001 蝦夷、踊山。壱級災害指定地域の一つであるこの山には、常に猛吹雪が吹きすさぶこの土地は一般に人が近づくことがない。一般でない者ですら、百年以上前に一度だけ当時の権力者が軍を差し向けたが、結局のところ彼らはその役割を果たすことは出来なかった。 もっとも、それは何もこの自然現象だけに原因があったわけではないのだが。 とにもかくにも、それから百年以上という時が経ち、権力者も当時の体制から代わり、新しい体制に移り変わろうともこの土地は何も変わらない。 完全に外界から隔絶された世界。 この世界にありながら歴史の変動に干渉されず、また関与しない。 故の壱級災害指定地域。 だが、踊山が何故、姉弟されたのかという本当の理由を知る者は意外と少ない。 踊山の山頂。 誰も踏み入ることの出来ない領域であるはずのそこに、人知れず住み着いた一族が存在した。 ――凍空一族。 彼らこそがこの山が壱級災害指定地域とされた本当の理由。 かつて旧将軍がそこに存在するという四季崎記紀の完成形変体刀、双刀『鎚』。 その守護こそが彼らに託された役割だ。 正確に言えば、かの変体刀の特性上、彼ら一族にしか託せないというのが実情なのだが。 彼らが持つ特性とは超怪力。 常人とは比べものにならないその力を持つがゆえに、超重量という特性を持つ『鎚』が託された。 故に、彼らはその力に対して絶大なる誇りを持っていたし、力弱き地表に住む人々を『地表人』と呼び、自分たちとの違いを明確にしていた。 そんな彼らだからこそ、一族の中でも力強き者には敬意を払われる。 そんな彼らだからこそ、一族の中でも力弱き者には――。 「やーい、泣き虫こなゆき」 「弱虫こなゆきー。 おまえにさわられたら弱いのがうつるからくるなー」 「悔しかったらかた手で丸太三本もってみろよー」 そんな、ある意味牧歌的で無邪気で(その内容は一般常識からひどく外れた内容ではあるが)残酷な言葉を投げかける童子たちと彼らに遠巻きにされる童女の姿があった。 童女の大きな瞳には大粒の涙が溜まっては落ち、溜まっては落ちを繰り返している。その涙は地に落ちて消えることもなく、極寒の中、凍ってその痕跡をハッキリと残していた。 彼女の名は凍空こなゆき。 元来、奔放で明るい性格だったが、同世代の中でも一際非力な彼女は、力に誇りを持つ凍空一族の他の童子たちから格好の攻撃対象となっていた。攻撃対象という言い方は、多少過激かもしれない。やっている童子たちからしたら、遊びの一環なのかもしれない。だが、そんな都合はこなゆきには関係ない。 彼らの言葉の数々が。 彼らの仕打ちの数々が。 凍空一族の怪力などよりも強く、こなゆきの心を傷つけている。 「うちっち、うちっち……」 何かを言い返そうとしても言葉にならない。 吐き出そうとする言葉は、その結果を想像すると音になる前に全て凍りついて意味を無くしてしまう。 結局、その態度が童子たちの嗜虐心に拍車を掛けて、悪循環となる。 もちろん、こなゆきにも友達がいるし、その友達は苛められるこなゆきを慰めてくれるし、ときには庇ってくれる。それでもやはりあまりにも攻撃が激しい場合は、割って入ることに躊躇いが生まれてしまう。それは集団で生活する人間のどうしようもない性だ。 やがて、誰が始めたのか雪玉をぶつける者が現れた。 これもやはり、加害者側からすれば遊びなのだろう。初戦は子供の投げる雪玉(とは言え、彼らの言うところの地表人が受ければ骨折の恐れがある、下手をすれば死んでしまう威力)なのだから、身体的な痛みはない。 だが、心理的な痛みは限界に達した。 「ウワァァァン」 大声で泣きながら、こなゆきはその場を走り去っていた。 その姿を見て、さすがにやり過ぎたと反省する者。より攻撃性を増す者。義侠心と友情と罪悪感が限界で止めに入る者。それらすべてを置き去りにして、こなゆきはただただ逃れるために村の外にまで走っていった。 それが、その結果が思わぬ運命の分岐点になるとは誰も知らぬままに。 002 村はずれの雪原で、こなゆきは一人で泣いていた。イジメられたことも確かに嫌だった。だがそれ以上に、こなゆき自身、自分の非力さが嫌だった。 こなゆきもまた力が無いとは言え、凍空一族なのだ。力の価値は重い。 それ故に、自分の力の無さが恨めしく、悔しく、悲しく、泣いていた。 「うちっちは何でこんなに弱いの」 それは誰にも答えられない自問。 彼女の両親や友人は、それでも「いつかは強くなれる」と言ってくれる。 それでも、今は弱いのだ。童子にとっていつかという言葉は可能性として受け止められる話ではない。 だけれども、こなゆきは優しく聡かった。それが故に力がなくとも慕ってくれる家族や友達がいる。それが故にそんな人達の期待に未だに応えられない自分が嫌だった。 せめて、泣き虫でなければ、泣くことがない強さくらいあればとも思う。 「それなのに、うちっちは泣いて逃げちゃいました」 その事実が、よりこなゆき自身を責め立てた。 泣きたくないのに、どんどん涙が溢れてくる。 そんな自分が嫌で、また涙が出てくる。 こんなんじゃ、また嫌われる。今は好きだと言ってくれている人たちにも嫌われる。 こなゆきの両親はこなゆきの笑顔が好きだと言ってくれたのに、だから出来るだけ笑顔でいたいのに。 「うぅぅ、うぅぅ」 また大声で泣き出しそうになるのを強引に押しとどめて堪える。 そうすることが辛くないといえば嘘になるが、それでもそれ以上にこなゆきにとっては笑顔が好きだと言ってくれた人に嫌われるのではないかという思いのほうが強かった。 どれくらい、そうしていたのだろう。 精一杯頑張って、堪えて、涙を、悲しみを押し殺すことにどうにか成功した。 その頃にはすでに、あたりは暗くなっていた。 年中厚い雲に覆われているとは言え、それでも昼夜の区別はある。 もういい加減に帰らないと、それこそ親に心配を掛けて、怒られてしまう。 「――帰ろう」 こなゆきはそう呟いて、逃げ出した村へと駆けていく。 せめて、帰ったときは満面の笑みで「ただいま」と言おう、そう決めて。 しかし、残念ながらこなゆきの決意は無駄に終わる。 こなゆきが村を飛び出してから戻るまで、刹那ではないにせよ、それでも決して長い時ではなかった。だが、その僅かな時間の間で、こなゆきの目にする光景は完全に別のものになっていた。 こなゆきといつも遊んでいる友達も、いつも苛めてくる苛めっ子も、いつも優しい両親も、全員死んでいた。 かつて旧将軍の軍隊すら退けた怪力を持つ凍空一族が、まるで雑草でもむしるかのように無造作に全滅していた。 凍空一族の歴史が終わっていたのだった。 戻る |