「ちぇりおおぉぉおおお」

 蒼天の空の下、その勇ましくも恥ずかしい叫びは高らかに響き渡る。
 人は何故この蒼い空を見上げるのか。きっとそれは現実を見たくないからだろう。
 しかし、実際にそれで現実から逃れられるわけではない。いくら空を見上げようとも、その空へと飛翔し、あらゆる雑多で猥雑な現実から逃れられた者は誰一人いやしない。空は果てしなく遠く、それ故に現実から乖離しているのだから。
 きっとこの空は家鳴幕府やなりばくふが出来る前から、家鳴幕府の今の世も、家鳴幕府が無くなっても変わることは無いのだろう。

 まあ、同じ蒼でも海に向かってなら現実逃避を成し遂げることも可能だけどね。

 しかし、残念ながらここには海は無い。街道の真っ只中だ。故に蒼は空しかない。
 そして現実逃避もままならない。

「ちぇりおおぉぉおおおおおお」

 叫びは続く。

「ちぇりおおおおお」

 まだ、続く。

「ちぇぇぇええぇぇりおおおおおぉぉおおお」

 ひたすら続く。
 この薩摩の空の下。

 やっぱりどんなに空を見上げようとも、現実からは逃れられないらしい。

 青空の下、雲のように白い髪をした若い女が連れらしき半裸の大男を叫びながらひたすらに殴り続けていた。かなりシュールな図である。
 女は修行用の重りかと思うほどに着物を重ね着をしている割にその殴る拳の切れは悪くない。しかし所詮は女の細腕と言うべきか、重さは全く無いので当ってもあまり痛みは無い。
 対して男のほうはただ大きいだけではなく、ほとんど何もつけていない上半身は引き絞られ、岩の様と評するよりは鋼のようだと、鋼と言うよりはソレを鍛え上げた刀のような肉体だ。その手足につけた鉄甲からも彼が拳術家であると思うだろう。
 だがそれは間違いだ。彼は拳術家ではない。、、、、、、、剣術家なのだ、、、、、、
 虚刀流きょとうりゅう七代目当主、鑢七花やすりしちか
 戦国の時代に作り上げられた無刀の剣術。己自信を刀と見立て己の鍛え上げられた肉体で敵を切り裂く一本の刀。
 しかし、当然ながら刀はそれだけでは何の機能も果たせない。いや、唯一無二の目的であり存在意義である『斬る』ことすら果たすことが出来ない。その使命を全うするにはどうしても必要不可欠な存在がある。

 それは刀を持つ主。

 どれだけ斬れる名刀も、どれだけ斬れぬ鈍らもそれは変わらない。刀は振るう者が居て、振るおうとする意思があって初めてその役割を果たすことが出来る。
 それは刀を持たない刀である虚刀流も変わらない。持つ者が居て初めてその技が切れ味を発揮することが出来る。

「このたわけがー」

 隣に居る女。
 先程から叫びながら七花をなぐり続けている女。
 彼女こそが《鑢七花》という《刀》の主。無人島暮らしで父と姉以外の人間と接することが無かった七花が自ら選んだ唯一無二の所有者。
 家鳴幕府預奉所軍所あずかりたてまつるところいくさどころ総監督、奇策士とがめ
 しかし、そんな役職など彼が彼女を主に選んだ理由にはならない。彼が彼女を選んだ理由はとてもシンプルな理由だ。

 七花はとがめに惚れたのだ。

 だから、圧倒的に劣るとがめに殴られ続けているのも、主従の礼と取るよりも、惚れた弱みと取るべきなのかもしれない。

 でなければ、とっくに七花はとがめを斬り殺しているだろう。
 七花とは、いや虚刀流とはそういうものだ。相手が女だろうが子供だろうが斬り捨てる。刀は斬る相手を選ぶことが無い故に。

「な、何だよ、とがめ。 何をそんなに怒ってるんだよ」
「何をとな!? おぬし、先程自分が何をしようとしたのかもう忘れたのか!?」
「何をって、俺はただとがめが暑い暑いっていうから、その暑苦しそうな着物を脱がしてやろうと――」
「ちぇりおー」

 また一発とがめの拳が七花の腹筋に入る。
 ひ弱なとがめの拳など鍛え上げられた七花の肉体にはさしてダメージを与えることは叶わない。それでも毎度毎度懲りずに繰り返されている、一種のコミュニケーションだ。
 いや、この薩摩藩に入ってからと言うものこのやり取りは今までよりも更に頻繁になっている。

 哀しいことに。
 虚しいことに。

 この二人が、薩摩藩まで訪れたのはもちろん観光ではない。
 もちろん、イチャイチャラブラブなデートと言うわけでもない。

「な、ななな何を考えているかー。 こんな往来でわたしにこの着物を脱げとな!? このわたしにそんな破廉恥な真似をしろというのか!?」
「いや、そんだけ着てるんなら一枚や二枚脱ぐくらい大丈夫かなって、思ったんだけど」
「ちぇりおー」

 決して、イチャつきに来たわけでは……。

「この大たわけがー! こんな人目がるところでそんな真似が出来るかー! この着物はわたしの大切な個性なのだぞ。 それを、それをそなたは脱げと言うか!? このわたしに衆目の前で個性を捨てろと言うのか!?」
「え、怒るところそこなのか」

 多分……いちゃらぶしに……来たわけでは……ない、はずなんだけど。

 二人がこの薩摩藩に訪れたのは、ここには彼らが集める伝説の刀鍛冶、四季崎記紀しきざきききが打ちし変体刀、その完成形十二本のうちの一本『賊刀・鎧』がこの地を拠点とする海賊の手から回収するためだ。
 断じて、そんな浮ついた理由や覚悟でこの地に足を踏み入れたのではない。

「な、なんだよ。 いつも寝るときとかには俺に脱がせるじゃないか」
「あれは二人っきりで他に目が無いところでの話であろうが! こんな真昼間の往来と一緒くたにするではないわー」

 違うと思うんだけどなあー。

 何はともあれ、この二人の事情は大体そんな感じだ。
 そして、二人の関係も大体ご覧の通りだ。

 ある程度殴り気が済んだのか、ぷりぷりと怒りながらとがめは七花に背を向けて歩き始める。その姿はとても幕府の重役にあるとは思えない幼稚な振る舞いだった。
 その後ろを付いて歩く七花はとがめに殴られた箇所を撫でている。さして痛みが有るわけではないが、代わりにとがめの残り香と言うか温もりが残っている。思わず口元がにやける七花だが、決して被虐趣味とかそういうのではない。今のところは、まだ。

「まったく、そなたには常識と言うものがほとほと欠けているな」
「とがめもかなりのもんだと思うけどな」
「ちぇりおー」

 また気合の叫びと共に拳が突き当たる。
 やはり七花は痛くは無いが、このとがめの口癖「ちぇりお」という掛け声は使えば使うほど後で自分が痛くなるという、まるで呪詛のような言葉でもある。彼女がその事実に気付くまであとわずか。

「まったく、もう少し気を引き締めろ。 ただでさえ難儀な刀集めの旅に加え、錆を倒して日本最強になったそなたを狙って、有象無象まで相手せねばならなくなったのだぞ」
「それは俺のせいじゃないだろ。 それにしても本当に大勢来るよなあ。 そこまで日本最強って言う称号が魅力的なのかね」
「それはそうであろう。 大袈裟かもしれないが剣士のほとんどはその称号を得るために剣士になったようなものだからな」
「剣士は名誉のためって奴か? 俺にはわからないなあ」

 だからこそ、彼は選ばれたのだ。
 名誉のためでも金のためで動くのでもない。愛のために動く者として。

「そなたはそれで良い。 しかしなるべくなら不必要な戦闘は避けたいところではあるな。 本来不要な戦闘で体力の消費などされたくは無い。 手傷を負うなど持っての外だ」
「大丈夫だ、とがめ。 俺はあんたから言われたことは守る。 相手が誰であろうと俺は俺自身も守りながら敵を斬るだけだ」
「…………」

 その、聞くだけならば頼もしい限りの言葉にとがめは思うところがある。七花の言葉は自惚れでもなんでもなく、誇張が一切含まれていない真実でしかない。
 現に七花は刀集めの最中も、そして最強の称号を得ようと挑んでくる剣客たち相手にも、ただの一度たりとも手傷を負うことなく、その刀として鍛えられた体で相手を斬り殺してきた。
 何の躊躇も容赦も無く。
 信念も覚悟も無く。

 この旅の中で七花は多くの感情を手に入れたが、それでもどこかが決定的に欠けている。
 人間としてはあまりに足りない部分が多すぎるのだ。

 それが、とがめにとって好都合であるはずなのだが、良しとは出来ない事柄だった。

「そういや、とがめ。 最強の称号欲しさに挑んできた連中のことも例の報告書に書くのか?」
「ん? 珍しいな、そなたがそんな事を気にするなど。 どういう風の吹き回しだ」
「いや、いつもなら報告書に書くためにアレコレ戦い方に注文を入れてくるはずなのに、最近の剣士との戦いではすっかり口を挟まなくなっちまったから、少し気になった」
「ふむ、あくまで今回の報告書は刀集めに関する報告書だからな。 あまり関係の無いことまで書く必要はあるまい。 一応、何人もそういった剣士が襲ってきたと言うことくらいは書くが、その一つ一つを細部まで書く必要もないだろう」

 随分と杜撰な報告書もあったものだ。
 もっとも、そんなことは今更か。とがめの書く報告書はほとんど物語と言って良いような出来栄えになっている。

 しかし、この剣士との戦いにおいてとがめが気になっていることが無いわけではない。それは勝負の内容云々ではなく、自らの刀である七花に関することだ。
 彼は今までとがめの期待に応え、多くの敵を切り殺してきた。いや、敵を全て斬り殺してきた。
 一人残らず皆殺し。

 それに不都合があるわけではない。相手もこちらを殺しに来るのだから、それを斬り殺したところで問題があるはずも無い。むしろ当然の対応とさえ言ってしまって良いだろう。
 それでも七花には斬り殺す際にあまりに躊躇も抵抗も無さ過ぎる。

 正しく一本の刀のように。

 切れ味があることに越したことは無い。
 扱いやすいともなれば言うことは無い。
 それでも、とがめはそのことに対して納得のいきかねる想いを抱えていた。

「まあ、さすがにまにわに程にキャラの濃い奴が出てきたのならば、報告書に書かぬわけには行くまいがな」

 《まにわに》こと《真庭忍軍》。  暗殺に特化した極まった際物の忍集団。
 以前、とがめの《刀集め》を手伝い、その後裏切り、現在も闘争中の一団。
 キャラの濃さなら間違いなく今回の旅路の中でもトップクラスだ。  …………キャラの濃さなら。
 実力も無いわけではない、と言うか間違いなくあるのだが、この物語の中で今のところ彼らに与えられた称号は第三勢力でもトリックスターでもなく、咬ませ犬。キャラが濃いだけに哀しい。

「いやいや、さすがにあいつら程キャラ濃いのはいないだろう」
「わからぬぞ。 世界は広いからな、この空の下、地の上にはまだまだ我らの知らぬ猛者もいようというものだ」
「うーん、確かに俺も島を出てからは世界の広さには驚かされてるけど」
「そうであろう。 そなたもこの数ヶ月で多くのものを学び成長したとは言え、それもまだまだこの世界の――いや、この国においてすらもほんの僅かよ。 偉そうに言ってはいるが、わたし自身もまだ世界には知らぬことが多い。 だからまにわにをも凌ぐ際物が居たところで不思議ではあるまい」
「そうかー。 そうだよな。 俺もまだまだ知らないことが多いってことを忘れて、知った被るところだったぞ。 さすがはとがめだ」

 しきり頷きに感心していた。

 しかし、キャラの濃さですら負けてしまったら、果たしてまにわにの存在意義ってどうなるんだろうか?

「でも、あれだ。 どんなに世界が広くても、俺が惚れているにはとがめ一人だぞ」
「ちぇ、ちぇりおー」

 顔を真っ赤にしたとがめに再び殴られた。
 ちなみに、この『ちぇりお』を巡ってとがめが再び真っ赤になるまであと僅か。

「あ、当たり前ではないか。 世界広しと言えど、そなたのような扱いにくい刀を所持できるのはわたしだけだ。 そのことを肝に銘じて忘れるでないぞ」
「極めて了解」

 しっかりと頷く七花。
 それにしても、七花を勧誘するときに「惚れて良いぞ」なんて無茶な事を言った割には、意外とストレートな言い回しに体勢が無いとがめだった。

「よし約束したぞ。 破ったら刀千本呑ますからな。 実家に帰らせてしまうからな。 浮気するでないぞ」

 子供みたいな約束の仕方をする幕府のお偉いさんだった。
 今度、七花にまで裏切られたら手の打ちようが無いだけに必死だった。

 だが、とりあえず今は心配するべき事項は他に有りそうだ。

「ふん、情けないですなあ。 現日本最強ともあろう方が女子の尻にしかれていますなあ」

 その男は、二人から2間ほど離れた場所に立っていた。
 あまり特徴の無い男だった。白い着物に緑色の袴。組まれた腕はその着物の袖の中に隠れている。背丈は5尺5寸くらいだろうか、大柄な七花と比べるとかなり小柄な体躯だ。しかし、貧弱な感じはしない。服の上から見て取れる体つきもあるが、彼自身が纏っている雰囲気が、ここ最近良く出会うものたちに似ている。

それがし五体満足ごていみちたりと申す者なんですなあ。 かの日本最強の剣士、錆白兵を打ち倒した鑢七花どのと言って手合わせを願いたいんですなあ」

 そう言ってニヤリと粘着質に笑う。
 あまり良い印象を持てる笑みではない。とがめなどはあからさまに不愉快そうに顔を歪めている。もっとも、この手の連中に対してはいつも同じような反応でもある。現に七花などはうんざりとした表情を浮かべている。

「ようするに、あんたも日本最強の称号が欲しいってか?」
「そんな称号なんていらないんですなあ。 私が欲しいのは実績と実戦なんですなあ」
「悪いが、こちらも急ぎ旅の最中でな、そんな道楽に付き合っている暇は無い」

 とがめの突き放した応答に、満足と名乗った剣士は気を悪くした様子も無く、逆にとがめの機嫌を損ねるようなニヤニヤ笑いを浮かべる。

「おやおや、それは申し訳ありませんなあ、お嬢ちゃん。 傍から見ているととてもとてもそんな急ぎ旅には見えない、実に仲良く乳繰り合っている風に見えたんで、てっきり暇なのだと思ってしまいましてなあ」
「節穴の目を持っているようだな。 その程度の観察眼では剣士としての腕前も知れようと言うもの。 悪いことは言わん、早々に立ち去れ」
「うるせえんだよ、ババガキ」

 とがめの安い挑発に、ガラリと満足の口調が変わる。
 口調だけではない。その身からも押し込めていた殺気が蓋を開けたように溢れ出す。鞘から抜き放たれた刃のように攻撃性が高まっていく。

「てめぇになんか用はねぇんだよ。 薄気味悪ィ頭しやがって、頭の中身まで白くなってんのか? あぁ? これ以上ギャアギャア騒ぐようならその汚らしい髪を綺麗に染め上げんぞ?」

 知性とは程遠い罵声。それゆえに人の神経を刺激する言葉の数々。
 先程鞘から解き放たれた刃と言ったが、この者の気性は日本刀の刃と言うよりも、鉈などの鋭さよりも粗暴な刃に近い。

 しかし捲くし立てる満足を詰まらなそうにとがめは見下す。髪のことを言われるのは慣れている。今更そのことに関しては目くじらを立てる気は無い。ただ、久しぶりに見た低俗な人種にとがめの気分は沈んでいく。
 叩き潰されるか利用されるくらいにしか価値が無い分際で、と。

 だが、今の自分には我慢と言う単語を未だに定着できていない刀があることを失念していたのは、彼女らしいうっかりな失敗と言えよう。

「おい、おまえ」
「あん? なんですかなあ? 日本最強?」
「これ以上、とがめを侮辱するな」
「どうしますかなあ、どうやらそっちのお連れを貶せばあなたが戦ってくれそうですしなあ」
「心配するなよ、俺はもうあんたは斬るつもりだよ」
「おい、七花」

 別に目の前の男を斬ることに関しては問題が無い、とまでは言わないが、それでも慌てて止めるほどのことではない。
 だが、七花が主であるとがめの意思を無視しして、誰かを斬ろうとするのは楽観できるような話ではない。

 元々、子供っぽい部分で熱くなりやすいとこはあった。だが、それでもとがめの意思を無視して誰かを斬ろうとしたことは無かった。斬る必要までない敵を斬ることはあっても。

「とがめ、俺はあんたに惚れたんだ。 惚れてあんたを主に選んだんだ。 だからとがめを侮辱されることは我慢できねえよ。 この世界でただ一人のとがめを、あんなその他大勢に侮辱されるのは我慢できないんだよ」
「わたしが斬るなと言ってもか」
「いや、とがめが駄目だって言うなら、我慢できなけど我慢する」
「ふん、ソレが聞ければ十分だ」

 あらゆる武装を放棄した奇策士は、決して武芸者に引けをとらぬ眼光で敵を射抜く。

「七花、あやつに世界の広さを教えてやれ」
「その頃には八つ裂きだろうけどな」

 ここ最近、使う機会が多くてようやく慣れてきたキメ台詞を使いどころを間違う事無く決める。

「ようやく、その気になってくれましたなあ」

 満足はその名のようにニンマリと満ち足りた笑みを浮かべる。

「おい、ところであんたは剣士なんだよな。 刀はどうしたんだよ」

 七花の言葉どおり、満足は相変わらず腕を組んだまま構えようとさえしない。いや、それどころかそもそも見る限りは刀をどこにも所持してすら居ない。
 しかし、七花のそんな当然の疑問を、満足は嫌らしい笑みを浮かべて受け流す。

「おやおや、これは刀を持たぬ剣士、虚刀流の言葉とは思えませんなあ。 何も刀を持つだけが剣士ではないんではないですかなあ」
「あんたも、無刀の剣士だってか?」
「さあて、どうでしょうなあ」

 つくづく、人の神経を逆撫でする奴だ。
 島に居た頃の七花ならば何も感じなかったろうが、この本土に来て、とがめと旅をしていくうちに少しずつだが情緒を得てきた七花の中に、なんだかモヤモヤとしたものが渦巻く。それが苛立ちだと言うことを理解できるほどには、未だに七花は感情と言うものを理解できていないが。

 そして、理解できないものが何であるか考えるほど七花は思慮深くなんか無い。考えることは面倒で大嫌いだ。
 だから、考えるよりも先に切り捨てることを選ぶ。どうせやることは変わらないのだから。

 七花も相手の戦い方に関して気にならないわけではない。本当に虚刀流のように無刀の流派なのか、それともただのハッタリで、あるいは挑発で何らかの策があるのか。
 もし、なにか仕掛けてくるとするならば、やはりまず怪しいのはあの隠れた腕だ。あの中に、何らかの武器、いわゆる暗器が隠されている可能性が一番高い。

 それくらいは、七花でも解る。そしてわかった上で、構わずに距離を詰める。
 たかが暗器ごときに遅れを取るような虚刀流ではない!

「虚刀流七の構え――『杜若』」

 前傾姿勢の構え。虚刀流の中でもっとも自由自在の足運びを可能にする動の構えだ。
 これならば、例えあの腕からどんな暗器を放とうとも、対応しきれる。

 動きに緩急をつけながら、一気に三間という距離を詰める。
 こんまま相手が七花の動きに付いてこれずに動かなければそのまま斬り捨てるつもりだ。現に今までもそういうことは何度もあった。よくもその程度の腕前で挑んできたものだと思えるような相手でも容赦なく斬り殺して来た。
 だが、満足は少なくとも動きに付いてこれるだけの実力を持ち合わせてはいたようだ。七花が満足の 、本来刀の間合いに踏み入ったとき満足も動く。

「代刀流――『手刃裂き』」

 袖に隠されていた右腕が抜かれる。それはいつかの居合いの動きに似ていた。
 しかし、それ自体は予測の範囲内。別に慌てることも焦ることも無い。だが――。

「んなっ!?」

 その腕を、迫る凶器を七花は見る。
 武器が隠されていたのは七花の予想通りだった。だが、その形状はあまりに予想外。そのためにほんの一瞬、七花の動きが鈍る。そこに迫る隠された凶器が狙うは七花の首。

 いくら意表を突かれたとは言え、そう易々首を取らせる七花ではない。僅かに遅らせた足運びで、本来ならそのまま近づいてきた七花の首を刎ねる一撃を避ける。

 だが、満足の攻撃の手もその一撃で終わりではなかった。
 右手を振りぬいて流れたように見えた体は、そのまま次の一手のための踏み込みとなる。

「代刀流――『御手突き』」

 本来隙となる大振りの一撃を利用した突きは鋭く、七花の心臓を狙っている。
 突きという攻撃は威力と速度に優れている分、攻撃の面積は非常に小さい。僅かな体の捻りで避けられてしまう。それを防ぐためには相手が避けられない状態のときを狙うか、避ける暇も与えない高速の突きを繰り出すか、だ。
 その点、満足の『御手突き』はその両方を満たしていた。一度目の攻撃で体勢が不安定になるのは何も攻撃を仕掛けた側だけではない。もちろん、達人ならばバランスを崩すような避け方はしないだろうが、達人なれば最初の一撃が、満足の獲物が見えたはずだ。そして、それは相手に動揺を誘うには十分な効果がある。
 そこに繰り出される高速の突き。大抵のものはこの連撃によって、その命を落とすことになる。

 だが、七花はその突きも避けてみせる。
 『杜若』は前後の足運びに特化した構えだ。歩みを弱めた後に後方へ駆け出して、攻撃を避けることなど造作も無い。

「ほう、いやはやさすがですなあ。 まさかこの攻撃を避けられるとは、日本最強は伊達ではありませんなあ」
「おまえ、何だその腕は」

 白々しいお世辞など、聞こえてはいないかのように七花は満足の露出した腕を見た。いや、正確にはそこには腕は無かった。肘関節よりも少し先のところで腕がばっさりとなくなっている。
 代わりにそこから生えているのは、鈍い光を放つ刃。本来腕があるべき場所に、小刀が生えていたのだ。

「これが代刀流なんですなあ。 あなたがた虚刀流が自らの身体を鍛え上げて一本の刀とするのとはまた別の意味で己の身体を刀とする。 ようするに、己の身体に直接刀を仕込む、正しく刀を己の手足のごとく扱う剣士を作り上げると言う、実に馬鹿げた流派ではありますなあ」

 己の腕代わりに生えた刀をちらつかせながら、あの粘着質な笑みを浮かべて語る。

「まあ、こんな身体ですからなあ、真っ当な生活って奴はまず無理ですなあ。 まさに戦い斬るためだけに生き続ける、そんな身体になってしまっているんですなあ。 ですから是非とも日本最強であるあなたとも戦いたかったんですなあ」
「なるほどな、確かにそんな身体では他に求めるものも無いと言うことか。 ふん、だがそんな消極的な姿勢で戦いに挑もうと言うのか? その程度のことで殺し合いに巻き込まれるほうは堪らんな」
「黙ってて欲しいですなあ、お嬢さん。 あなたには全く持って欠片も用は無いんですなあ。 某は日本最強の七花殿にのみ用があるんですなあ。 あなたごときとは、例え七花殿の代わりだとしても話す気も起きませんなあ」

 視線すらもとがめに向けようとせずに言い捨てる。
 ここまで来ると、用が無いとかというよりも憎まれ疎まれているように思えてしまう。

 それは、間違いではない。
 武力を所有することが義務付けられた満足にとって、武力を所有することを放棄したとがめの存在は真逆の存在だといえる。しかも、その真逆の存在のはずのとがめが、自分と同じような存在であるはずの、しかもその究極形とも言える最強の称号を得た七花を所持していることは、満足の中で本人にも良くわからない、イライラが募る。

 だが、そんな事は本当にどうでも良い、些細な問題なのだろう。
 少なくとも、今このときにおいては。

「おい、いつまでとがめにちょっかい出す気だ」
「別に某がちょっかいを出している訳ではないんですなあ。 あちらが口を挟まなければ某とて、彼女に対して何も言わないんですなあ」
「そうか……。 ならとがめ、悪いんだけどしばらく黙っていてくれ。 とがめが他の刀と話しているのを見るのはあんまり好きじゃないんだ。 特にこんな中途半端な奴とはさ」

 子供じみた独占欲。
 それは前回の刀集めのとき、錆白兵にも見せたことがあるが、そのときはまだ相手方に敬意に似た感情を持っていた七花だが、この目の前の満足に対してはそういう念はまるで無い。むしろ、その逆の感情を抱いているようだ。

 自らを錆の浮いた失敗作と語った錆白兵。
 それでも彼は紛れも無く一本の刀だった。
 これまで戦ってきた刀の所有者も刀自身ではないものも、一人の剣士だった。

 だが、目の前の敵はそのどっち付かずだ。
 刀としても剣士としてもあまりに中途半端な出来。

「大丈夫だ。 この程度の奴、とがめの知恵を借りるまでも無い、すぐに斬り捨てる」
「あんま調子に乗ってんじゃねえよ、日本最強さんよぉ。 一回くらい小手先の技を避けたくらいで何勝った気でいちゃってるんだ? その高くなりすぎの鼻を切り落としてやろうか? あぁ?」
「だったら、今度は小手先なんかじゃなく、最大の攻撃で来いよ。 どんな刀を出してこようと、そいつごとたた斬ってやる」

 らしからぬ挑発の言葉に、後ろで聞いているとがめが眉を顰める。
 だが、別に七花は挑発のために言ったのではない。あくまでもそれは厳然たる事実として、言葉にしたのだ。

「上等だああああ!」

 満足は吼えながら駆け出す。
 先程は待ちの剣を使ったが、本来の代刀流は、そして満足自身の気性はどこまでも攻めだ。

「虚刀流一の構え――『鈴蘭』」

 それに対する七花はもっとも基本的な『鈴蘭』の構えを取る。
 宣言どおりすぐに斬り捨てるつもりで、最速の技を出すために。

「うおおおおおぉおおおおお」

 満足は七花の手前で跳ねる。
 この時になって、ようやく気付いたことだが、満足がかけた後には奇妙な穴が開いていた。何か鋭く長いもので空けたような穴が、まるで足跡のように点々と。

 そして、長い袴の中から覗く満足の両足。否、そこにもやはり足は無い。あるの当然のように左右に一本ずつ生えた日本の小刀。

 これこそが、身体の四肢に刀を埋め込み、文字通り手足のごとく扱う代刀流の真骨頂!

「代刀流奥義――『四刀四裂しとうしれつ』」

 四つの刃が四方から襲う。
 いかな剣士であろうとも、人が扱える刀は多くて二本。故に今までこの技を破れた者は存在しない!

 だが、それでも――。

「足りねえよ」

 それを向かえ撃つ七花は至って平静。
 四方から襲う四つの刀を前に、無刀の剣士はあくまで憮然とした面持ちで迎え撃つ。

「四つ程度じゃ、それでも半分だ。 だけどあんたは八つ裂きにするまでも無い。 ただの一刀の元に斬り捨てる」

 上半身を捻り、蓄えた力を一気に解放する。
 かつて、千本の刀を打ち破った、最速の奥義!

「虚刀流、『鏡花水月』」





 薩摩の空はやはりどこまでも高く青かった。
 だが、七花ととがめの二人の前には遠目なれど町が見え始めてきていた。

「あそこに五本目があるのか?」
「そうじゃ、代々あの町を拠点とする海賊が継承していると言う『賊刀・鎧』それが今回の刀だ。 かつて前将軍が一軍を用いても奪えなかったと言う刀だ、くれぐれも油断するなよ」
「わかってるさ。 それにこちらからも手を出したりしない」
「うむ、相手が海賊とは言えまずは交渉からだ。 それでも決裂した場合は頼りにしているぞ」
「ああ、いつもどおりだ。 とがめに頼られるのは嬉しいしな」

 本当に、その言葉に偽りがないと証明するかのように笑う七花。
 感情が未熟ゆえに、表現はとても素直なのだ。ときおりとがめのほうが困るほどに。

「ところで今回は戦い方に関して何か指示とか無いのか?」
「ふーむ、無いことは無いがそれも後で話そう。 まずは相手を見極めてからだ」
「了解。あ、そうだとがめ。 ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「ん? なにか気になることでもあったか?」

 うーん、と少しだけ悩むようなそぶりを見せる七花。これも七花にしては随分と珍しい行動だ。
 しかし、それも一瞬で考えがまとまったと言うよりも、考えるのが面倒になったと言った感じで質問をぶつける。

「あの、こないだ戦った手足に刀の生えている奴のことは報告書に書いたのか?」
「書かん」

 即答だった。
 別にあらかじめ質問の内容を予想していたわけでもないのに。

「なんで? 他の剣客に比べたらキャラは濃かったと思うけど」
「ふん、そなたから見ればそうであろうが、わたしほどの者から見ればまだまだ足りん。 大体、今まで報告書に書いた人物と特徴が被りまくっておるでわないか。 しかもそのどれもが以前のもに比べて弱いと来ていては、とてもではないがわざわざ書く価値は無い」

 身体に刀を埋め込んだ剣士と身体の内部に刀を仕舞い込んだ忍者。
 袖からおとりとしての居合いを放つ剣士と刀身を見せることも無い高速の居合いを持つ剣士。
 四つの刀と千本の刀。
 日本最強を目指す剣士と日本最強の剣士。
 そして、四つ裂きと八つ裂き。

 なるほど、確かにどれもが似ていながらも数段劣っている。

「そういや、以前キャラが被るのは痛いって言ってたっけ」
「その通りだ。 よってわざわざ報告書に書く必要ない。 またどこぞの誰に襲われたので返り討ちにしましたくらいのものだ」

 あんまりと言えばあんまりだ。
 死者に鞭打つどころの話ではない。

「それにな、今は目の前に本来の目的が待っておるのだ。 色々と考えるようになったのは良い傾向だが、余計なことを考えている暇は無いぞ。
「それもこれもとがめのおかげだ。 惚れ直すぜ」
「ふん、上限無く惚れるが良い」

 今回は余裕ありげに返すとがめ。
 しかし、その顔はやはり僅かに赤くなっていた。

「ん? どうしたんだとがめ? やっぱり暑いんならその着物脱いだほうが……」
「ちぇりおー」

 今日も景気良く呪詛の言葉は青空に響くのだった。





寝言
初の刀語SSにして初の完全オリキャラの登場かな。
もう少し剣術について勉強したほうがいいかなあとも思う。
ただ、今回本当に書きたかったのは七花ととがめのイチャラブだったんだけど。



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