ひたぎバス 僕、阿良々木暦の恋人である所の戦場ヶ原ひたぎについて今更アレコレと語るのはひょっとしたら惚気の誹りを受けるかも知れないが、それでも今一度彼女の人となりを説明しておこうと思う。 勘違いをされては困るが、別に僕は自分の彼女を自慢したいわけでも仲の良さを見せびらかしたいわけでもない事は分かってもらいたい。 いや、そういう気持ちが全く無いとは言いえない。僕だって少しは誰かに惚気てみたいと言う思いが、二重の意味で恥ずかしながら無いわけではない。だがしかしどうだろう? 果たして僕と戦場ヶ原の間で交わされる会話、或いは行為を語ってみせたところで、聞き手がそれを惚気話と受け取ってくれるだろうか? 試しにこの前の戦場ヶ原の家で行われた勉強会のときに交わされた会話の一部を抜粋してみよう。戦場ヶ原の家は彼女と父親の二人暮らしでその父親は仕事で忙しく家には居なかった。つまりは恋人の家で二人っきりで居るときの会話だ。 「凄いわ、阿良々木くん。 それはこないだ教えたばかりだと言うのにもう忘れてしまうなんて、どうやら阿良々木くんは私では理解できないほどに特殊な脳構造をしているのね。 さすがは阿良々木くんだわ、私の興味を掴んで離さないわね。 どうかしら? その阿良々木くんの魅力に応えるためにも是非とも解剖してあげるべきなのかしら?」 そんな事をカッターを弄りながら淡々と言う戦場ヶ原はとても活き活きとしてた。 僕としても恋人の姿を見るのは嬉しいとは思うのだが、さすがにカッターの刃を額に押し付けられたときには冷や汗が流れた。 まあ、今のだけでも彼女の性格の一旦と言うか攻撃性の片鱗を知ってもらえたと思う。それでもあくまで片鱗だ。これで全てなどとは思わないで欲しい。戦場ヶ原ひたぎという人物の危険性と魅力を全て理解できたなどとは思わないで欲しい。自分から語っておきながら矛盾した話かも知れないが、この程度で全て把握したなどと思われるのは僕としては不愉快だ。 僕が今まで味わってきた辛苦と恥辱をこの程度などと思われるのは。 これもまた誤解されては困るわけだが、別に僕らの仲が破局に向かっているわけでも、彼女の暴力に屈して嫌々付き合っているわけでも、僕が虐げられる事に喜びを感じる人間と言うわけでもない。 僕らが一般常識における恋人とは違うのは理解しているが、何も無理して型に嵌る事もあるまい。熱湯のように熱い恋もあれば、ぬるま湯のような恋もある。ならば、身も心も凍りつく冷水のような恋があっても良いだろう。 …………。 とにかく、そんな攻撃性と毒性が強い彼女だが、その性格にだって理由がある。僕が出会ったときには猫を被っていたものもその下には既に獅子ですら逃げ出しそうな凶暴性を隠していた訳だが、生まれついて持っていたものではないらしい。 彼女の中学時代を知る者の話によれば、その頃の戦場ヶ原は実に面倒見が良く、明るく朗らかな人物だったらしい。もちろん今のような教室で誰にも干渉させずに読書をしているなんて事もなく、後輩にも先輩にも、そして勿論同級生にも人気のある人物だったらしい。 想像を絶する話だ。 僕は自分の彼女のそんな姿を欠片も想像できない。 そんなのは僕の戦場ヶ原じゃない。 彼女の性格が大きく変わった原因は中学と高校の間の期間にあった事件に起因するのは間違いない。 僕が高校二年と三年との間の春休みに美しき『鬼』と出会い人でなしになったように、彼女はその間に『蟹』に行き逢い重さを根こそぎ失ってしまった。 その結果として彼女は今の人を寄せ付けぬ性格と攻撃性を獲得するに至った。 今は既に重さを取り戻した戦場ヶ原だが、根本的な問題は何も解決しておらず、そもそも解決できるような問題ではない。そのために『憑き物が落ちたように昔の性格を取り戻した』というわけには行かない。そもそも戦場ヶ原自身が取り戻すつもりなど無いと言っている。捨てたものをわざわざ拾ったりするつもりは無いと。 その言葉に強がりは多少あるのかもしれないが偽りはまったく無い。 見え透いた虚勢ではなく、屹然とした姿勢で自らの問題と向き合おうとする戦場ヶ原の覚悟がそこにはあった。 もちろん、だからこそ今のままではいかない問題(はっきり言って戦場ヶ原の攻撃性は今の所は僕にのみ向けられているからまだ良いものも、世間的には十二分に犯罪レベルだ)の改善は徐々にだが行われている。少なくとも以前のように身体中に文房具と言う名の凶器を仕込む事は無くなったし、三歩歩けば出る毒舌も今では三分で出る毒舌へと緩和されている。 抱えている問題の中でも本人が力を入れているというのが鋼鉄のように硬い貞操観念だそうだ。 いや、もっと他に優先すべき事項があるだろうと僕なんかは思うのだが、戦場ヶ原自身は嘘か真か(僕としては切に嘘であってほしいと願っている)後輩とリハビリを行うと言う具体的な行動に移っているらしい。 僕だって健康な男子として、自分の恋人がいつまで碌にスキンシップも出来ないアイアンメイデンなのは困りごとであるのは確かだが、何もそこまでがっついているつもりは無いし、がっつくつもりだってない。僕だって戦場ヶ原が抱えている事情くらい承知している。戦場ヶ原はそうなることで僕を拒絶してしまう事を恐れているが、そんなのは僕だって同じだ。そんな事で戦場ヶ原から嫌われたくはない。その恐怖に比べれば口の中にホッチキスを入れられる事も眼球にシャーペンを付けつけられる事も額にカッターの刃を押し付けられる事も大した恐怖ではない。 全く恐怖が無いわけではないので控えて欲しいとは思うけど。 そんな彼女だから基本的に服装の露出は少なめである。あまり肌を露出する事を好まない。 戦場ヶ原が問題を抱えていた頃は自由な服装が選べなかったため、一先ずの解決を得た後は本人曰くお洒落を楽しんでいるらしいが、その条件だけは外れる事はないようだ。ただ、肌の露出は少ないままに色気を出すような着こなしは素直に感心してしまう。パーカーにジーンズくらいがせいぜいの僕にはとても真似できない技能だ。 最近では多少抵抗がなくなってきているのか、露出が増えてしまった夏服の袖をさらにピンを使って短くすると言う着方までしている。 しかし、その事情を把握してしまえば、あの日初めて戦場ヶ原の家に訪れたときに彼女が僕にあんな姿を晒したのは一体どれだけの抵抗があったのだろう。 あれから二ヶ月近くの時間が過ぎた。 問題を抱えてた三年を思えば僅かな時間だ。その間に身に染みた防衛本能が完全に解除されるわけも無いが、それでも少しずつ緩和はされているらしい。 時間が問題を解決するとは限らないが、それでも時間が過ぎていくだけ変わっていく事もあると言う事か。 それが決して善い事ばかりとは限らないけど。 「お風呂に入りに行くわ」 戦場ヶ原と同じ大学に入ると言う目標を得たものも、落ち零れの僕がその目標を達成するのはそう容易な事ではない。その目的のためにはどうしても周りの人間の助力が必要となる。まず真っ先に頼ったのは我が校が誇る優等生――委員長の中の委員長、百万年に一人と言われる委員長と名高い(僕が勝手に言ってるだけだけど)羽川翼だ。そしてもう一人が僕の目標の発端である戦場ヶ原ひたぎ。最近では放課後に彼女の家に行って勉強に行く事が日課となっている。 そして今日も戦場ヶ原の家で勉強を教えてもらっていたら上の一言が発せられた。 「えーと、それじゃあ今日はもう切り上げか?」 「ええ、だから早く準備をしなさい」 「準備って、そこまで急かして追い出さなくても良いだろ。 そんなに早く風呂に入りたいのかよ」 「あなたも入るのよ、阿良々木君」 「あ?」 いきなり何を言ってるんだ? え? まさか今まで手作り料理の一つも作ってもらえなかったのに、ここに来てまさかの一緒にお風呂? ちょ、ちょっと待ってよ。何でイキナリそんな重要イベントが発生してんだ!? いつ僕はそんな重大なフラグを立てたと言うんだ。いや、待て。クールになれ暦! 相手は『アノ』戦場ヶ原ひたぎだぞ! これが素直に嬉し恥ずかしのイベントなわけが無い。一体何を企んでやがる!? …………なんで、自分の彼女に風呂に誘われてこんなに警戒しないといけないんだ。 「何を百面相をしているのかしら? 知ってる、阿良々木くん? 人は表情一つで顔の印象が変わると言うらしいけど、あれは出鱈目ね。 今の阿良々木くんのお陰で確信できたわ。 やっぱり無様な顔は何をしても無様なものね」 「お前はせめて冗談っぽい表情で言え! お前のその無表情で言われると本気で傷つくんだよ!」 「あら、ごめんなさい。 本当は冗談よ。 滑稽さが付け加えられてたわ」 「何のフォローにもなってねえぞ!?」 「読者の人に阿良々木くんの事を正確に伝わるようにとの心遣いよ」 「ビジュアルがない事を良いことに、どいつもこいつも揃って僕を貶めるな!」 とりあえずいつもと変わらぬ様子なので一安心。 別に何か機嫌を損ねるようなことがあったわけでもないらしい。 しかし、そうなるとますます謎だ。戦場ヶ原は一体何を考えてさっきのようなことを? 「阿良々木君がどんな勘違いをして、イヤらしい想像をしているかは見え透いているけど、残念ながらその予想は的外れだし、その妄想は適うことはないわ」 「妄想が外れていることに関しては僕としては嬉しい限りだがな」 僕の妄想の中の僕は既に阿良々木暦の形を成していなかった。 「うちのお風呂が壊れたのよ。 見ての通りの古い安物件だから老朽もあったのかもしれないわ」 「確かに結構年季は言ってそうだもんな」 風呂釜までが古いとは思わないが水道管などはかなり旧式そうだ。点検くらいはしてそうだが、完全に直すには改装というよりも改造したほうが早そうな気もする。……いや、さすがにそれは言い過ぎか。 「だから近所の銭湯に行こうかと思うんだけど、阿良々木くんも来なさい」 「別に行くのは構わないけど、何でまた?」 「はっ、構わないと言った先から理由を聞くなんて、阿良々木くんは自分の言った言葉を記憶に留めて置くことも出来ないのかしら? 舌の根が乾くまでも無く記憶力は枯れきっているようね。ああ、ごめんなさい。こんなに一気に捲くし立てても阿良々木くんには憶えていられないわよね」 実に活き活きとしている。 機嫌は悪いどころかかなり良いらしい。 いやまあ、確かに戦場ヶ原の言うとおり、別に良いと言っておきながら理由を聞くって言うのも矛盾した話かもしれないが、一応知っておきたいと思うのはそんなに悪いことか? 「私は着替えとか用意していかないといけないけど、阿良々木くんはどうする? 着替えやタオルでも取りに行かなくても良いの?」 「あー、別に良いかな。 着替えは帰ってからでも良いし、タオルも向こうで格安であったと思うし」 「ヒヨコ隊長は置いてないと思うけど良いの?」 「心底不思議そうに聞くな! 僕のキャラをこれ以上変な方向に持っていくのはやめてくれ!」 とは言ったものも、何故だろう。 この件に関して、かなり手遅れなまでに吹っ飛んで行ってる気がする。 「ふーん、まあ阿良々木くんがその雑菌だらけの布のままで良いというのなら構わないわ。 タオルはわざわざ買わなくても家にあるのを貸してあげるわよ。 お父さんのが何枚かあるから使いなさいな」 「ありがたいけど、何か悪くないか?」 「構わないわよ。 どうせ家で使うことも少ないんだから」 戦場ヶ原の親父さんも相変わらず仕事で忙しいらしい。こうやって結構頻繁に戦場ヶ原の家には訪れているけど、この間の初デートのとき以来会ってないもんなあ。 「それじゃあ、先に外で待っててくれる? それとも私が着替えの下着を用意している所でも見ていたいかしら?」 そう言われて部屋の中に留まっているだけの神経を僕は所有していない。変わりに人並みのデリカシーは所有しているつもりなので、戦場ヶ原に渡されたタオルを受け取ってすごすごと部屋を出ていくしかなかった。 待つことニ十分。 ただし場所は変わって銭湯前。 あれから、目的地の銭湯まで来て、当然ながら男湯女湯で別れ(このときに戦場ヶ原からセクハラまがいの毒舌を受けた事は述べておく)、これも考えてみれば当然だが男の僕と女の戦場ヶ原では入浴時間に大きなな開きがあり、結果として僕は湯冷め上等の待ちぼうけだ。幸いにも今は夏なのでそれほど冷え込む事はなけど、昼間と比べれば気温は下がってきているのだ。 「風邪引いたらどうするんだよ」 「そうね、夏風邪は 「その言葉に僕の心がどれほど重くなっているのかお前は分かっているのか?」 そのうち潰れて消えそうだ。 振り向くと底にはいつもの表情乏しい顔で戦場ヶ原が立っていた。 一体いつから居たんだ? タイミングよく出てきたって訳でもないとは思うけど。 「阿良々木くんが女湯のほうを向いて下卑た笑みを浮かべていた所からちゃんと見てたわよ」 「僕の品性を全否定するよな事を捏造すんな!」 誰かに聞かれたらどうするんだ。 僕は二度とこの銭湯を利用できない。否、こんな狭い田舎町じゃ外を出歩く事すら出来なくなる。 「安心して、阿良々木くん。 あなたが鼻息を荒くしながら『へへ、良いよな? むしろ覗かないほうが失礼だもんな』なんて言ってた真実は黙っていてあげるから」 「勝手な真実を作り上げるな! 真実はいつも一つだ!」 僕は断じて覗きなんていう卑劣で下劣な真似はしない! 見たければどうどうと正面から行く! 「はん、真実が一つだけしかないなんて随分と狭い了見ね。 人としての器が知れるというものだわ。 ああ、仕方ないわよね、阿良々木くんってば図体もでかくなれなければ視野も頭も心も子供のままなのね」 「お前、いつか絶対に訴えられるぞ」 そして裁判中にも法廷侮辱罪とかが追加されるに違いない。 「まあ私も子供っぽいところがあるのは認めるけどね。 好きな相手をイジメたくなるところとか」 「……それは大抵男の子の心理なんだけどな」 暴言の嵐の中でそういう事をさらりと言われるからたまらない。 戦場ヶ原ひたぎ。 つくづく僕はこの女から逃げられそうに無い。 「にしても、お前は本当にいつから居たんだ?」 「まあ、十分くらい前にはいたわね。 正直湯冷めするんじゃないかと心配だわ」 「お前も夏風邪引くなよ」 やっぱり馬鹿なんじゃないのかと思ってしまう。 「しかし随分と早いな。 もっと時間が掛かるものかと思ったぜ」 「何よ、私がきちんと身体を洗ってないとでも言い掛かりつける気? 匂いフェチの阿良々木くんの趣味に付き合ってあげるほど私は菩薩にはなりきれないわよ」 「僕に変な属性をつけるな! 僕はいたってノーマルだ!」 大体お前が菩薩じゃない事くらい知っている。 菩薩よりも撲殺と言う言葉のほうが似合いそうな女だ。 「早いのは仕方ないでしょ。 まだ赤の他人に長時間に渡って自分の素肌を曝け出せるほど克服出来ていないのよ」 そう言う戦場ヶ原の表情はいつもと同じ淡々としているが、僕には悔しげにしているような気がした。 そうか。考えてみれば、露出を極力嫌う戦場ヶ原が、例え同性とは言え不特定多数の人物に肌を晒さなければならない、銭湯と言う環境に赴くにはどれほどの覚悟と決意が必要だったのだろう。 僕は知っていたはずなのにその事に気付かなかった。 『銭湯に入浴しに行く』というただそれだけの事に、戦場ヶ原が覚悟と決意が必要だと言う事を。 僕のほうこそ戦場ヶ原の気持ちを全く理解できていなかった。 わざわざ僕を銭湯に誘ったのも、戦場ヶ原本人は否定するかも知れないがやはり心細いものがあったのだろう。だからと言って一緒に浴場に入れる神原を誘ってしまえば、リハビリにならないから。 「悪かったよ、気付かなくって」 「本当よ。 まさか十分も気付かないなんて、阿良々木くんがそこまで鈍いとは思わなかったわ。 もっとも、滑稽な阿良々木くんの様子を眺めていたお陰で退屈はせずに済んだかしら」 そう言って戦場ヶ原は意地悪げに微笑む。 まあ、なんだ。せめて戦場ヶ原を笑顔にするくらいの役には立てて何よりだ。 それも出来無いようでは彼氏失格の謗りも免れない。 「んじゃあ、湯冷めしないうちに帰ろうぜ。 いくら夏でもさすがに夜はそれなりに冷えるしさ。 こんな時間だから家までは送っていくよ」 失点を取り返すつもりで僕がそう言うと戦場ヶ原は「あ、そう」と素っ気無く返してくる。 「湯冷めに関しては既に手遅れと言う気もしないでもないけど、まあこれ以上の状況悪化は防ぎたい所ね」 だから、と戦場ヶ原は僕の横に並び言った。 「冷えないように、手を繋いで歩きましょ」 アトガタリ どうもお久しぶりのSSです。 今回は久しぶりに甘いお話でもと思って書いたんですが、甘いのか、これ? やはり物語シリーズのキャラは難しい。 露出やスキンシップに関してはかなり記憶があやふやです。一応読み返して確認は取りましたが、本当にそこまで苦手としていたかは自信ありません。 さて、アニメも始まったしこれから二次創作も増えていくんじゃないかと楽しみにしているわけですが、まずは自分自身がもっと更新頻度上げないといけませんよね。 戻る |