね?」
「するか!」
「その内容がどんなものでも?」
「え?」
 どんな内容でもって、どんな内容の事だ。
 僕がうろたえたのを見逃さず、戦場ヶ原はすっとその感情が読み取りにくい顔を近づけてきた。
「私が、夜、一人で、何を、しているのか、聞いても本当に興奮しないのかしら?」
 間近に寄せられた口から発せられた無機質な声が僕の心を揺さぶっていく。
 くそぉ、なんて薄いんだ、僕。
「ねえ、阿良々木くん? 絶対にそんなことは無いと誓えるのかしら?」
「ち、ちなみに何をしているんでしょうか?」
 迂闊にも僕は気がついたらそんな事を聞いていた。
 その途端、近くに寄っていた戦場ヶ原の顔は遠ざかり、侮蔑しきった視線を寄越してきた。
「変態」
「ぐあっ」
 文字にしてたった二文字、音にしても四音程度の言葉が容赦なく僕の心を抉る。
 本当に悪口を使うタイミングを心得てやがる。
「あらあら、ちょっとイジメ過ぎちゃったかしら」
「そう思うなら、次からはもっと手加減してくれよ」
「阿良々木くんには私の全てを受け止めて欲しいのよ」
「限度ってモンがあるだろ!?」
 僕の心は既にズタボロだ。
 我ながらよくぞ今でも壊れずにいるなと思う。
「で、改めて聞くけど、今夜予定は空いてるのか?」
「ええ。 阿良々木くん同様友達がいないからね」
 何故、そこで僕を引き合いに出す。
 本当に僕を虐めるためなら自分が傷つく事も厭わないな。
「いや、それならさ。 今夜星を見に行かないか?」
「ふーん」
 僕の提案に対して、戦場ヶ原の反応は薄かった。
 まあ戦場ヶ原がそんな大きなリアクションを取るとも思っていなかったけど、何も思っていないということはないと思うんだけどな。
 星を見に行くというのは、どうしたってあの日のことを連想する。
 僕らにとって特別な日になったあの日を。
 だから今日という特別な日に、今度は僕のほうから声を掛けたわけだが。
「別に構わないけど、夜中に連れ出して変な事をしようと考えてるなら剥がすわよ」
 何をだよ。
 いちいち物言いがバイオレンスな女だ。
「しねえよ、そんなこと。 第一今回は僕ら二人だけじゃない」
「あら、そうなの?」
 そうなのだ。今回は前回と違って二人っきりというわけではない。
 前回も途中までは戦場ヶ原の親父さんも居たけど。親父さんと話せたのは良かった今なら思えるけど、あの時は本当に何の拷問かと思った。
 とにかく、今回は事が事なだけに他にも人を呼んでいるのだ。
「そうなんだ、私も一緒に行かせて貰うね」
 そう言って、タイミング良く、参加者の一人、羽川翼が声を掛けてきた。いやきっと近くで話の流れを聞きながら、見計らっていたのだろう。羽川に関しては偶然という言葉は縁遠い気がする。
 それは、本人曰く「いめちぇん」によりトレードマークの一つだった三つ編みをバッサリと切り、骨格の一部とまで言われた眼鏡を外してコンタクトを入れた今でも変わりない。
「ごめんね、お邪魔かもしれないけど」
「いえ、羽川さ――――んが邪魔なんて事はありませ――ないわ」
 何故。
 何故に言葉途切れ途切れ何だ。
 わざわざ最後の言葉遣いを言い直したことといい、敬称の「さん」の間が異様に開いてたのは一体どういう意味だ。まるで「さ」の後に別の言葉を発しそうになったのを無理矢理押さえ込んだような感じは。
 そういえば、羽川がさっき声を掛けてきたときもピクリというよりもビクリといった感じだったけど、気のせいだろうか。
 僕が二人の間にある言い知れぬ雰囲気に頭を悩ませているとまるでソレを断ち切るかのように、やはりそんなものはただの気のせいだと言わんばかりに、いつもの鉄面皮を僕へと向けなおす。
「ふーん、なるほどね。 そういうこと」
 まあ、やっぱり分かるよなあ。
 サプライズとして黙って行きたいところだが、これだけ判断材料が揃えば誰だって気付く。
「良いわ、分かりました。 それで夜までどうしてれば良いのかしら?」
「あ、ああ。 まあ夜になったら家まで迎えに行くからそれまで適当に時間を潰しててくれよ」
「それじゃあ、それまで女の子同士でお喋りでもして待ってようか」
「え、ええ、そうですね」
 だから、何故どもって敬語。
 何でそんな助けを求めるような目で僕を見るんだ。
「それじゃあ、阿良々木くん。 また後でね」
「あ、ああ」
 僕が二人の関係に頭を悩ませていると、羽川が戦場ヶ原をつれて先に教室から去っていった。
 うーん、あの二人の関係も何だか微妙な感じだよなあ。その原因に少なからず僕が関わっているのもあるから変な事にならないか心配だ。まあ、とは言ってもあの二人だ。よっぽどの事なんてそうそう起きないだろう。
 ごめんな、戦場ヶ原。お前が僕の好きな所として「私が困っているときにいつでも助けに来てくれる王子様みたいなところ」と言ってくれたのに、僕はお前を助ける事は出来なかったよ。
 心の中で謝罪を済まして、僕もまた教室を出て行くことにした。





 学校を後にして目的地へと向かう前に家に帰る途中、僕は自転車を止めて携帯で時間を確認した。
 思ったよりも教室でのんびりしてしまったかも知れない。放課後に集合とは言ったものも、あいつの機動力を考えれば既に到着して待ち惚けしてるかも。あー、でも待ち惚けって言葉は合わないな。待機って言葉のほうがしっくりくる。きっと忠犬よろしくどこかで時間を潰してるって事もなく、律儀に待ってるんだろうなあ。
 んー、どうしようか。急がなきゃいけないとも思うが、折角携帯を取り出したんだし、一応連絡してみようかな。今は家にいるか分からないけど、念のためだ。
 僕は最近増えてきた携帯のメモリの中から目当ての電話番号を見つけて掛け始める。
 呼び出し音がしばらく続くが出る気配がない。
 うーん、留守か。それじゃあ仕方ないな、と切ろうとした思い始めたところでガチャリ、と呼び出し音が停止する。
「は、はい、千石です!」
「ああ、千石か? 僕だ、月火の――」
「暦お兄ちゃん、だよね」
「あ、ああ、良く分かったな」
 千石にしては珍しくこちらの言葉を遮る形で電話の相手を僕だと言い当ててきた。
 それにしても大分慌てだけど、大丈夫なのか?
「千石、今ちょっと時間良いか?」
「う、うん! 全然大丈夫だよ! いくらだって良いよ!」
「いや、そこまで時間を取らせるつもりはないんだけどな」
 ああ、でもいくらでも良いんなら大丈夫なのかな?
「千石、今夜何か予定あるか?」
「え? 今夜? え? ええ? 夜!? ええええええ!?」
 突如上げられた悲鳴が僕の耳を直撃する。
 そうか、知らなかった。千石ってこんなに大きな声も出せるのか。
「よ、夜って、ダメだよ、暦お兄ちゃん! ううん、撫子としては別に良いというか、全然OKなんだけど! で、でもやっぱりまだ撫子は中学生だし! ああ、でも暦お兄ちゃんがどうしてもって言うなら!」
「千石、頼むから落ち着いてくれ」
 妹の友人である千石撫子。最近不幸な事件が切っ掛けで再び親交が生まれた相手だけど、未だに掴めない所がある。うーん、女の子だし、年下だし、それに物静かなタイプってあんまり僕の周りにいないからなあ。未だに接し方が掴めない所がある。
 でも、そうだよな。中学生の女の子を夜に連れ出すのはさすがに気が引ける。うちの妹どもは夜中でも関係なく飛び回ってるが、あの馬鹿どもと千石を一緒にするのがそもそも間違いだ。蛇の一件で外泊させることになったがあれは例外中の例外と捉えるべきだろう。
「ご、ごめんなさい、取り乱しちゃって」
「いや、僕のほうこそ悪かったよ。 いや実は今日、その、あー、友達の誕生日でさ。 ちょっとした誕生日会をやる予定なんだけど、良かったら千石もどうかなって思ったんだが、中学生に夜に外出を進めるのは無神経だったな」
 むぅ、さすがにまだそこまで親しい間柄になっていない千石に、『彼女』なんていうのはちょっと恥ずかしいな。思わず咄嗟に『友達』なんて言ってしまったが、まあ広い範囲では間違いではないだろう。何せ延長線上、だ。
 しかし、そんな程度の間柄の千石を夜に誘うってのは本当に常識知らずだな。僕もあまり妹たちのことを言えないかも知れない。できれば、戦場ヶ原と千石をお互い紹介したかったんだけどな。
「あ、そうなんだ……」
 なんだか、先程とは打って変わって意気消沈したような声音が受話器越しに重たく響いてくる。なんだろう、落ち着きすぎてマイナス方面に行ってしまったのだろうか。でも、元々あんまり口数の多いほうじゃなかった気もするから、これが普通なのかも知れないな。
「うーん、やっぱり撫子はやめておくよ。 そう頻繁に夜出歩くわけに行かないし、それに撫子人見知りするから……」
「あー、そうかあ。 じゃあまたの機会に紹介させてもらうよ」
 でも冷静に考えたら、子供嫌いを公言して憚らない戦場ヶ原に千石を紹介して良いものだろうか。中学生は子供というほどに子供じゃないから大丈夫だと思いたいけど。
「今日は悪かったな。 今度どこかで埋め合わせさせてもらうよ」
「ほんと!?」
 今度はまたしてもテンションが上がったなあ。
「あ、ああ、まあ僕に出来る範囲の事だけどな」
「そ、そそそそそ、それじゃあ、今度撫子の家に遊びに来てくれる?」
 ああ、なんか安受け合いしたなか、とも思ったが良かった。
 先程の言葉を撤回する形になるかも知れないが、やっぱりまだ子供だよなあ。こんなお願いをするあたり。
 …………。
 でも、何故だろう? 精度が高いはずの危機察知本能がさっきから鳴り止まないぞ。 うーん、別に危機感を覚えるような必然性がある状況じゃないのに、たまには誤作動もするのだろうか。これは思ったよりも当てにしないほうが良いかもしれないな。
「ああ、そんなもんで良かれば、今度都合が良いときにでも電話させてもらうよ」
「本当!? 絶対だよ! 約束だからね、撫子待ってるから!」
 何度も念を押す千石に、しっかりと約束をして電話を切る。
 やれやれ、あんなに念を押さなくても良いのに。結構几帳面な性格なのだろうか。微笑ましいといえるし、それなりに未だに慕われていると思えば嬉しい気もする。そうだな、今度時間を作って遊びに行くか。そのときは勿論小さいほうの妹も連れて行かないとな。そのほうが千石も喜ぶだろう。
「っと、ちょっと長話しすぎたか」
 僕は自転車を漕ぐのを再開した。
 一瞬、全身を蛇に巻き付かれたような悪寒が走ったが気のせいだろう。





 家に帰ると、早速着替えて必要な物を持って直ぐ家を出る。
 危うく妹たちに捕まるところだったが、そこは上手く誤魔化して逃げてきた。ここ最近、八九寺とのやり取りのお陰で妹たちをあしらう術が磨かれてきたなあ、なんて思いながら重くなった自転車をフラフラと漕いでると、前方に見慣れた巨大なリュックサックがピコピコと動いていた。
「八九寺じゃん」
 まさか、ちょうど思い出してるときに出てくるとは思わなかった。噂をすれば影が差すなんて言うけど、思うだけでも現れるものなのだろうか。ちょっぴりこの偶然の連帯感が嬉しい。
 うーん、でもなあ。今はちょっと急いでるわけだし、残念ながら八九寺とあまり遊んでいる時間はないんだよなあ。
 ああ、でも一応念のために八九寺も誘ってみるか。小学生なら中学生よりも夜中に外出するのは問題があるが、まあ八九寺ならば大丈夫だろう。ついでにこの連帯感と喜びをほんの少し共感し遭おう。喜びは分かち合うものだということを身をもって体現しようというんだから、僕も結構良い奴だな。
 そう決めて、僕は自転車から降りると――八九寺目掛けて突進した。
「八九寺いいいぃぃぃいいい!!」
「きゃあああああああ!!」
 奇襲成功。
 もはやがっしり掴んで逃げ道はない。
「丁度お前のことを考えてた目の前を歩いてるなんて凄い偶然だよな!」
「きゅあ!」
「ああもう、これって運命じゃないか? しかもこの七月七日っていう日に出会えたのはもう僕と八九寺が運命の赤い糸で結ばれてるとしか言いようがないよな! もうこの肌がピッタリと吸い付く感じなんて相性ピッタリだ!」
「きゃあ! きゃあ! ぎゃあ!」
「本当に触り心地が良いなあ! もっともっと一杯触ってやるぞ! さあ、次は何処を触ろうかな!」
「ぎゃあああああああああ!」
 思いっきり悲鳴を上げる八九寺。
「がう!」
 そしてお約束どおり思いっきり噛み付いてきた。
「いてえ! 何すんだこいつ!」
 我ながら反省の色のないセリフを吐く僕だった。
「がう! がう! がう!」
「うわ! 待てって、落ち着け!」
「オオォォンン!」
 どこぞの巨大人造人間みたいな咆哮を上げる八九寺。
 っていうか、全然落ちつかねえ。
 むぅ、さすがにこのままだと本当に喰いちぎられかねない。何かしらの対策を講じなければ。だけど、こうも怒り狂った八九寺を見るのは僕としても初めてだ。そうそう簡単な手段では怒りを治めることはできないだろう。
「八九寺、今度遊園地に連れて行ってあげようか?」
「行きます!」
 実に簡単だった。
 まあここら辺はいつものやりとり。
 お互いの親睦を深めるための軽いスキンシップだ。
「いえ、阿良々木さん。 最近の阿良々木さんの行いは明らかにスキンシップという範疇を超えていると思います。 いい加減私も本気で対応策を考えないと身の危険を感じます」
「人聞きの悪いこというな。 僕だってちゃんと節度は守ってるさ」
「いえ、小学五年生の女の子にいきなり後ろから抱きつく高校三年生男子って言う時点で節度の限度は超えていると思いますが」
 むぅ、馬鹿な。いつから世界はそんなに世知辛くなったんだ。
 いつまでもそんな狭い了見だからこの国の経済は一向に良くならないんだと僕は警鐘を鳴らしたい。
「その前に警察に捕まると思いますけどね。 次回作のタイトルは捕物語ですか」
 次回作ってなんだ。
 八九寺の次元をぶっ飛んだ言葉には突っ込まずに流す方向に僕は決めた。
 んー、僕としてはもう少し八九寺と遊びたい所だけど、これ以上遅くなるのも考え物だよなあ。んーんー、中学生ですら気が引けるのに小学生を誘うってのもどうかとも思うが――そうだなあ、一応声だけ掛けておこうか。
「なあ、八九寺。 今夜暇か?」
「残念ながら私には暇な時間と言うのは存在しません」
「嘘付け。 何で小学生がそんなに忙しいんだよ」
「阿良々木さん。 子供だからと言って暇を持て余しているなんていうのは自分を大人だと思い込んでいる人達の傲慢な考えですよ。 子供には子供でやるべきことがあるのです。 睡眠一つとったところで健やかに育つという子供が背負う責任を果たしているのですよ。 それを見て暇だと思うのはこれからを持つ子供を育てていくという大人の責任を放棄した者の台詞です」
「おお、言うじゃないか、八九寺。 そうだな、今の発言は僕のほうが悪かったよ」
「いえいえ、分かってくれれば良いのですよ。 反省して改める事で人は大人になっていくのです。 私も子供ですが、しかし人の反省を受け入れられないほどに子供ではありません」
 そう言って胸を反らす八九寺の姿は何だかいつもより大きく見えた。
 背中にあんな大きなリュックを背負っていながらそんな姿勢になっても後ろに倒れない絶妙なバランス感覚も驚嘆に値する。
「ところで八九寺、お前の今夜の予定は何だ?」
「迷子です」
 そんなものは予定というはさすがに言わないだろ。
 これからの行動や状況を予定というのならば予定というのかも知れないが、予定として行う事じゃないだろ。
 んー、でもそれなら誘っても大丈夫なのかな?
「ところで阿良々木さん。 わざわざそう聞くからには阿良々木さんには今夜何かご予定があるのですか?」
 迷う僕の心中を見抜いたのか自分のほうから話を振ってきてくれた。
 こういう気遣いは本当に子供離れしていると思う。
 それとも子供ゆえの勘の鋭さなのだろうか。
 子供の気遣いにそのまま甘んじてしまうというのも尺ではあるが、だからと言って折角の取り計らいを無下にしてしまうのはそれこそ大人気ないことだろうと、僕は思い切って用件を口にした。
「いや、実はさ、今日は戦場ヶ原の誕生日なんだよ。 それで折角だからみんなで祝おうってことになってさ。 僕は今からその準備をしに行く所なんだよ」
「ほう、それはまた阿良々木さんにしては洒落た事をしますね。 さてはあなた阿良々木さんではありませんね? 一体何者ですか」
「一体お前の中では阿良々木暦はどういう人間なんだよ」
 小学生にまで無粋と思われるほどに野暮な人間か、僕は。
 まあそうかもしれない。何せ最近までは友達も居なかったわけだし。
「さてはあなた、薔薇々木さんですね」
「その名前からイメージは洒落てるんじゃなくて嫌味な感じしかしないぞ」
 あるいは、神原が好きそうな属性だ。
 どちらにせよ嫌過ぎる。
「失礼、噛みました」
「いや、今のは絶対噛んでないだろ。 確信を持って言い切ったじゃねえか」
「失礼、勘でした」
「お前の勘は一度たりとも当たったことがないな!」
 神原のときも物凄い方向にずれてたし。
「しかしパーティーということは二人っきりという訳ではないのですよね。 他にも誰かいるわけですか」
「まあな」
「とは言え、阿良々木さんはもちろんのこと戦場ヶ原さんも友達が多いというタイプには思えませんし、参加する方々は大体想像が付きますけどね」
「……ご明察だ」
 もちろんのこととか言うな。
 人に言われると結構へこむものがある。
「まあ不本意ながら私もそれほど友人が多いタイプとは言えませんけどね。 というか、阿良々木さんと羽川さんくらいなものですよ」
 ですから、お二人には感謝しているのですよ。なんて、言って笑う。
 その笑顔は子供らしからぬ笑顔だった。
 八九寺の抱えている事情はもはやどうしようもない領域の物だ。いかに怪異を払おうと、あるいはいかに怪異に頼ろうともこれだけは決して覆す事のできないもの。ましてや僕のような吸血鬼の成り損ないの人間モドキに出来る事などたかが知れている。
 でも、だからって何もしないということはやはり出来ない。出来る事が知れているのならばそれをやるだけだ。
「ですから、私もお返しと言う言い方は失礼かも知れませんが、阿良々木さんの友達の振りくらいはさせていただいてます」
「言い方じゃなくて言ってる事が失礼だ!」
 なんて酷いことを言うんだ!
 僕の心は深い傷を負ったぞ!
 流す涙で溺れてしまいそうだ!
「それで仮友の阿良々木さん」
「仮友!? なんだその斬新で残念すぎる単語は!?」
 言論の自由が許されるこの国でも決して認可されない言葉だ。
 戦場ヶ原なら嬉々として僕に対して使いそうな言葉ではあるけど。
「その参加する方々と言うのは羽川さんと神原さんでよろしいんですよね?」
「他に友達がいないからな」
 ちょっと自棄気味に言ってみる。
 八九寺という親友に裏切られた心の傷は深く、そう簡単には治癒しそうにない。
「ずっと怪異の事情を抱えて人を遠ざけていた戦場ヶ原さんと同じくらい友達がいないとは、阿良々木さんの友達のいなさは驚異的ですね。 それ自体が既に怪異ではないのですか」
「気にしている事をズバズバ言うな!」
 拗ねて見せてもフォロー一つ入れてくれない八九寺だった。
 っていうか、傷口に塩を塗りこんできやがった。
「いえいえ、塩なんて私はとても塗りこめませんよ。 そんなものを持ったら溶けてしまいますし」
「それはナメクジだろ」
「蝸牛は溶けないのでしょうか?」
「え? いや、どうだろう?」
 改めて聞かれると困る。
 僕にはナメクジとカタツムリの違いなんて殻を背負ってるか否かくらいしか分からない。でも、もしそうならカタツムリも塩を掛けると溶けるのだろうか。
 あ、いや、正確にはあれは溶けているのではなく水分を塩に取られて縮んでいるんだっけか?
 生憎と、僕は理科も苦手なのだ。
「ところで、わざわざ誕生日パーティのある夜の予定を聞くということは、そのパーティーに私もお呼ばれということでしょうか?」
「あ、ああ。 折角なんだから人数は多いほうが良いと思って」
 今のところ参加者は主賓である戦場ヶ原、それに僕と羽川、神原の四人だ。
 たった四人でパーティーというのも寂しい話だが、神原と羽川はともかく僕と戦場ヶ原は八九寺の言うとおり、友達が少ないのでどうしようもない。呼べる人間はどうしたって限られてしまうわけだ。
 それに――。
「折角のご招待ですが、今回は遠慮させていただきます」
 断られてしまった。
 仮友だから、ではないだろう。
「なんだよ、別に用事が――」
 迷子をしてるなんてそんなの――。
「あるわけじゃないんだろ?」
「例え用事が無くても、夜に小学生が外をうろうろしているのはあまり褒められたことではないでしょう」
 常識的な見解で窘められてしまった。
 だけど、夜中に迷子をしているほうがよっぽど――。
「ご心配なく、阿良々木さん」
 僕の薄っぺらい底など見通して八九寺はそう言った。
「お心遣いは嬉しいのですが私の迷子は好き好んでやっているわけですから。 他にやることがないとは言いませんが、やることがある以上は私は迷子をし続けるつもりです」
 聞き分けの無い僕に八九寺は言い聞かせる。
「言うなればパッチワークです」
「手遊びに迷子をしてるのかよ」
 器用なんだか不器用なんだが訳が分からない。
 ちなみに正解はライフワークなのだろう。
 うーん、こうなるとあまり強くは誘えないよなあ。
 これ以上はさすがに押し売りにしかならないだろう。
「分かったよ、八九寺。 今回の所は残念だけど諦めよう。 悪いな、無理に誘うようなことして」
「いえいえ、先程も言いましたがお心遣いは大変嬉しく思いますよ。 ですから、今度埋め合わせに遊園地に一緒に行ってさしあげますよ」
「それは埋め合わせてんじゃなくて都合を積み上げてるんだろうが」
 まあ嫌じゃないけど。
 それに事前に約束もしているわけだしな。
「それに何より、私は戦場ヶ原さんに嫌われていますからね」
 そういえば、そうだった。戦場ヶ原は子供が嫌いなんだっけ。
 だけど、あの時は状況が特殊だったせいもあるからなあ。子供嫌いというのも本当なのだろうが、あそこまでの拒絶反応を普段から示しているとは思えない。日常生活にだって支障が出てくるレベルだったからなあ。
「主役である戦場ヶ原さんに不愉快な思いをさせてしまっては悪いでしょう」
「戦場ヶ原だってお前個人を嫌ってるわけじゃないんだし、八九寺がそこまで気を使うことじゃないだろ」
「ええ、その通りです」
 意外な事に八九寺は僕の反論に対してあっさりと肯定した。
 拍子抜けする僕に、しかし八九寺は窘める言葉を続けた。
「これは阿良々木さんがしなくてはならないはずの気遣いですよ」
 それは今度こそ反論を許さない強さを言葉だった。
「阿良々木さん。 阿良々木さんが私のことを気にしていただいているのは大変嬉しいのですが、今回阿良々木さんが一番に考えなければならないのは戦場ヶ原さんが幸せに思えるような誕生日にすることです。 戦場ヶ原さんに我慢を強いるようなことをしてしまっては意味がないのではありませんか」
 む。そういえば以前も同じような事を言われたことがあったな。
 あれは確か神原に言われたんだっけか。誰かを選ばなければならなくなったら迷わずに戦場ヶ原を選んで欲しいと。助けるべき相手を間違えないでくれと。
 あのときから僕は結局何も学んでいないという事か。
「いや、だけどさ。 今回は別にそういったことじゃないだろ。 今回はただみんなで楽しく祝おうって言う、そういう趣旨の」
「実に阿良々木さんらしいとは思いますが、肝心なのは戦場ヶ原さんがどう思うかでしょ。 こう言っては何ですが、私が行く事で戦場ヶ原さんが喜ぶとは思いませんよ。 下手をすれば私など眼中にないかもしれませんしね」
 眼中にない、か。
 言い方はあれだが八九寺の抱えている事情を考慮すればありえるかも知れない。
「それになによりですね、少数人数での会話が基本のこの物語で五人のキャラクターが同時出演というのは大きな問題ではないかと思うのですよ」
 また、次元のぶっ飛んだ話をしだした。
「アニメ化の際にもそこら辺はちゃんと考慮されていましたからね。 むしろ考慮されていて主要人物以外がまともに出演していませんからね。 まるで私たちの街はゴーストタウンのような有様です。 あれでは『実はこの世界は精神に異常を来たした少年少女たちが見た幻影の箱庭なのでは?』なんていう推測を立てられても不思議ではありませんでしたからね」
「でしたからね。 と言われてもな」
 僕に次元を超越する能力は備わってないのだ。
 しかしまあ、あくまでそう仮定するとするならば、さしずめ忍野の奴はそこの管理人って事か。怪異と人間のバランスを保つ調停者としての立場を取っている忍野には相応しいような気もするが、あの住所不定の浮浪中年には管理人と言う言葉は程遠い気もする。
 いや、だからそういう問題じゃないんだって。
「それにしても改めて考えてみると凄い面子ですよね」
「まあな」
 学年トップの頭脳を持つ委員長に学校の元バスケット部エースのスター、病弱な深窓の令嬢(偽)、その中にある異物たる落ちこぼれの僕。
 並べて冷静に見てみれば異様な面子だよなあ。ホント周りから見たら何の集まりだと思うのだろうか。まったく、何でもかんでもキャラを立たせれば良いってもんじゃないだろうに。
「阿良々木ハーレムの恐ろしい点はキャラ被りが無いことですね」
「だからそんな悪趣味なモンを組織した憶えはねえよ」
 僕に軟派なキャライメージを押し付けるのはやめてくれ。僕はそんな奴じゃないんだ。
 っていうか、僕の周りにいる人物は一人でも大変だって言うのにあんな連中と同じ個性を持った奴が二人、三人と居てたまるものか。確実に僕は精神的に殺される。
「まあ私が凄い面子と言ったのは、その事ではなく皆さんの人間関係です」
「人間関係?」
 お財布的に痛い四冊同時発刊です、なんて聞いても居ないのに訳の分からないことを言い出した。
 阿良々木暦の人間関係。
 自分で言うのもなんだけど凄く薄っぺらそうだ。
 しかし、別におかしな人間関係でもないと思うんだが。
 羽川は僕と戦場ヶ原の友達だし。
 神原は僕と戦場ヶ原の後輩だ。
 僕と戦場ヶ原は……その、まあ……恋人、なわけだし。
「別段おかしくもないだろ」
「神原さんは戦場ヶ原さんのことがお好きなんですよね?」
「む」
「そして羽川さんが奇特なことにと言うか、むしろいっそ危篤なことに、お気の毒にも阿良々木さんのことがお好きなんですよね」
「なぜそんな奇矯な言い方をする!?」
 僕は僕が気の毒だった。
 いや、まあ僕にそんな抗議を言う権利はないのかもしれないけど。
 まあそれでも彼女たちを気の毒と言う気にはならない。言ってはならないだろう。
 それは彼女たちの想いへの冒涜であり、何よりも僕の戦場ヶ原への想いの裏切りだ。
「安心しましたよ。 ここで筋違いの同情をなさるようでしたら月に代わって押し潰すところでした」
「そんな事になったら僕だけじゃなくて地球が終わるよ!?」
 しかもそれだとお前は一体どれだけの質量を持っているのだ。
「阿良々木さん、阿良々木さんは随分と軽んじておられるようですね」
「うん、まあさすがに月よりは軽いと思うぞ」
 質量的な意味で。
「良いですか、阿良々木さん。 人の命とは地球以上の重みがあるのですよ。 そして地球は月よりも思いのです。 すなわち人は月よりも重いのですよ!」
「価値としての重さと重量としての重さをごっちゃにするな!」
「ですから私の存在価値に賭けて、阿良々木さんを押しつぶします」
「何でお前がそこまでするの!?」
 お前は僕に対してどれだけの責任を負ってるんだよ。
「いえいえ先程も言ったように阿良々木さん達には大変に恩を感じていますので、阿良々木さんが間違った道に進むのを止められるのならば私も本望です」
「いや、そこまでのことはしてねえよ!?」
 勘違いから来る過大な評価と言うのは本当に居心地が悪い。ましてやそれで犠牲まで出されたらこちらのほうが生きた心地がしない。
「はあ、これはいつも阿良々木さんが羽川さんに対してしている姿勢なんですけどね」
「む」
「居心地が悪いと思ったのならば、少しは改めてください。 羽川さんに恩返しをしたいというのならばまずはそこから始めるべきだと思いますよ」
「むぅ」
 それはまあ、羽川自身にもそれとなくだがしかしはっきりと言われている事ではあるが、八九寺にこう言われるとまた重みというか響きが違ってくる。
 思えば八九寺には窘められることが多いような気がする。やはりそれは羽川のそれとは違うが、しかし的確に僕の至らない所を指摘し注意を促されている。しかも結構手痛い実感を与えつつだ。
「本当に奇妙な取り合わせですよね。 怪異なんかよりもよっぽど奇怪な人間関係です。 いつぞやの話ではありませんが、傍から見れば阿良々木さんの本命は羽川さんに見えますよ」
「羽川は大恩ある恩人なんだよ。 今さっき釘を刺されたばかりだけど、羽川のためなら僕が出来る事ならばなんでもするつもりだ。 でもそれは羽川が恩人であり、何より友達だからだよ。 前に言った事を撤回する事になるけど、以前ならやっぱりそういう気持ちもあったのかもしれないが、今はそういう想いはないよ」
 僕が羽川に対して抱いている感情、偽りなく今の言葉の通りだ。何一つ恥じ入る事のない、むしろ誇るべき想いだと思っている。 彼女が友達として居てくれたからこそ僕は今も辛うじて人間として生きているのだ。
「だけどまあ、さっきの忠告はありがたく受け取っておくよ。 そこら辺羽川にも釘を刺されたからな」
 釘を刺すというほどに力強い物言いではなかったけど、それでも僕の心にしっかりと刻まれている。散々に羽川に対して迷惑をかけてきた僕に対して羽川がした、恐らく唯一の感情の発露だ。忘れられるわけもないし、無下に出来るわけもない。
「まあ、理解しているならばそれで良いでしょう。 実践できればなお良いですけどね」
「なんでお前はそんなに僕に対して指導者的立場なんだよ」
 お前は僕の何なんだ。
「ですから仮友です」
「そんな奴にとやかく言われたくねえ!」
 ひっぱるなあ、そのネタ。
 結構その言葉は僕に対してクリティカルヒットしてるんだけどな。
「そんなことが言えてしまうくらいに仲が良いと思えば良いではないですか」
「まあ、そうなんだろうけどさ」
 ん? あれ?
 その言い方だと僕が一方的にそう思ってるように聞こえるぞ。
「阿良々木さん、そろそろ良いお時間なのでは?」
「ん、ああ、そうだな。 神原と待ち合わせしてんだった」
 あの後輩の事だから絶対に先に付いて待ってそうだからなあ。あんまり遅れていくのも悪い。
 出来れば、神原の前では少しくらい良い先輩でありたいと思うのだ。
「じゃあな、八九寺。 また遊ぼうぜ」
「ええ、遊園地の約束忘れないでくださいよ」
 やれやれ、約束がまた一つ増えてしまった。この分だといずれ借りで首が回らなくなりそうだな。
 僕はそんな不安を覚えながら八九寺と分かれて、神原との待ち合わせ場所へと向かった。



 僕は残念ながら戦場ヶ原のように星を見るための絶好のスポットを知っているわけではない。かと言って、戦場ヶ原といった場所は脚が必要になるし、何よりあそこに大勢で行く事を戦場ヶ原もあまり好ましくは思わないだろう。
 いや、これに関しては完全に僕の我侭だ。
 あの場所の事を、戦場ヶ原との二人の思い出として持っておきたいという僕の独占欲だ。
 そんな僕の我侭と場所の遠さという現実的な問題から他の候補地を求めたのが、これが難航した。何せ探せるのは夜くらいだったし、どうしても無意識にあの場所と比較してしまう。想い入れの補正もあり、そんなものと比較してしまえばどこの地点だって合格点が出ないのは当たり前だった。
 それでも折角の誕生日だ。それも恋人になって、それ以前にお互いに知り合いになってから初めてのだ。出来れば想い出に残るものにしたい。そう思うとどうしても高望みして、あの場所と比べてしまうのだ。
 結局、散々にあちこちを探し回った結果は……探し当てたのとも違う。辿り着いたのとも違う。言うなれば回帰だ。幸せの青い鳥というよりも灯台下暗し。彦星が天の河の向こうばかりを見ていたら足元に抜け道があったみたいな間抜けさだ。
「いやいや、そう卑下するものではないぞ、阿良々木先輩。 ここで戦場ヶ原先輩と阿良々木先輩の関係がきちんと始まった場所なのだ。 誕生日を祝うのには中々相応しい場所なのではないか。 いや、さすがは阿良々木先輩だ。 デートスポットの選択一つとってもいちいち私に敬服の念を持たせるなどと、まったくお恨み申し上げるぞ」
「今回は別にデートじゃねえけどな」
 当然のように僕よりも早くに待ち合わせ場所に着いて、長い事待っていただろうにニコニコ笑顔で僕に対する賛辞を一切翳らす様子のない神原後輩だった。
 八九寺との会話を除いたところでこの後輩に速さで勝てるわけが無かった。
 場所は私塾跡の廃墟。
 かつて忍野メメという名の浮浪者が住み着いていた場所である。
 確かに神原の言うように、ここが僕と戦場ヶ原の関係が始まった場所と言えなくも無いのかも知れない。三年間クラスは同じだったけど、結局はお互いを認識する事はなかったわけだし、切っ掛けは学校の階段だけどあの時はまだ敵として認識されただけだった。
 ここで初めて僕たちは友達になったんだ。
 そして今では恋人に。
 ちなみにその恋人になった切っ掛けの事件に遭遇した公園ももちろん候補に上がってはいたが、あそこは周りが団地で明るいから星が見えにくそうだし、夜中に高校生が集まっていたら近所迷惑になりそうだったから却下した。
 八九寺は僕ら以外に人が居ないゴーストタウン、箱庭、何て称したけど、真実他に人が居ないわけが無いのだから、ちゃんとそういう事も考慮するべきだろう。
 それに、あの公園は羽川の家に近いという問題もある。
 むしろ、そっちが本命なのだけど。
「いや、しかしここは私にとってもやはり思い出のある場所だ。 阿良々木先輩ときちんと向き合い殴りあった場所だからな」
「ああ、そういやそうだったな」
 内容はかなり一方的な状況だったけど。
 まさか腹に風穴開けられるとは思わなかった。
 お互いに吐き出すものを吐き出したお陰で、禍根無く友達として付き合えてるわけだけど。
「あのときの事は今でも思い出す。 あのときの事を思い出せば思わず阿良々木先輩を襲おうとするのを自制することができるというものだ」
「僕は僕の知らないうちに後輩に襲われかけてたのか!?」
 なんて事だ。禍根はきちんと残っていた。
「ん? ああ、安心してくれ。 襲いかかると言っても性的な意味でもだ」
「余計に性質が悪いわ!」
 しかも「も」ってやっぱり恨みつらみがあるんじゃねえか。
「それに戦場ヶ原先輩とまた向き直せた場所でもあるしな」
 まあそれだけ神原の戦場ヶ原への想いは強いということなんだろうけど。思わず悪魔に魂を売りかけるほどに。
 複雑な人間関係、か。
「私の誕生日を祝うときも是非ともここにして欲しいな」
「ああ、まかせとけよ。 お前の誕生日も盛大に祝ってやるさ」
 だけどまあ、それでも神原が僕にとって大事な友達であり後輩であることには揺らがない。助けてもらってばかりの情けない先輩だけどそれくらいはしてやらないとな。
「うん、誕生日に廃墟に連れ込まれるなんて素敵な思い出になりそうだ」
「僕のプランニングを台無しにするようなことを言ってんじゃねえ!」
 本気で変更を検討に入れかけたぞ。
「いや、しかし阿良々木先輩だって性大に祝ってやると言ってくれたではないか」
「言ってねえ! いや、音としては言ったけど、そんな字は使ってねえよ!」
「しかしな、阿良々木先輩。 そうは言われても私は今日こそ脱ぐつもりだぞ」
「帰れ! お前に手伝ってもらう事なんぞ一つもねえよ!」
 楽しい会話だった。
 本当に楽しい後輩だ。
「ちなみに、机と椅子は屋上に運んでおいたぞ」
 そして何とも頼りになる後輩だった。
 正直、頼りになりすぎて僕自身がどんどんダメになっていくような気がする。
「悪いな、僕が遅れたばっかりに、お前一人に重労働を押し付けちまって」
「何を言う。 むしろ尊敬する阿良々木先輩に頼まれたというだけで心が躍るのに、それが愛する戦場ヶ原先輩のためともなればもう落ち着いていられない。 一も二も無く動いていなければ全裸で叫びながら街中を走り回っていたぞ」
 そうか。そうすると僕が八九寺とお喋りに興じてたのは正しい判断だったのか。
「んじゃ、あとは僕が持ってきたビニールシートとかを敷いたりするだけか。 そいつが終わったら食べ物の調達もしに行かないとな。 そっちはさすがにこの時期に事前に買っておくというわけには行かなかったし」
 誕生日に食あたりとかどんな思い出だ。
 そんな思い出を作ったら確実に僕は戦場ヶ原に殺される。
「いや、戦場ヶ原先輩はそんなことはしないと思うが、まあ了解した。 確かに私は鍛えられているから大丈夫だが、繊細な戦場ヶ原先輩などにそれを求めるわけにはいかないしな」
「戦場ヶ原が繊細かどうかはさておいて、鍛えられてるって、そんなもん鍛えてどうにかなるのか」
 スポーツ少女らしい根性論とかだろうか。
「いや、阿良々木先輩もご存知の通り私の部屋はあのありさまでな。 たまに昔買った食べ物が出てくることがあるのだが、これが熟成され味が変わっていて中々お得なのだぞ」
「食うな! 棄てちまえそんなもの!」
「いや、しかし私は食べ物を粗末にするなと教わっていて」
「それは僕も教わってるけど、お前の行為は既に粗末にしてんだよ! それ以前に拾ったものを食べちゃいけないって教わったろうが!」
 何てことだ。
 神原の部屋がすさまじく散らかっているのは知ってはいたが、そこまで酷い状況だったとは。あの部屋の惨状を見ておきながら対策を取らなかった僕は本当に先輩としても友達としても失格だ。
 いや、まだだ。
 まだこの件に関しては挽回が利くはずだ。起きてしまったものは仕方ないが今後同じような惨劇が繰り返さないようにする事は出来るはずなのだ。
「神原。 今度の休みの日にお前の家に行くぞ」
「おお、阿良々木先輩のほうからそう言ってくれるとは嬉しい限りだ。 私のほうから拒む理由は無い是非とも遊びに来て欲しい」
「いや、遊びに行くんじゃない」
「ん? そうなのか? ああ、なるほど、そういうことか。 しかしダメだぞ阿良々木先輩。 私としては嬉しいが恋人の誕生日に他の女との逢瀬の話を持ち出すなど。 いくら私でもそれは看過しかねる」
「そうか。 だけど安心しろ。 そんな話でもないから」
 神原のいつもの方面の話に、しかし僕はノリも悪くあっさりと、しかも真面目な声で否定する。
 僕のそのいつもと違う様子に神原も気がついたのか、不思議そうに首をかしげて僕を見る。
「ふむ。 ソレも違うとすると、しかしならば阿良々木先輩。 阿良々木先輩は一体何をしに私の家へ来るんだ?」
 その質問に僕は答える。
 それはたった一言で済む、実にシンプルな答えだ。
「掃除をしにいくんだ」



 日が暮れて、そろそろ星が見え始めるんじゃないかというくらいの時間に戦場ヶ原と羽川も廃墟に来た。
「やっほー、阿良々木くん。 お待たせ」
「やっほー」
 いつもどおりにこやかに挨拶する羽川に僕も手を振って返す。
 一緒に来た主役である戦場ヶ原といえば、廃墟を見上げていて僕のことなど眼中に入れてなかった。
 いや、その目ははっきりと睨みつけていると称するべき視線の鋭さだった。
 あー、そうか。
 そういえば、戦場ヶ原にとってはここは自分の忘れたかった過去を赤裸々に暴かれた因縁の場所という見方もあったんだよな。それに戦場ヶ原は忍野に対してそれほど好意的な感情を持っていなかったようだし。
 うーん、ここを選んだのは失敗だったか。
 なんて僕は反省していると、廃墟に向けていた視線を僕へと向けてきた。つまり今度は僕が鋭い目で睨まれている形になったわけだ。
「阿良々木くん」
「は、はい」
「あなたは恋人の誕生日を祝う場としてこんな廃墟を選んだのかしら」
 訂正。
 廃墟に向けていたときよりも鋭さも重圧さも増している。
 違うんだ、戦場ヶ原。僕は僕なりに頑張ってお前にいい思い出にしてもらえるような誕生日を迎えて欲しくて。断じてそんな目をしたお前を見たかったわけじゃないんだ。
 しかしそんな言い訳は僕の口から発せられる事は無かった。舌の上に乗るどころか喉を震わせることもなく腹のそこで縮こまって出てこようとはしない。
 何てチキンなんだ僕の言葉は! それでも僕の言葉か!
 なんて、僕が自分に対して責任転嫁をしていると思わぬ方向から助け舟が出港した。
「ダメだよ、戦場ヶ原さん。 阿良々木くんは戦場ヶ原さんに喜んでもらおうと二人の思い出の場所を用意したんだから。 いくら照れ隠しでもそんな事を言ったらさすがに阿良々木くんもへこんじゃうよ」
 照れ隠し?
 どれが?
 あれが?
「羽川さん、根拠の無い言い掛かりはやめてちょうだい。 私は別に照れ隠しで言っているんじゃなくて、本気でこの場所を選んだ阿良々木くんのセンスに殺意を感じただけよ」
 殺意?
 殺意って言ったよ、この人!?
「あはー。 戦場ヶ原さんは本当にツンデレだね」
「いえ、だから……っ。 いえ、なんでもないです。 阿良々木くん」
「は、はい。 なんでしょう」
 思わず僕まで敬語。
「今回は羽川さんに免じて許しておくわ。 だけど二度目があるとは思わないことね」
 お前はどこの秘密結社だ。
 いや、二度目の失敗を許さないのは秘密結社に限らず割と普通に会社なんかであるって聞くけど。
「悪かったよ、僕もこういうのはあんまり慣れて無くてさ」
「言い訳はやめなさい。 そして謝って済むものではないわ。 だからきちんと次に活かしなさい」
 それだけ言うと、戦場ヶ原はさっさと僕の横をすり抜けて廃墟の中へと入っていってしまった。この時間になると中は真っ暗で足元が心配だったが、まあ中で神原が待機してるだろうからその辺は大丈夫なのかな。
 いやはや、しかし。誕生日にサプライズを用意して殺意を向けられるとは思わなかった。
 こっちのほうがよっぽどサプライズだよ。
「あは、戦場ヶ原さんは可愛いね」
「お前は今のを見てどうしてそんな感想が出てくるんだ」
「んー? 今のを見たから出てきた感想だけど?」
 だとしたら、そのコンタクトは取り替えたほうがいいと思う。
 絶対に度が合っていない。
「だって、あんな風に照れ隠ししながらもここを選んだ理由を阿良々木くんの口から聞きたがったり、最後には次のデートの約束まで取り付けるんだもん。 可愛いじゃない」
「え? あれってそういうことなの?」
 いや、さすがにそれはないんじゃないか?
 でも、羽川の言う事だし、間違っているとも思えない。
 だとしたら振りが難しすぎるぞ。
 本当にどこまでも難易度の高い。
「お前は本当に何でも知ってるな」
「何でもは知らないわよ。 知ってることだけ」
 それもまた、いめちぇんしても変わらない所だった。
「だけどね、阿良々木くん。 これは本当に私じゃなくても分かる事だよ」
「そうかあ?」
 あんな難しい振り分かる奴が他にいるか?
「分かるよ。 だって女の子だもん」
「女の子」
「そ、恋する女の子」
 それは、確かに羽川が良く知っていることなのだろう。
 そして僕が一番分かっていないもの。その一番の犠牲者が羽川なんだ。
 そうなってくると、さっきの「知ってることだけ」という言葉もまた、意味合いが変わってくる。
「それじゃあ、私たちも行こうか。 主役をいつまでも待たせちゃ悪いしね」
「あ、ああ」
 そういえば、今まで戦場ヶ原と羽川は二人で居たんだっけ。
 一体二人はどんな会話をしていたのだろうか。
 気になる。
 気にはなるが、果たしてそれに僕が踏み入って良いのかは疑問だった。
 何せ『女の子同士の話』なのだ。
 複雑な人間関係。
 だけどそれだったら、単純な人間関係なんてあるのだろうか。



 まあ、そんな疑問を持ちながらも、いざ始まってしまえば、誕生日パーティーは楽しかった。
 いつになくテンションが高い神原に振り回されながらも、それでもお陰で始終賑やかだった。 ちょっと賑やか過ぎて、やはり場所をあの公園にしなかったのは正解だったと思う。
 星空は幸いにも綺麗に見ることが出来た。
 戦場ヶ原が星と星座を教えてくれ、それに纏わる物語を羽川が教えてくれた。なんとも至福の時間だった。さすがの神原もこのときばかりは静かなものだった。
 羽川によくここがこんなに星が見えることに気がついたね、と言われたけど、別に僕は気がついたわけじゃない。ただ知っていただけだ。
 僕はここで星空を見上げたことがある。その時隣に居たのは金髪の美しい鬼だった。その鬼も今は僕の影の中に居る。果たして、今あいつはどんな気分で居るのだろうか? 出来れば出てきて欲しいところだが、きっとそれは望むだけ酷なことだろう。
 あの時は別れを惜しんでだったけど、今は出会いを祝っての宴だ。
 その対比も僕には感慨深かった。
 だからまあ、そんな機転の利いた奴と思われるのも恥ずかしい。正に知っていることを知っていただけの話だ。
 僕が用意したプレゼント、天体望遠鏡も早速利用してもらった。渡したときは予想通りというか、戦場ヶ原に色々と言われたものだが、気に入ってはもらえたらしい。つまりそれらは羽川の言う所の照れ隠しだったのだろう。
目くるめく楽しい時間はパラパラとページを捲るように過ぎていく。出来る事ならばずっとこうしていたい所だったが、残念ながらそうもいかない。
 明日は普通に学校があるし、いくら友人の誕生日とは言え、それでも貫徹なんて真面目一徹の羽川が許さないだろう。融通が利かないわけでも画一なわけでもないが、駄目なものは駄目と言う奴だ。誰にでも公平な委員長。
 それに、何でも戦場ヶ原の父親もこの日のために家に帰ってくるようだ。さすがに休みを取れはしなかったが、それでも頑張って仕事を処理しスケジュールを調整して、夜遅くだが帰ってくるらしい。
 自分は嫌われても構わない側の人間だと言っていたが、それでも少しずつ戦場ヶ原父も歩み寄っているのかも知れない。戦場ヶ原が失ったものを取り戻しているように、戦場ヶ原父も失った親子の時間を取り戻そうとしているのだろう。
 失ったという事実は決して消せないし、時間を戻すなんて事は出来ないけど、失ったものをまた新しく獲得する事はできるんだ。それを他でもない戦場ヶ原自身が証明している。
 だから、あまり僕らだけで戦場ヶ原の時間を取ってしまうわけには行かない。そう言えば戦場ヶ原は否定するかも知れないが、それでも折角の家族の歩み寄りを邪魔するほどに野暮ではない。この想いはきっと僕よりも他の二人のほうが強いだろう。
 だから、今回はここでお開きとなった。
 みんなで星空の元、想い出の場所に集まって食べて飲んで騒いで星を見て、最後に星をバックに記念写真を撮って。
 解散の前に後片付け。戦場ヶ原と羽川は持ち寄った食べ物とビニールシートなどの片付け。僕と神原は屋上に運んできた机と椅子を元の部屋に戻しに行った。神原はまた一人でやるつもりだったようだが、さすがにそれは断固として受け入れなかった。
 そして、それも終われば本当にお開きだ。
 もう夜も大分遅いので羽川は神原が送っていくと買って出た。幾分かの心配要素があったが、前回送り届けた時は大丈夫だったのだから今回も信用しようという判断を下した。
 大丈夫だよな、神原。
 信用したからな!
 そして僕はというと、当然ながら戦場ヶ原を家まで送る事になった。これまた当然というか羽川に二人乗りはダメだと言われたので押して歩く事になった。かごの中には戦場ヶ原へのプレゼントを入れて。
 しかしさすがは田舎というか、この時間になると本当に人通りがない。ここを舞台にするなら始終夜にすれば、演出の必要もなく人のいない絵が撮れるだろう。
 そんな絵の中を僕と戦場ヶ原の二人は歩いていく。
 なんか、さっきまで複数人で盛り上がっていただけに、二人っきりになったら会話がしにくいなあ。
「阿良々木くん」
 と、珍しく戦場ヶ原のほうから話を振ってきた。
 いや、戦場ヶ原のほうから話を持ちかけること事態は珍しくはないんだが、たいていの場合は唐突に用件だけを言ってくるか、ほとんどの場合は僕に対しての悪口だったりするだけに、普通に呼びかけるというのは非常に珍しい。
「阿良々木くん、今何か失礼な事を考えなかったかしら?」
「いや、そんな事ないけど」
 何てことだ、僕は彼女に嘘を吐いてしまった。
 戦場ヶ原は僕の真意を探るように足を止めて僕の目を覗き込んでくる。
 怖い。
「まあ、良いわ。 今日の私は寛大だから先延ばしにして置いてあげる」
「許してはくれないんだな」
「そういうと言うことはやはり何か無礼な事を考えていたのね」
 しまった! トラップか!
 僕が失礼が無礼になっていることに突っ込む余裕もなく、己の失敗に気付き言い訳をしようとする前に、戦場ヶ原の目がスッと細まる。
「まさか誕生日に自分の彼氏に心の中で詰られた上に嘘まで吐かれるとは思わなかったわ」
「いや、ちが」
「黙りなさい。 あなたのような二枚舌は嘘を考える脳を抜き取ったほうが良いようね」
 怖えぇ。
 超怖ええぇえ。
「まあでも、私を喜ばせようと考える事も出来る脳のようだから、それは勘弁しておいて上げましょう」
 そう言って止めた足を再び動かす。
 置いていかれないように僕も慌てて歩き出そうとすると、戦場ヶ原続けて言ってきた。
「ありがとう。 今日は楽しかったわ」
 その直線的な言葉に、僕は踏み出そうとしていた足が止まる。
 いや、足だけじゃない息だって止まっていた。
 それなのに心臓は急に鼓動を早めるのが嫌でも自覚する。
 そう、言ってくれるのか。
 そう言ってくれたというだけで、何もかもが報われたような気になってしまう。
 うわぁ、やっべえ。
 超嬉しい。
 まさか彼女に喜んでもらえるというのがこんなにも嬉しい事だとは知らなかった。
 もう少し余韻に浸りたかったが、置いていかれては何のために送っているのか分からなくなってしまうので、嬉しさを噛み締めながら先を行く戦場ヶ原の背中を追う。
「ねえ、阿良々木くん」
 僕が追いつくのを待ってのタイミングに戦場ヶ原は再び僕に呼びかける。
「実は私、今まで自分の誕生日って嫌いだったわ」
 いつもの感情を見せない声で言う。
 前を向いたままの顔もきっといつも通りなんの表情も出ていないのだろう。
 それでも、その事を誕生日に言うのだ。何も思っていないわけがない。
「特に蟹に遭ってからはそうだった。 何も良いことなんかない、辛さと理不尽を背負うだけの人生に嫌気が差していたわ。 子供のように生まれてこなければこんな目に遭わなかったとさえ思ったものよ。 だから生まれてきた日である誕生日が心底嫌いだった。 こんな重みのない人生に意味がないと思ったから」
 それはきっと過剰な演出無しの純粋な本音だろう。それだけの理不尽を彼女は味わった。
 僕のような数日間ではない、二年間という長い期間を。
 きっとその間により理不尽な目にあって来たはずだ。今まで五人の詐欺師が居たという。それだけでも十分理不尽だが、きっとそれだけではないはずだ。もっと多くの辛い目を見てきたはずだ。その目を硬くきつく閉じてしまいたいくらいに。
「だけどね、今年は違う。 神原が居たし、羽川さんという新しい友達も居た。 そして阿良々木くん、あなたが居た」
 自惚れかもしれない。
 それでも前を向いて歩いているはずの戦場ヶ原が僕を見ているような気がした。
 今まで散々に辛い目を見てきたその目で、決して閉じず背けずに僕のことを見ていてくれていると思ってしまった。
「以前も言ったけど、その不幸を全てチャラに出来るくらいに、阿良々木くんと出会えた事は私は嬉しかった。 だから、今ではこの人生の始まりである誕生日が好きよ。 そしてその日を阿良々木くんに祝ってもらえたことが本当に私は嬉しい」
「僕もだよ、戦場ヶ原」
 僕は戦場ヶ原の背中へと声を向ける。
「僕だって戦場ヶ原に出会えて良かったと思ってる。 だから僕も嬉しいんだよ、お前の誕生日を祝うことが出来てさ」
 そうだ、戦場ヶ原だけじゃないんだ。
 僕だって、この日は一年の内でただ一日の重要な祝日だ。
「そういう言葉は面と向かって言うもんじゃないのかしら」
「こんなセリフ、まだ面と向かって言えるかよ」
「そうね、まあ根性無しの謗りは勘弁してあげましょう」
 まったく、お互いになんとも臆病な事だ。
「ああ、そういえば、今日羽川さんが行っていた天の河の二人もそうなのかしらね」
「あん?」
 天の河の二人?
 織姫と彦星の事か?
「一年に一度会えることを知っているから、どんなに超過労働を押し付けられても我慢できるのかしらね」
「そうかもしれないけど、それは僕らには当て嵌まらないだろ」
「それもそうね」
 他人から押し付けられた制約に縛られてやるほどに僕も戦場ヶ原も人間ができていないのだ。
 そこに居ると分かっているなら、抜け道でも何でも使って会いに行くだけだ。
「さて、どうやらまだお父さんは帰っては居ないようね」
 っと、もう戦場ヶ原が住むアパートの前に付いていたか。
 本当に楽しい時間は過ぎるのが早いな。
 しかし、確かに戦場ヶ原の言うとおり、戦場ヶ原家の部屋は明かりが点いていない。どうやらまだ戦場ヶ原父は仕事から帰ってきては居ないようだ。まあ、いくら時間を作ったと言っても多忙そうだったしなあ。
「えーと、まあとりあえずプレゼントとかは部屋まで持ってくよ」
 三人分と言っても、女の子に持たせるにはちょっと重さがある。
 特に僕の天体望遠鏡なんて結構な重量だ。
「いえ、いいわ」
 だが、戦場ヶ原は僕のそんな気遣いをはっきりと断った。
「私が自分で持ちます」
「え、でも」
「私が自分で持ちたいの」
 うーん、そう言われては仕方ない。
 僕は大人しくカゴの前から離れる。
 戦場ヶ原はカゴの中から僕らからのプレゼントを取ると、アパートの階段を上がっていく。
 僕はその後ろを付いていく。
 いくらやることがなくなったとは言え、それで「はい、さようなら」とするほどに甲斐性無しではない。
 しかし、戦場ヶ原が階段の踊り場に差し掛かったところで予想外の出来事が襲った。
 急に戦場ヶ原が後ろに向かって倒れてきたのだ。
 足を滑らせたとか、踏み外したとかではない。
 後ろに居る僕は当然ながら戦場ヶ原よりも低い段に居るわけで、あまつさえ僕の身長は一般男子よりも低めである。そんな僕からしたらそれは倒れてきたというよりも落ちてきたと表現すべき現象だった。
 だから、僕は戦場ヶ原の体を受け止めようとした。
 どうせ逃げ場がない狭い階段だし、そうでなくとも恋人が落ちて来るのを避けるなどというのは人道に悖る行為だ。
 避けるよりも正しい判断だったはずだ。
 いや、間違っていたのかも知れない。
 何故なら戦場ヶ原の体は。
 とうに、  とっくに、

 重さを取り戻していたのだから。

 僕は戦場ヶ原の体を支えきれずにそのまま階段を転がり落ちることになった。
 それでも決して戦場ヶ原の体が下に来ないようにしたのは我ながらよくやったと褒めてやりたい。
「う、ぐああ」
「痛いわね」
 それはこっちのセリフだ。
 一体いきなり何をしだすんだ。
「どうかしら私の重さは」
「重いよ」
 僕は女子に対して行ってはいけない事をはっきりと迷いなく言ってしまった。
 その後に来るであろう、戦場ヶ原の責めに備えたが、僕を襲ったのは覚悟したどれよりも重い目と言葉だった。
「そう、これが今の私の重さ。 私の背負っている想いよ」
 そういって戦場ヶ原は抱えたプレゼントを僕へと見せる。
 それは決して物理的な質量の話ではないだろう。
「阿良々木くん、もしかしたらお父さんが行っているかも知れないけど、愛した相手には全てを委ねるわ。 それは私自身の想いだけではなく、私自身に向けられる想いも愛した人に受け止めさせようとする。 今までの私はそんな相手もいなかったし、そんな重さを全てなくしていた。 阿良々木くんと出会ったときの私はだから軽かったわ。 だけど、今は違う。 今の私はこんなにも重い」
「想い」
「ねえ、阿良々木くん。 阿良々木くんはさっき私に出会ったことを嬉しいと言ってくれた。 その言葉は私にとっても嬉しかったけれども、その阿良々木くんが私に向けてくれる想いも含めて阿良々木くんは私を受け止められる? 自分で言うのもなんだけど、私は決して軽い女ではないわ。 それでも、どうしてもというのならば阿良々木くんの上から今なら退くことが出来るわよ」
 どうする? と問うように戦場ヶ原の目が僕の目を捉える。
「…………」
 まったく。
 本当にコイツはどうしようもない。
 恋愛戦力が0どころかマイナスじゃないか。
 本当にそんな目でそんな事を言われても信じられるかよ。
「馬鹿にするなよ、戦場ヶ原。 お前の重さを受け止めるくらいには鍛えてるつもりだよ。 いや、鍛えさせられてるのかな。 とにかく、戦場ヶ原。 僕はいつだってお前を受け止められる覚悟が出来てんだ。 お前のほうこそ僕の腕の中から簡単に抜け出せると思うなよ」
 僕は戦場ヶ原の細い体を抱きしめる。
 戦場ヶ原の貞操観念を考えれば抵抗もあるかと思ったが、意外にも予想通りに抵抗はなかった。
 ただ重い。
 八九寺の言葉じゃないが星ひとつと同等の、いや今見上げる形になった夜空に浮かぶ星全て、いやいやそれ以上の世界ひとつよりもずっと重い想いを持った戦場ヶ原。
 上等だ。さんざんヘタレだチキンだと言われてきている僕だけど、それくらいを受け止める覚悟と想いを持つくらいには甲斐性はあるさ。
 それに僕だけじゃない。
 戦場ヶ原が背負う重さの分それを受け止める人間が居るという事だ。
 だから、僕が受け止められない訳がない。僕自身もまた戦場ヶ原によって支えられているんだから。
 僕らはまた一つ年を嵩ね、想いを重ねて重くなった。
 だから今日は僕らにとって特別な日になった。



 今回のオチ。
 そんな感じで思わず抱きしめたまま横になって倒れていたら、戦場ヶ原父が帰ってきた。
 アパートの前で娘が彼氏に抱きしめられて横たわっているのを見つけた父親の図である。
 そのあとに僕らがどういう目にあったかは想像に任せるとしよう。
 




アトガタリ
 まずはごめんなさい!
 そして、おめでとう!
 いやはやようやく完成しましたよ。
 さて、ようやくDVD最終巻見れるぞ!
 猫物語読むぞ!



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